教職員初任者研修における知事講話

最終更新日 2010年4月2日ページID 011256

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 このページは、平成22年4月2日(金)に福井県立青少年センターで行われた、教職員初任者研修での知事講話をまとめたものです。

220402講演写真1 こんにちは。皆さんに初めてこのような形でお話しする機会をいただきありがとうございます。
 今日は、学力・体力日本一の福井県の子どもたちの将来のために、知事として皆さんにお話をしたいと思い、30分という短い時間ですがいただきました。

  それでは、私からは、教育の考え方、次に教え方、最後に読書についての3点について思うことを申し上げます。
 皆さんの中には直接授業を担当する方もおられますし、先生と協力して間接的に学校を運営したりバックアップしたりする職員の方もおられます。主に学校一般のことについて話しますので、それぞれの仕事で類推してください。

 まずはじめに、教育の考え方についてですが、その入口の話を少々します。
 ここに本日の朝刊があります。この中に「教科書より先生」というコラム記事があります。教科書の内容が指導要領の改訂によって来年から2~3割増えることについて、編集部(毎日新聞)の女性記者が、自分の子どもはゆとり教育の中であっても、教師の工夫によりうまくいったという経験を述べており、逆に詰め込み教育、ゆとりからの脱却教育になった場合であっても、おそらく教科書の分量ではなく先生方の教え方次第で良くなるだろうと書いておられます。つまり「教科書より先生」ということであり、これは基本的に大事なことかもしれないのです。

 さて、昨日は4月1日でした。その数週間前は立春でしたが、皆さんは生の卵を机の上に立てることができるでしょうか。コロンブスのように卵を割らないで、机の上に立てられるかということです。これは「立春の卵」といって、物理学者で石川県出身の故中谷宇吉郎が本に書いています。立春には立つという面白いエピソードからきた話です。皆さんも家で一度立ててみてください。チャレンジすると5分ぐらいで立てられるかもしれませんし、立てられないかもしれません。教育の現場で何かが出来るか出来ないかということと、実際皆さんがやってみて、できるかできないかを思うこととは全然違うことです。一度ためしてみてその後、中谷博士の「立春の卵」を読んでみてください。今日申し上げることの意味が分かると思います。

 では、本論に入りますが、まずは教育についての基本論です。
 一つ目は、人の一生、つまり子どもたちの一生にとって、絶えずそこに先生がいるという事実のことです。
 私は伝記を読むのが好きで、有名な人の伝記の中には「絶えず自分(子ども)を認めてくれた」、「助言をしてくれた」、「自分のお母さんにあなたの子どもはこうだよと応援してくれた」、「一言だったが優しいほめ言葉をかけてくれた」など、先生の言葉によって自分の一生が今あるということが書かれています。人の一生に必ず先生あり、どこかに先生がいるのだ、ということを忘れないでほしいのです。

 二つ目は、一人の先生の力でかなりのことができるとは思いますが、一人の努力では限度があるということです。
 自分だけでやっていると10年、20年しますと、だんだん自己のレベルが下がるおそれがあると思います。仲間や学校、あるいは広く外部の人と、いろんなサークルをつくったり勉強したりしないと、先生の個人レベルは世の進歩に対して下がっていきます。レベルが下がらないようにしてほしい、上がるよう努力してほしいのです。

 三つ目は、学力、体力など、学校現場でさまざま「力」という話が出てきたときの注意です。
 ニュートンの法則は力学の分野ですね。教育の分野では力は応用力、読解力など数えてゆくと20種類くらい力という名があるのではないでしょうか。何々力というものが出てきたときには注意してください。自分が言うときも他人の話を聞いたときも、どういう意味で言っているのか気をつけてほしいのです。
 力だけたくさん発明しても、あまり教育効果はないのではないかと思います。こうした沢山の力を、子どもたちだけに求めていくことが問題であります。子どもに一方的に求めてもあまり子どもから力は出てきません。まず皆さんが力を出さないといけません。皆さんが熱意を持って、教育の技術を尽くして、信頼関係をつくって、はじめて子どもの中にあるはずの力やエネルギー、心の魂が共鳴して、子どもたちが動くはずです。子どもの中に無限の力があるような考え方は、避けた方がよいと思います。むしろ皆さんに力があるはずであり、だからこそ先生の道を選ばれたのではないでしょうか。何らかの方法で力を発揮していくのが教師の仕事であります。
 ときどき先輩の先生方で、子どもたちから毎日元気やエネルギーをもらっている、とおっしゃる方がいますがそれは逆です。子どもたちに、光やエネルギーを与えるのが皆さんの仕事であります。決して逆にならないようにお願いします。

 四つ目ですが、子どもは学校の中ですごい速さで成長します。
 皆さんの場合に比べて10倍くらいの速さだと思います。なぜなら、子どもは10年ほどで大人になりますが、皆さんは今から40年ほどで熟年になります。そこだけでもう5倍くらいの差があります。それを強く意識した教育をしてください。私はマニフェストで「きたえる教育」、「ていねいな教育」を教育現場に要請しています。ゆっくりしていると、子どもにとってかけがえのない大事な時間の中で、先生方の力を注ぐことができなくなります。子どもの成長の早さに注意して、教育に努力してほしいのです。子どもたちは絶えず成長しますが、皆さんの力でしか大人になれないのです。甘やかせた教育はいけないし、本当の意味で鍛えないといけません。もし「きたえる教育」、「ていねいな教育」をしないと、将来子どもたちは皆さんを尊敬しないと思います。しっかり鍛えてもらわないと、小学生が高校生になったとき、また教え子が大人になったときに、皆さんに教えてもらったことを決してありがたく思わないはずです。

 次に大きな2つ目のこと、教え方についてです。
 教育技術を高めることは、皆さんの大事な仕事であり、教育に携わる者にとっては一生の仕事であり、無限の可能性のあるフロンティアであります。さいわい何をなすべきかがはっきりしていますから、いかに有効に教えるかというのは、技術や仕方が上手いかどうかに関わります。世の中は変化しますので、努力しないと教え方は下手になります。教え方の工夫を絶えずしてほしいと思います。

 先生はよく「いつも一人ひとりの生徒に向き合わなければならない」とか「クラスに30人いて、性格や能力、発達段階がさまざまであり、教えるのが大変」、「一人ひとりと十分な時間が取れない」などとおっしゃいます。それも大事なことですが、教え方の技術のレベルを全体的に上げていかないと、そういった問題にもうまく対応できません。皆さんの技術が上がっていないのに、子ども一人ひとりにどう向き合ったらいいのかだけを考えても、解決できません。そういうことに気をつけていただきたい。

 関連して、私自身が自分の子どもたちを育ててきて、考えたことや自分が教育を受けて気になったことを申し上げます。

 まず、あることを教えるときに、その一つ上の段階のことを子どもたちに分からせるという教え方が大事だということです。教科書にはあまり書いてないかもしれませんが、皆さんが教える時には、何か一つ上のことを勉強して教えてください。例えば、光はレンズを通ると屈折するという授業で、なぜ曲がるのかを教えられるか、という話です。おそらく実験をして曲がるとか、虚像や実像ができるとか教えると思いますが、「なぜ曲がるのか」、「光は水の中に入るとなぜ屈折しなければならないのか」というようなことを理解して教えているかということです。他の分野でも同じことがいえます。私は数学を勉強したときに「因数分解は何のためにするのか」、「どれくらい重要なのか」、「これは思いついてできるものか、覚えていればよいものか」と思いました。一つ上の話を頭に入れて教えてほしいものです。

 それから、子どもたちの思考力をつけるのに、ことさら秘密めいた教え方をしてほしくないと思います。「どうだ?分かるか?」とか言って、なかなか答えを示さない、あまりミステリアスな教え方は良くありません。高校の先生は数学について詳しい答えをあらかじめ生徒に与えておくのが、個人的な意見かもしれませんが私はよいと思います。

 また、英語は、小学校、中学校、高等学校を通して、その教授法は極めて重要だと言って言い過ぎではないでしょう。できればNHKの基礎英語はⅠでもⅡでもⅢでもいいのですが聞いてください。毎日聴いていると教え方がきっと変わると思います。

 最後に先生の読書についてであります。
 やはり本を読んだりラジオを聴いたり、さまざまインプットの質量が蓄積できなければ、先生という名前は付いていても立派な先生にはなれないと思います。これからもよい本をたくさん読んでください。誰もが読んでいないが読まなければならないクラシックな本というのはあるわけですから、これをまず読んでほしいと思います。

 ちょうど今、ここに来る車中でラジオを聞いていました。4月から文学のカルチャー番組が始まり、ジェーン・オースチンという英国の女性小説家についての30回のシリーズです。その頃の文学や英国社会についてなかなか面白い話をしていました。150年ほど前に「高慢と偏見」という小説を書いた人です。夏目漱石が英国の文学者の中で、オースチンを最良の作家であると言っています。再放送を聴いてみてください。そして面白かったら何回か聞いてもらうとよいと思います。

 私はいろんな作家の全集を読みます。特に井伏鱒二が好きで、30数巻、(本の幅が)並べると1メートル以上あります。後と前の巻から交互に読んでいって、だんだん真ん中になるように読みました。作家の死ぬ前と駆け出しの頃の作品から、まず好きなようにして読むのです。皆さんにも好みの作家や分野の本をライフワークで読んでほしいと思います。教育に関する本、国語や日本史・世界史の教科書に出てきて、名前は知っているが読んだことのない本を読むのが成功の近道です。220402講演写真2

 例えば、福井市出身の岡倉天心の「茶の本」は、もとは英語の本で30分ほどで読めますので、ぜひ読んでみてください。また、これから学校で漢字を教えないといけませんから、白川静先生の本も読んでみてください。さらに、幼少期を鯖江で過ごした近松門左衛門の作品「国姓爺合戦」などもあります。日本の古典をいろいろ勉強してください。

 なお、私がそのようなものについて書き綴ったものが、私のホームページwww.nishikawa-issei.com/に出ていますので、検索して関係あるところを読み、参考にしてください。

 以上で私の講話を終わります。

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