福井の希望を考えるフォーラムでの講演

最終更新日 2010年2月4日ページID 007170

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 このページは、平成20年11月10日(月)に国際交流会館で行われた、福井の希望を考えるフォーラムでの知事の講演をまとめたものです。

201110講演写真1 ご紹介をいただきました西川でございます。

 今日は、「福井の希望を考えるフォーラム」に皆様方、ご参加いただき、感謝申し上げます。
 また、フォーラムの開催にあたりまして、ご協力をいただいた東京大学社会科学研究所の皆様に、この場をお借りいたしまして、お礼申し上げます。

 さて、先般、アメリカ合衆国大統領にバラック・オバマ氏が当選しました。
 本県にも関係ないことではなく、オバマ氏が民主党の候補になってから、福井県小浜市において市民が盛り上がりを見せ、つい先日には、麻生首相が、オバマ氏と電話で会談した際に、オバマ氏から「小浜市についてもよく承知している。」との発言があったところであります。

 オバマ氏は選挙キャンペーン中、「hope(希望)」という言葉を使いました。また、オバマ氏は尊敬する人物にキング牧師の名前を挙げています。1950~60年代に公民権運動を指導したキング牧師は、様々な人種差別を批判する演説で「I Have a Dream(私には夢がある)」と繰り返しました。

 それから約50年近くが経ち、オバマ氏は「hope(希望)」という、よく似た言葉を使っています。
 オバマ氏の「hope」とキング牧師の「dream」にはどのようなニュアンスの違いがあるのでしょうか。これは非常に関心があるところです。これから東京大学社会科学研究所の先生方に福井の希望を研究していただく場合にヒントになるのではないかと思っています。

 さて、私の身近な経験から一つお話しいたします。
 季節は夏の話になりますが、私の住まいの近くにある市立図書館では、毎年大きな七夕飾りをして、幼稚園や保育園の子どもたちが、星に願いを託しています。子どもたちがどんなことを思っているのかと、笹竹の手の届く短冊を読んでみると、「保育園の先生になれますように」「サッカー選手になりたい」「ウルトラマンタロウになりたい」というものなどがあります。
 しかしその中に、「うちのおばあちゃんが長生きしますように」とか、「おじいちゃんの病気が治りますように」という子どもながらのやさしい言葉があります。

 これはどういう意味なのかと考えてみると、最初の幾つかの例は、自分がこれからどうなりたいかを願うものです。他人との関係はあまり出てきません。これは一人で願うものだから、「夢」と言ったほうがいいかもしれません。
 それに対して後の例は、おじいちゃん、おばあちゃんなどの家族のことについて祈っているのですから、「希望」という言葉に近いのではないかと思います。人間関係や周りの人たちも含めて、少し客観的に何かを期待し望むということかもしれません。

 「希望」というのは、家族や地域、社会とのつながりの中で、何かを実現することを望むということかもしれません。4、5歳の小さな子どもの心の中にも、周りとのつながりを感じ、自分が一人でないと思うようになり、家族、社会とのつながりの意識が芽生えはじめているのかなと思います。
 一方で、こうした願いを考えますと、子どもたちの心の中にも、かすかな心配や不安というものも含まれている気がします。

 このような方面のことを、この後のフォーラムで議論していただけることを楽しみにしています。

 さて、私は、昨年の知事選挙のマニフェスト「福井新元気宣言」に、「未来に希望と夢を持てるふるさと福井をつくりたい」と書きました。

 6年前の知事1期目が始まったころは、失業率が高く、マイナス成長が続くなど、経済の活性化を最優先課題としました。おかげさまで、4年間で一定の成果を得て、その局面においては厳しい状況を脱することができました。
 しかし、「座ぶとん集会」や「女性会議」の場で、県民のみなさんの生の声を聞きますと、「福井には、娯楽が少ない」「楽しみがない」との声をたびたび耳にします。
 様々な数字は改善しているが、数字に現れない県民の暮らしの中身はどうなのかと、私自身いくつか疑問を持ったわけです。

 新しいマニフェストに「希望」や「夢」を掲げたのは、県民のみなさんの「暮らしの質」や満足度を上げるためには、希望や夢が欠かせないものと考えたためです。福祉、教育・文化、環境などの分野に重点を置いて、政治が身近なところで県民生活を支えることが重要だと思ったわけです。
 特に、子どもたちが希望を持てる環境を整えることが大切だと考え、教育に力を入れているところです。サイエンス教育を重視することで、世の中、生命、宇宙を眺める中で、生き物がどうか、ひいては道徳や他人を大事にする、ということにつながっていくのではないかと思っています。

 ここ数年、希望に格差があるようなことが言われています。希望にまで差があっては基本的にはさみしいことだと思います。
 子どもたちが福井にいても、世界の情報や人物、知識に触れることができることが大事です。福井の子どもたちが優れた教育を受けることが、大きな希望を持つ基礎になると思います。
 時には、困難なことや挫折することもあるでしょうが、逆にその中からも自信や希望が生まれるのだと思います。

201110講演写真2 このような中で、先日、幼いころから高校まで福井で育った南部陽一郎先生がノーベル物理学賞を受賞したという、うれしいニュースが入ってきました。
 さっそくシカゴまで電話をいたしたところ、福井で教育を受けたことが、自分の業績や考え方を形づくったのだ、とおっしゃっておられました。
 さらに、先生から子どもたちに、「大きい夢を抱いて朗らかに生きよう」というメッセージが贈られてきました。朗らかに生きるためには、希望、可能性、実力が欠かせないものだと思います。

 一方で、希望に関してひとつ気になることがあります。福井の子どもたちの学力は全国でも最上位です。
 しかし、全国学力テストの中で、生活、学習に関する調査もあります。その中に「将来の夢や目標を持っているか」という質問項目があり、福井の子どもたちは、全国の平均に比べて低いという状況です。数字上では各県に大きな開きはそれほどありませんが、順位が全国よりも低いということが気になったわけであります。
 各都道府県を比較してみると、この結果については、日本の中で生活実態とは離れて、多少地域性があるように思われました。東京大学の先生方には、希望と社会との関係についても研究を進めていただきたいと思っています。

 次に、希望と人とのつながりという点ですが、希望学では、希望は新しいものの考え方に触れることで生まれてくると言われています。毎日顔を合わせる人ではなく、自分と異なる考えを持つ人たちと出会うことで希望が生まれるのではないかと思います。

 福井県の例を取りますと、若い人たちがふるさとから都会へ出て行く動きがあります。毎年3,000人が高校を卒業すると都会に出て行き、4年後に福井に帰ってくるのはそのうち1,000人であります。差し引いた2,000人が都会で日本経済を支えたり、世界的に活躍しているわけです。
 若者は、都会に出ることで希望を求めているのだと思います。しかし、ある時期に地元に戻る機会があること、将来退職されるときに我がふるさとを思って帰ってくることができること、これも人々のつながりやライフサイクルにおける希望につながっていくのではないかと思います。こういう都会と地方の地域的な希望の形態も、社会全体として考え、人の循環の問題として考える必要があると思います。

 福井県が提唱した「ふるさと納税」は、以上のような考え方が基になっていると考えています。

 私は、北陸新幹線や高速道路など、国が責任を持って、地方の願いをかなえていただきたいと努力しているところです。大都市と地方のアクセスは、長い目で見て人々の希望につながるものと考えています。
 企業の場における社員や従業員の希望についても、彼らの幸せを願う会社の立場で考えていただきたいと思っています。

 最後に、一点申し上げます。

 「人生の喜びの大半は希望や期待から生まれる」と私は信じています。これは大事なことだと思っています。
 この希望学について、福井県というフィールドで、東京大学の先生方が研究を進めていただけるので、例えばブータン国のGNH(国民総幸福量=Gross National Happiness)という考え方とどうつながっていくかなど、さらに新しい知見が行政・政治の行動の展開につながるような動きも研究していただけるとありがたいと思っています。

 今日ご出席のみなさんの様々な考え方や行動がこの希望学につながっていくことを期待したいと思っています。
 挨拶を兼ねまして、私の思っているところを申し上げました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。



 

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