橋本左内坐像寄贈および同ブロンズ像除幕式あいさつ

最終更新日 2010年3月23日ページID 011077

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 このページは、平成22年3月23日(火)に荒川ふるさと会館で行われた、橋本左内坐像寄贈および同ブロンズ像除幕式での知事あいさつをまとめたものです。

 ご紹介をいただきました福井県知事の西川一誠でございます。本日の式典の開催に当たりまして、一言お祝い申し上げます。220323あいさつ写真1

 本日は、東京は日が差しておりますが、福井はちょっと曇っていたような感じでした。梅が大体終わりまして、桜も大分膨らんでおりますが、まだ少し固い感じであります。今はレンギョウとか、サンシュユといいますか、間もなく3月末、また4月になりますと、これらの黄色い花が開花するかなという状況であります。

 こうしたよい季節になりましたが、今回、橋本左内の坐像の寄贈、そしてブロンズ像の除幕式にご案内をいただきました。喜んで参上してまいりました。

 西川区長とは長いお付き合いで、かねてからご指導いただいております。また、様々なご縁で、荒川区民の皆様、特に本日ご出席の皆様にご支援とご厚意をいただいているところでありまして、厚くお礼申し上げます。

 さて、橋本左内先生でありますが、申し上げるまでもなく、福井が生んだ幕末の偉大なる政治思想家であります。

 幕末維新に活躍した福井藩主、松平春嶽公に抜擢をされ、その懐刀として、世界的な視野に立った外交論を展開し、将軍継嗣問題にも関わった方であります。

 左内については、西郷隆盛が「才学器識(さいがくきしき)、豈(あ)に吾輩の企及(ききゅう)するところならんや」と言ったとされるように、俊秀で優れた器量・見識を有しており、将来を嘱望されておりました。しかし、昨年がちょうど150周年でありました安政の大獄により、25歳の若さで夢半ばにして倒れました。左内の友人によって小塚原回向院に葬られ、墓が建立され、皆様に今日まで供養そしてお世話をいただいておりまして、感謝申し上げる次第であります。

 福井県民は、左内の非業の死を悼みつつ、その業績や人柄を心から尊敬し、折に触れて記念事業を行ってまいりました。昭和8年には、本県出身の県人たちの浄財により、このお墓に套堂(さやどう)も建立されたところであります。

 この套堂は、回向院境内再整備の際に取り壊されることになりましたが、昨年、荒川区の関係者の皆様のご尽力により、ここ荒川ふるさと文化館において見事に復元していただいたところであります。関係者の皆様に心からお礼申し上げます。

 さて、先ほど、橋本左内の坐像を寄贈させていただきましたが、これは、荒川区から「套堂に納める左内像を製作するに当たり、参考になる資料がないか」というお話をいただいて、今回実現したものであります。

 当初は資料が見つからず、困っていましたが、「荒川区と福井県の今後の友好発展に役立つのであれば」ということで、福井県で企業経営をされている清川忠社長のご篤志により坐像をいただいたわけでございます。本日、無事、寄贈することができ、大変満足な気持ちでおります。220323あいさつ写真2

 荒川区では、この坐像を参考に、区の無形文化財保持者でいらっしゃいます菓子満(かし・みつる)さんが、さらにもう一体大きな形の素晴らしいブロンズ像を製作されたと聞いており、誠にご同慶にたえないところであります。

 本日このような素晴らしい式典を迎えられたのは、西川区長をはじめ、荒川区の多くの関係者の皆様の左内先生への思い、そして、我々福井県との友好を今後も深めていきたいという強いお気持ちによるものであると信じております。福井県民として、強く感銘を受けており、皆様に心から感謝申し上げます。

 そのほか、荒川区には、様々な歴史的なご縁もございまして、先ほど吉村昭先生、津村節子先生についても区長からお話もありましたが、これらの関係を大事にして、荒川区民の皆さんそして何といっても、両区県の子どもたちの交流などをさらに深めていただければありがたく思うのであります。

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