福井の希望を考える「第2回希望学フォーラム」知事講演

最終更新日 2010年2月4日ページID 009297

印刷

 このページは、平成21年7月23日(木)に国際交流会館で行われた、福井の希望を考える「第2回希望学フォーラム」での知事の講演をまとめたものです。

210723講演写真1 みなさんこんにちは。
 今日は「福井の希望を考える『第2回希望学フォーラム』」を開催しました。多くの皆さまにご参加をいただき感謝を申し上げます。
 また、玄田先生、橘川先生をはじめ希望学の先生方には福井へようこそお越しいただきました。お礼を申し上げます。
 これから福井をフィールドにして、調査を深めていただくということであり、私自身も皆さまとともに大きな期待を寄せているところです。

 今回は、「希望と新しいふるさと」というタイトルで話をします。

 先週、三重県伊勢市で開催された全国知事会議に出席しました。全国の都道府県知事が一堂に集まり、地方分権、税財政改革、直轄事業負担金の問題など都道府県が直面している課題について、議論し合う会議です。
 こうした会議に出席して感じることは、国や地方において日々起きてくる様々な問題に向き合う時に、問題の現場、フィールドを良く知り、絡まった糸をほぐすように一つ一つ物事を冷静沈着に分析し、着実に解決していくということが一番大事ではないかということです。
 「こうあるべきだ」とか、「こうあれば」というような、机上の空論では、内容として空虚な結果に終わるのではないかと思います。また、「ブレイクスルー」という言葉もあります。世の中には、複雑な物事を一挙に解決できる魔法の杖でもあるかのような言動が一部に見られますし、そうした単純な論調に気持ちを動かされる人々も少なからずいると思います。
 しかし、こうした調子の良い解決策というのは、そう世の中にあるものではありませんし、十分な注意が必要です。例えば、道州制の導入、直轄事業負担金の廃止など、社会の仕組みを転換すれば、多くの物事が一挙に解決できるような誘惑についつい駆られがちです。しかし、本当に具体的に物事を考えているのかについては、見極めが必要だと考えます。

 さて、日本の社会状況を申し上げなければなりません。
 我々が、社会の仕組みを変えることによって、物事を一挙に解決したいという気持ちになる背景には、一体何があるのだろうかということであります。
 昨今の日本の状況を見ますと、何か漠然とした不安、あるいは心配を感じる事件が多くなっています。
 メキシコ・北米に端を発し世界に広がった新型インフルエンザの流行。米国発の金融危機による経済や雇用の崩壊。中国産の様々な食物の問題など。国外で起こったことが、数日のうちに皆さんの身の回りに起こるわけです。また、先週は鳥取市でタクシー運転手が射殺され、売上金を奪われるという、静かな地方での事件も発生しています。

 東京や大阪という大都市だけではなく、地方においても、思いもよらない出来事が実際に起こっているのです。人々の間に大きな不安が広がっていると感じられ、こうした不安を一挙に何か良い方法で解決したいという気持ちが我々の中にあるように思います。

 そこで、我々の不安の根っこにあるのは、何だろうかということです。
 今回の希望学にも繋がることでありますが、私は人々が繋がりや社会的な連帯感の基本が、残念なことに根底で失われているのではないかと思います。
 グローバル化、あるいはICT化などによって、見かけの上では我々は世界中の人々と仲良く繋がっているようにも思えますが、繋がっているようで繋がっていないというのが実際ではないかと思っています。自分達の周りにあるシステムや仲間が意外と信頼できないのではないか、ということをふと思いがちになることは不幸なことです。いわば、非常に不信なリスキーな社会にあるのではないかと思います。
 個人がバラバラになり、無力化している、一種の個人化、個化社会と呼べるような状況にあると思います。

 そこで、どういう心構えが大事かということになります。
 日々起こっている様々な課題を解決するために大事なことは、一つひとつ丁寧に向き合うことであり、また、課題を確実に解決するために必要なことは、我慢したり、時間を待つということが重要だと思います。
 最近は、スピード重視の名のもとに、性急に結果が求められることが多いわけであります。当然、スピードが要求される場合はありますけれども、我慢して待ち、また急がば回れと、こつこつと問題を解決するということが重要かと思います。
 ここで「希望」ということになると思います。例えば、すぐ問題が片付かないが、実現したくて行動を続ければ、将来必ず実現するはずだという想い。それが希望だと私は考えています。そうした希望がなければ、我慢したりあるいは粘り強い行動は到底できませんし、逆に待つことや我慢なくして、希望もまた生まれないのではないかと思います。

 我慢して待つということに関連して、玄田先生が県庁職員におっしゃったことを、間接的にうかがった興味深い話があります。
 これは、吉本興業の横澤彪さんという方が、会社の入社式で次のようなことを言われたという話でした。「新入社員諸君は、仕事を進めていると必ず壁にぶつかる。新入社員が壁を乗り越えることは、残念ながら普通できない。大事なのは壁の前から逃げ出さないこと。その壁の前でうろうろすること。そうすれば、壁に穴が見つかるかも知れないし、壁が崩れたり低いところがあるかも知れない。誰かが助けにきてくれるかも知れない。」
 壁の前でいろいろ考えてうろうろしたりすることが、我慢でありまた待つことであり、希望にも繋がるかも知れません。

 私は、「新しいふるさと」ということを最近言っております。希望を持ちながら、待ち、考え、行動する。これが、新しいふるさとという場で実行できるのではないかと思います。
 ふるさとには、お互い顔見知りの間柄の人たちがいます。今日、ご出席の皆さま方にはそれぞれそういう関係にあるかも知れません。幼馴染、仲間、近所のおじさん、おばさん。あるいは趣味活動で知り合った友人。ふるさとにはこうした人達がいて、自分が働きかけたりあるいは働きかけられたり、声のかけ合いという場所であります。ふるさと、こうした人々が繋がりを実感し、希望を育てることができる舞台でないかと思いますし、ふるさとは希望を生み出し育てる触媒の役割を果たしてくれる場ではないかと思います。
 ふるさとと言いますと、普通ちょっと古くさいのではないか、という印象もあるかも知れませんが、私は「新しい」という形容詞を付けています。外の世界から閉ざされた古いタイプのコミュニティではなくて、外からもどんどん働きかける、そういうふるさとがあるべきでありますし、きっと作れるだろうと私は思っています。

 このような新しいふるさとは、どうやって実現できるでしょうか。
 先月16日に公表されました国民性調査によると、「人のためになることをしたい」という割合が20代で43%。30代で52%。また1番大切なものとして「家族」と答えたのが、46%となり過去最高になっています。
 先日、七夕の短冊が商店街に並んでいるのを見ました。その中に、自分はサッカーがうまくなりたいとか、ピアノがもっと上手にとか、そんなことを書いたお子さん達もいるのですが、おじいちゃんが早く元気になってほしいとか、あるいはお兄さんの病気が治るようにとか、人のこと、周りのことを心配している人達の願いが見られました。これは若者を中心に、人のためになること、人との繋がりを求める動きが増えつつある転換期かと、私なりに思っております。若者たちの間に新しい社会の芽があらわれているのではないかと思います。
 こうした芽を育てるということが、政治や地方自治に携わる者の役割だと思います。そこに、新しいふるさとや希望も生まれるのではないかと思います。

 数日前に山口県で水害がありました。福井の場合も5年前、平成16年7月に豪雨災害に見舞われました。その時に互いに助け合い、また県外から多くの人達が応援に来ていただきました。厳しい環境でしたが、みんなで頑張っていこうという動きを実感したことがあります。

 「家族を大切にしたい」という思いに関して言えば、福井県では家族の時間を大切にしたいという運動をしています。家族とともに過ごす時間を伸ばす運動であり、家族を大切にしたいという思いをできるだけ支援したいという思いから始められたものです。個々の時間というものを大切にしながら、家族やみんなが働く場で繋がっていると思います。

 去る4月末、ノーベル物理学賞の南部陽一郎博士と大阪大学で会う機会がありました。福井の子どもたちにお言葉をいただきたいとお願いしたところ、後日、先生の言葉が書かれた色紙を送っていただきました。そこに書かれていたのは、「Boys and Girls Be Ambitious!」という言葉です。昔風に言うと、「少年少女よ大志を抱け」というような言い方になるかも知れません。クラーク博士の「Boys Be Ambitious」という言葉が浮かんできます。
 その後、内村鑑三のキリスト教的な思想の本を読みました。これは明治27年の本で「後世への最大遺物」という講演録なのですが、その中で内村鑑三は、希望を普通の「Hope」ではなくて「Ambition」という英語をあてております。ということは、「Boys Be Ambitious」という言葉は「少年よ大志を抱け」というよりも、「子どもたちよ、希望を持って行動しなさい」という訳が、現代なら適しているのではないかと私は個人的に思っています。希望学の先生が定義している希望は、Hopeを持ってActionをする、これこそAmbitionではないかなと思います。
 全国学力・学習状況調査によると、福井の子どもたちは学力、体力、日本一でありますが、意外と希望を持つ割合が低い調査結果になっています。これはなぜかということを疑問に思っており、ぜひ解明していただきたいと思います。

 希望学の先生方は、平成17年から昨年までの4年間にわたり、産業が衰退している岩手県釜石市で地元の企業や釜石の人たちの調査を重ね、その成果を4冊の本にまとめ上げ、東京大学出版会から出版をされました。どの本にも希望について興味深い議論が展開されており、大変楽しく読ませていただいているところです。本日参会の皆さまも、ぜひ手にとっていただき、ご自身の興味関心に合わせてお読みいただけると、希望について考え、行動する上で多くのヒントが得られると思います。

210723講演写真2 希望学の次のフィールドは我が福井県です。生活満足度の高い本県を二番目の調査のフィールドとして選ばれまして、これから4年あまりかけて県民の意識、行動、産業や文化などについて調査を進めます。県としても先生方の調査に積極的にご協力をし、県民の皆さま方にも率直な意見やいろいろな体験をおっしゃっていただいて、先生方と一緒に福井の地で希望を考え、そして1人でも多くの人々が新しいふるさと福井で希望を持って生きるということを考えています。
 希望を持つのは人ですし、ふるさとを作るのも人です。最終的に大事なのは人です。人々がどのように生活するか。どのような気概を持って生きているかです。政治や行政としても希望を持とうと努力し行動する県民をしっかりサポートしなければなりません。幸い福井には学ぶべき歴史と伝統がありますし、人々や土地の繋がりが今なお息づき、きっと我慢強く「希望」を育てようとする県民性があるはずだと思います。

 本日のフォーラムが希望学にとって、また福井県民にとって意義深いものになることを期待申しあげまして、はじめの言葉にいたしたいと思います。
 ありがとうございました。

アンケート
ウェブサイトの品質向上のため、このページのご感想をお聞かせください。

より詳しくご感想をいただける場合は、までメールでお送りください。

お問い合わせ先

(地図・アクセス)
受付時間 月曜日から金曜日 8時30分から17時15分(土曜・日曜・祝日・年末年始を除く)