継体天皇即位1500年記念古代史フォーラムあいさつ

最終更新日 2010年2月4日ページID 000675

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 このページは、平成19年11月25日(日)に明治大学で行われた継体天皇即位1500年記念古代史フォーラムでのあいさつをもとにまとめたものです。

191125あいさつ写真1 本日は、継体天皇御即位1500年にあたり、明治大学の大きなご協力のもと、また読売新聞社のご支援もいただきまして、関係の深い滋賀県高島市、大阪府枚方市そしてわが福井県の3つの自治体が連携し、「古代史フォーラム」の開催が実現したことについて、代表して深く感謝申し上げます。
 継体天皇がお生まれになられた滋賀県高島市、幼少期から即位までの半世紀間をすごした越の国福井県、継体天皇の即位の地である樟葉宮がある大阪府枚方市の3つの地域では、本年を中心に、それぞれ1500年を記念した事業を展開しております。このフォーラムは今年度の事業のいわば集大成とも言えるものです。
 ここ数年、1500年を記念して、様々な準備をしてまいりました。その結果、継体天皇の話題は、地元福井でもこれまであまりなかったのですが、一般の県民の方が名前に挙げるなど、大変盛り上がってきました。様々な研究も進みつつあり、大変うれしく感じております。

 継体天皇に関して研究する拠り所となる文献史料は、現在のところ「古事記」や「日本書紀」そして「上宮記」に限られており、残念ながら非常に少ないです。しかも史料によりその記述内容に大きな差異がありますので、古代史研究にさまざまな謎が生じてきていると同時に、我々一般の者から見ても興味深くしている背景があると思います。今後、考古学的研究は徐々に進むと思われますし、朝鮮半島の歴史や人文的研究も少しずつ明らかになるかもしれません。
 さて、「日本書紀」によると、継体天皇の父・彦主人王(ひこうしおう)は、越前の国・三国の坂中井(さかない)という地の豪族の娘・振媛(ふりひめ)を妻として近江高島に迎え、継体天皇はそのお二人の間に生まれられ、その後、幼い頃に父を亡くし、母の故郷である越の国に再び移り住み、ヤマトから請われて58歳で即位するまでの間を越前で過ごされたとされています。
 継体天皇が生まれた近江高島は、父・彦主人王(ひこうしおう)の別邸のあったところで、継体天皇の擁立に大きな力を果たした豪族三尾氏の拠点の1つであります。継体天皇は婚姻によって三尾氏など近江、尾張、山背(やましろ)、河内など各地の有力豪族との関係を深めていき、鉄などの資源の産地を押さえるとともに、瀬戸内海や伊勢湾などの海運・水運を掌握しながら、勢力基盤を確立していったと考えられます。
 また、母・振媛(ふりひめ)が継体天皇を育てられた当時のわが越の国は、日本海に面し、山陰、九州、そして大陸や朝鮮半島との交流が盛んで、極めて高いレベルの技術や文化、そして思想を取り入れていきました。ご承知と思いますが、昨年生誕50年を迎えた「コシヒカリ」は、我が福井県で誕生したお米なのです。越の国の「コシ」です。このように、越の国は、お米の生産力も昔から大変高かったのです。
 継体天皇はこうした政治力と経済力を背景に、後にヤマト王権を治めるに足る力を蓄えていかれたと考えています。そして、淀川水系を利用し、瀬戸内海を通じて九州、朝鮮半島に向けて実力を示すための一大拠点として都を樟葉宮におかれました。
 我々継体天皇を代表する3つの地方では、このように、中央から離れた地で将来の天皇を育て支えたふるさとの歴史に対して、自信と誇りそして親しみを持ちながら、顕彰活動に取り組んでいるところであります。

 今日出掛けに、子どもの世界史の教科書を見てまいりました。中国では、ちょうどその頃漢が滅び、南北朝の混乱期でありました。中近東では、ギリシャの影響を受けたゾロアスター教を国教としたササン朝ペルシアというのが起こった時期です。東南アジアでは、メコン川流域にヒンズー教のカンボジア王国が起こっております。そしてヨーロッパではゲルマン民族の移動の直後フランク王国が起こった時期かと思います。日本史の教科書を見ましたところ、この時代は「大王」「大王勢力」「大王軍」と書かれ、具体的に継体天皇の名前がはっきり出ていない教科書が割合多いかと思います。
 今後、継体天皇の足跡について、文献史学や考古学などに留まらず、民俗学や地理学など総合的に取り組むことにより、様々な謎を解明していただきたいと思います。
 今週、11月21日(水)に、NHK総合テレビで「その時歴史が動いた~継体天皇ヤマトを救う~」という番組が放送され、ご覧いただいたかと思いますが、ますます様々な謎やロマンがある世界だと思っています。

 さて、継体天皇が1500年後の今、生きておられるとしたら、何を思われるであろうと考えているのですが、継体天皇は、先進的、合理的な精神の持ち主であったのではないかと推測します。継体天皇は、現代において我々の生活の身近なところで今なお力強く息づいています。 

191125あいさつ写真2  福井の産業界には、伝統産業から先端産業にいたるまで、ナンバーワン、オンリーワンの技術が多く存在しています。
 一方、漆器や和紙などの伝統産業の起源には継体天皇が関わっているとする伝説が多く残されています。おそらく朝鮮半島から伝来した文化と当地の職人の技術とが結びつき、新しい産業として花開いたものだと思います。
 そうした、その時代において常に先進的なものを求めていくものづくりの精神が、現代に受け継がれ、福井の産業を支える大きな原動力となっており、まさに継体天王の偉大な遺産であると言えます。
 また、継体天皇が越の国に住んでいた当時、現在の福井平野は大きな湖沼であって、そこに九頭竜川など3つの大河が注ぎ込んでいました。人々は大雨のたびに水害に見舞われ苦しんだといいます。
 そこで、継体天皇は、河口に水門を開き、湖沼の水を日本海へ流出させ、その跡を一大田園地帯として開拓するとともに、水運、灌漑のための水路をつくったといわれております。
 作家の司馬遼太郎が、著書「街道を行く」の中で述べていますが、継体天皇の時代から、九頭竜川を中心に灌漑事業が進んでいたのであります。治水伝説もあります。
 きっと、継体天皇は1500年たった今も、防災の技術はあまり進んでいないと思っておられるかもしれません。

 ゆかりの各地域においては、継体天皇の伝説を、尊敬と親愛をもって語り伝え、地域おこしへとつなげる活動が展開されています。
 福井市の中心部、継体天皇が治めた九頭竜川を見下ろす足羽山の山頂には、継体天皇の石像が建っています。これは明治16年に足羽山の石工たちの奉仕によってつくられたものであります。穏やかな表情で建っているお姿には、福井県民の継体天皇に対する尊敬と親愛の心が込められています。
 継体天皇にまつわる多くの伝承が残る福井県鯖江市の河和田地区は、3年前、福井豪雨で甚大な被害を受けました。しかし、地元の人たちは、継体天皇伝承を復興の原動力として住民あげて整備を進め、現在では、清らかな水がとうとうと流れる古代ロマンあふれる憩いの場所となっています。
 継体天皇を地域の誇りの象徴として地域づくりの拠り所とし、地方の元気を盛り上げていくこともまた、地方で活躍した継体天皇が遺した財産であります。
 日本人の歴史や伝統を、あまり理由をつけることなく、住民の心と行動の中に引き継いでいることに、継体天皇は感謝されているかもしれません。

 継体天皇は、即位前から朝鮮半島との関係を重視し、独自に交流を進め、新しい文化や思想を吸収することに熱心であったといわれます。また、常に他の地方に目を向け、資源や技術など取り入れるべきものを積極的に取り入れ、越の国を経済的に豊かな国に育てました。
 1500年を経た今、まさにアジア、特に日本海を中心とした東アジアの時代を迎えております。
 現代においても、常に外に目を向け、新たなものや情報に対する意識を高め、情報を政治的に活用して、地域を活性化し、発展させる手立てとなるということを、継体天皇は教えてくれています。

 継体天皇は、越の国だけの力でトップに上がることができたわけではありません。尾張、近江、美濃など、地方の豪族の力を結集したことが即位への原動力となったわけです。地方同士がそれぞれの個性を活かしながら連携して力を高め合い、中央を変えていくという、現代の地方分権の望むべき姿に似たものがあると感じています。

 1500年前の政治家が何を考え、どのように一国を治めたのか、その姿が明らかになることは、今を生きる我々に示唆を与えるものであると信じています。

 ふるさとの歴史に理解を深めることは、地域の文化力を高めるとともに、住民の地域に対する自信や誇りの醸成につながり、地域の活性化のきっかけになります。地域が元気になることは、当然ながら日本全体の元気につながります。
 今後、さらに歴史研究が進み、人々の歴史に対する関心が高まり、日本の文化が深まりを増して、発展していくきっかけになることを期待しています。

 日本書紀によれば、継体天皇は58歳にして即位されたあと25年間在位し、古代国家の形成に向けてヤマトを統治されたとのことであります。
 即位1500年の今年を、継体天皇の顕彰事業の始まりの年と位置づけ、まずはこれからの25年間、今回の事業をきっかけに高まってきた住民の熱意を継続させて地域づくりにつなげるとともに、ゆかりの地として集まった自治体間の交流を深め、未来に向けて地域の力が育っていくことになればと考えております。

 これから様々な研究が進むと思いますが、研究を行うごとに少しずつ、新しい学問の展開と謎が解明されることが重要でありますし、今ある様々な文献や考古学的文化的資料も、できるだけ体系的に、国民にも分かりやすくする努力をもっと進める必要があると思います。
 本日はそうした意味で大変有意義なフォーラムになることを期待して、本日の主催自治体を代表してのごあいさつといたします。

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