福井県立大学知事特別講義 「『ふるさと』の発想で新しい時代を拓く」

最終更新日 2010年7月5日ページID 012266

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 このページは、平成22年7月5日(月)に福井県立大学で行われた、知事特別講義をまとめたものです。

220705講演写真1 本日の講義は「『ふるさと』の発想で新しい時代を拓く」というタイトルでお話ししますが、限られた時間ですので、詳細については私が岩波新書から出版した「『ふるさと』の発想」を購入し、読んでください。

 さて、先日上京した時、総務省の面接官から、採用試験の受験者の約半数が「『ふるさと』の発想」を読んでいると聞きました。

 また、最近の大学入試問題もこの本から出題されています。第4章に「『ふるさと』という発想」というところがあり、ここが試験問題に出ます。問題のタイプは大体決まっており、例えば論文問題ですと「新しいふるさととはどういうものか。文章の内容に即して600字程度で説明しなさい」、「この場合、新しいふるさとは、成立が可能と思うか、それとも成立不可能と思うか」。

 今日の話はここに尽きます。ですから、おそらく皆さんのレポートのポイントもここにあると思ってください。

 経済学を専攻していると、ケインズという人の名前を聞いたことがあると思いますが、彼の本は読むと退屈です。そして最後までなかなか行き着かないのです。しかし、経済学本体ではなく、政治や文化が書いてあるところを読むと面白いと思いますから、経済学を専攻した以上は、一度は読んでください。

 ケインズはニューディール政策の根拠となった「有効需要の原理」を発明した人ですが、経済学というものは世の中で一番重要な学問ではない、我々人間が経済学だけで世の中を考えるのは不都合だと言っています。そして、国やその時々の社会の状況によって経済政策が異なるだろうという考えの持ち主です。

 皆さんも、この人の考えを絶対であると受け止める必要はありませんが、一度そういう考え方で経済政策というものを見てほしいと思います。
 これが今日の2つ目のテーマです。

 これが、だいたいの大きな話の筋ですが、総論としてもう少し具体的な話をしていきたいと思います。

 この本は、はじめは地方という言葉で、我々の田舎、大都市問題あるいは地方分権のことを論じていますが、第四章からは「ふるさと」という言葉を使っています。

 本の106ページに次のように書いてあります。
 「これまでは一般的な意味として『地方』という用語を使って、福井の暮らしの様子、地方と都市との関係、国土政策と地方の格差、一連の地方分権改革の意味などを述べてきた。本章からはこの『地方』という言い方に代えて、『ふるさと』という昔からだれもが使ってきた言葉を使う」
 いろんなところで好んで使われる言葉をキーワードにして、都市と地方の新しい見方を提案しますという言い方で、後半を書いています。

 皆さんも論文やレポートを書くときに、起承転結でいえば「転」のところで独自の考え方を少しだけ編み出して、「私はここをこのように考えたいので、こういうタイプの言葉を使って結論を述べます」というようなことをしてみるとよいと思います。そうすると、論文が生き生きして、深みが増すと思います。一度チャレンジしてみてください。

 今、福井県では希望学という研究をしています。先ほど経済の話、ケインズの話をしましたが、人間にとって何が一番大事かというと、やはり希望とか夢のことではないでしょうか。それが一体どういったものであるか、あるいは政治や行政がこれにどのように関わったらいいかという研究を東京大学の希望学プロジェクトと連携して行っています。

 このフィールドワークは福井県と岩手県の釜石というまちです。
 釜石は、皆さんも高校あるいは中学校の地理で勉強したと思いますが、製鉄という重厚長大の産業が高度成長以降衰退し、疲弊しています。そういう地域で、地域的にどういう希望を抱いて、まちづくりが進められているのかというようなことが論じられています。

 もう一つのフィールドはこの福井県です。つまり三世帯同居、共働き率日本一、健康長寿、あるいは学力・体力も日本一、こういう恵まれた地域に住む人の希望はどういう内容で、どういう方向なのかということを対比して研究しているわけです。

 学者によると、希望は英語で「Hope is a wish for something to come true by action」という定義のようです。Hope(希望)というのはwish(願い)であり、具体的な何かをaction(行動)によって実現しようとする願望であります。思うだけでは実現しませんから、地域の住民があることを願って、みんながどのような行動をするのかという研究を重視してフィールドワークを行っています。

 この希望学と深く関わっている政治学者に、フランスのトクヴィルという学者がいます。彼の著書で一番有名なのは「アメリカのデモクラシー」という本です。これは19世紀前半ぐらいのアメリカの状況を調査して見解を述べたもので、是非皆さんに読んでいただきたい本です。

 それからフランス革命前後のアンシャン・レジーム、また1848年の2月革命のドキュメンタリーみたいな本もあります。彼は学者でしたが国会議員でもあり、革命後の共和政の外相となりました。国会議員の現場から、革命が起こり、進展する様子について、いろいろな人物がそれに乗り、流されてゆく様子が書いてあります。目の前で、我々がその現場にいるような形で書いたものです。政治と経済を勉強する場合に、一読する値うちのある本であり、面白くよく分かります。

 彼が希望学の出発点となっています。新しい社会には新しい政治学が、それから新しい考えには新しい言葉がいるとも言っています。私は、新しい社会には新しい経済学も必要だと思っています。

 先ほど述べたように、皆さんが何か新しいことを考えて書く場合には、新しい言葉を是非自分で発明してください。自分の言葉です。人の言葉ではありません。自分の言葉ほどすばらしいものはありません。人の言葉はあまり理解できません。
 今日は私が話をしていますがこれは私の話ですから、学生の諸君には自分で腑に落ちるところ落ちないところがあると思います。自分で考えたものが一番素晴らしい考えです。

 それからもう一つは、皆さんこれから就活をすると思います。この7月1日には就活をサポートするキャリアセンターがこの県立大学の交流センターの1階のロビーに開設されました。

 スタッフもこれまで2人だったのを5人にして、相談室も2室配していますから、就職の問題などについて遠慮なく相談に行ってください。全国にあまりない充実した体制になっていますから、将来に繋げてください。

 それでは本題に入ります。
 まず一つ申し上げたいことは、これから日本をどのように変え、活力を与えるかということです。つまり「ふるさと」の成立は可能かという議論になります。

 その前提として都市と地方の実際を知ってほしい。
 一つは大都市と地方は対立をしているという考えがあります。それから大都市が地方を養っている、つまり大都市で得られる税金を地方に配分してあげている、都市に資源を集めて都市が発展すれば地方への分配が増え地方のためにもなる、という発想が正しいかです。こうした議論の根拠についてはアメリカのレーガン政権時代からの発想があると思います。「トリクルダウン理論」と一般にカタカナでは言われています。結婚式に行くと、グラスがたくさん積み上げてあって、上からシャンパンを注ぐと、ずっと下まで流れていくのがあります。上からものを注ぐと中央から四方に自然に流れ落ちて、みんなそれなりに幸せになれるという発想です。この考えが正しいかどうか、そうではないということが、この「『ふるさと』の発想」の本に書いてあると思ってください。

 こういう考えが広まる原因の一つに情報の問題があります。情報センサスという統計があるのですが、東京から発信される情報量は全国の約4分の1あります。それに対して、下位33県全部を合計しても、10%にもなりません。圧倒的に情報量の差があります。

 TVのバラエティ番組などを見ていると、出演者がみな知らずしらず東京の目で論じています。「東京バイアス」、つまり歪みが生じているということです。何とかしてこういった状況を変えていかなければなりません。

 明治時代の頃はこんな考え方はありません。正岡子規をご存知でしょうか。明治維新の年の生まれで、35歳で結核のため亡くなりました。彼の本を読むと、東京は非常に問題が多い、乱れている、空気が悪い、これを何とか我々が田舎から直さないといけない、こういう発想です。彼は愛媛県の松山出身ですが、東京へ出て東京の文化を変えると言っていました。本当は政治を変えたかったのですが、病気になったため文化の方へ転換したようです。

 それから、同じ明治時代の人で羽仁もと子さんという人がいます。彼女は青森県の八戸出身ですが、世界の歴史あるいは日本の歴史でも、世の中を変えていくのは田舎者だ、田舎者が勝つとまで言っています。

 それから百年余り経っていますが、田舎と地方をどのような考え方、どういう視点で変えていくかがテーマかと思います。ですから今の考え方を少しずつ変えていく必要がある。

 福井県も、毎年3,000人の学生が県外の大学に進学し、4年後には1,000人しか戻ってきません。2,000人はそのまま県外で就職するのです。
 では福井県内の大学への進学者はどうかというと、毎年1,800人の入学者があり、そのうち1,000人が県内からの進学者です。800人が県外から来ているという状況です。県外からの進学者は卒業するとほとんど県外に戻ります。
 他の県も同じ状況です。何千人か出て戻らない、都会へ人材を供給しているのです。

 こういうことを考えると、東京や大阪が地方を養っているというよりも、我々が都会を養っていると考えるべきでしょう。

 私はふるさと納税などいろんな制度を提案しています。また、地方の知事が連携して、東京や大阪を経由しないで、地域を「ローカル・アンド・ローカル」で発展させようという考えを持っていますが、まだこれは緒についたばかりという状況です。

 最近、宮崎県の口蹄疫の問題が発生し、福井県からも呼びかけて、ふるさと納税を使って宮崎県を応援しようという提案をしました。宮崎県は寄付金が1億円を超えたかもしれません。

 この本にも書いていますが、こうした大都市への一極集中、あるいは産業の集中とかいうのは、自然にできたものではありません。特に明治以降、あるいは戦後の高度成長を通じて主に大都市に資本を投下した結果だと思います。さらに政策的な国土政策、あるいは産業政策による結果としてこのようになっていると思ったほうがよいかもしれません。

 福井県の一世帯あたり貯蓄現在高は全国トップクラスです。福井県ほど極端でなくても、田舎の県はだいたい貯金をして、そのお金が都会で使われているのです。

 電気もそうです。若狭地方で関西全体の半分を賄っています。滋賀、大阪、奈良、京都、兵庫、和歌山で使用する半分の電力が福井県から送られているのです。もちろん、料金は払っているのだから、何も問題ないだろうということかもしれません。

 しかしそうはいきません。もし福井県が別の国だったら大変です。シンガポールとマレーシアの水の問題、あるいはロシアとヨーロッパのガスの問題などいろいろあります。みな資源の問題です。同じ国内だから供給ができているわけであり、決して大都市が自分の足で立っているようには思えません。

 昔は集団就職というものがあり、毎年何万人もの人が集団就職のため列車で上野駅にやってきました。当時のヒットソングというのは、大体そういう人たちの心にしみる歌がほとんどです。先生や仲介をする人たちが、まだ学生服を着た子供たちを連れてくるわけですから、いかにも田舎に住みたいが大都市へやむを得ず働きに来たというイメージがあります。

 県外の大学に毎年3,000人進学するのは、別に嫌で行くわけではないですし、あまり人の目に映りません。しかし経済学的に考えると、そんなに構造は変わらないのかもしれません。

 実は福井県にも、多くの人が集団就職でやってきました。福井県は繊維の産地で、当時の繊維企業の社長の一番大事な関心事は、いかに仕事をしてくれる人に九州や東北から来てもらうかということでした。

 つまり、当時も大都市に産業が集中していたが、まだ福井にも集団就職を九州や東北に求める産業があり、人を集めるということも平行して行われていたということです。そういう状況を念頭に入れてほしいと思います。

 それから「ふるさと」という考え方もいろいろ変わっています。高度成長以前の集団就職の子どもたちは、お盆が近づくと、早く田舎に帰りたい、お父さんやお母さんに会いたいということで仕事が手につかないくらいでした。それがその当時のふるさと感でした。

 時が少し経つと変わってきます。生活も豊かになり、そのような深刻なふるさと感はありません。例えば、山口百恵や五木さんの歌を聴くと、どこにでもふるさとはあるというような言葉になってきました。
 ふるさとは福井県だけではない、観光的というかカタログ的になってきて、歌もそのように変わってきました。

 今はどうでしょうか。皆さんが知っている歌に「ふるさと」という言葉はあるでしょうか。聞いたことがないでしょう。

 今は3番目の段階だと思います。ふるさとはどこにでもあるから、自分でふるさとをつくろうではないかという段階です。主体的である、自主的である、非強制的である、そういう時代になりつつあるという発想です。

 新聞を毎日読んでいると、皆さんそれぞれ地域で頑張っている様子が伺えます。コウノトリがどうしたとか、小浜であればオバマ大統領を応援するとか、みんな勝手に楽しく地域を盛りあげようとしています。

 数日前に上京した際、夕刊を読んでいたら、オリオン電機という、福井に本社機能を置く会社が載っていました。枚方市にも工場がありますが、越前市に工場を持っています。地元の人材を中心に頑張っており、社長は福井に本社を置き続けると言っています。なぜかというと、福井県は教育の程度が高く、社員の満足度も高い。オリオン電機という会社は長男、長女の割合が8割だそうです。こういう会社が一例としてあるわけです。だんだんとこういう企業が増えるといいと思います。

 私は、全国の11の知事とネットワークを通じて、地方独自で頑張っていこうという「ふるさと知事ネットワーク」というものをつくりました。これら11県が連携して、3つのことを進めようとしています。

 そして行動としては、一つは、地方の共通の課題をまとめて、メディアや場合によっては政治に提案していこうというものです。

 最近はグローバルの時代ですから、ベトナムや中国、インドに企業が行ってしまうおそれがあります。地方に企業を誘導する政策、あるいはこの大学もそうですが、地方の大学と東京、大阪の大学との連携、東京や大阪の大学の学生や先生を地方にどのように来てもらうか、そういう提案などをしています。

 また、地方に企業が立地した場合に、投資減税や特別償却など、いろんな優遇制度を設けようではないかという提案です。

 二つ目は、11県あるのでそれぞれの県がリーダーになって、自分のやりたいテーマを決めて、それに参加する他の県のグループが一緒になって、いろいろな勉強するということです。

 その中の一つとして、福井県がリードしようとしているのが、希望学に関係して、地方の声や希望をどのようにして指標化できるかという研究です。全11県が参加しています。

 現に、フランスのサルコジ大統領は、GDPの計算方法を見直し、余暇の長さや医療の充実ぶりなどの「幸福度」の要素を加味すべきとの新しい考え方を示しています。この研究では、現在幸せかどうかを測る「幸福度」の視点を超えて、国民一人ひとりが将来に「希望」を持って、具体的な「行動」につなげていってもらえるような生活実感を伴った新しい指標を開発しようとしています。これはかなり難しいかもしれません。ブータンの幸福度とも関係するかもしれませんが、希望度は未来に向けてのものです。こういう新しいやり方を考えていこうということです。

 三つ目は、それぞれの県が特色あるものを互いに東京を経由しないでやり取りしようではないかということです。

 11県の間でそれぞれの自慢の農産物をお互いに売ろうではないかという試みを始めました。その第一弾として、先月末に、山形県のさくらんぼを福井県で、また福井県のウメやミディトマトを山形県で販売しました。今後このような交換を広げていきたいと思います。

 皆さんはNHK大河ドラマの龍馬伝をテレビで時々見ているかもしれません。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という歴史小説がありますが、一体竜馬はどこへ向って行ったと思いますか。実は福井へ行ったのです。文春文庫の最終8巻目のほとんど終章に近いところに書いてあります。

 何をするために竜馬は福井に行ったのかということですが、由利公正に会いに行ったのです。彼は皆さんの勉強と関係する財務、会計、税制、金融の専門家でした。他にこれを知っている技術者はいませんでした。220705講演写真2

 当時、由利公正は謹慎中でしたが、謹慎から解放して、江戸で新しい政権の金融、ファイナンス、財務をやってほしいということで、救い出しに福井に来るわけです。そして、福井の殿様といろいろなやり取りをして、安心して帰り、その数日後に暗殺されます。「竜馬がゆく」というのは「越前へゆく」という意味だと私は思っています。一度そのように読んでみてください。

 先日の大河ドラマでも放映されていましたが、松平春嶽は竜馬に何千両か貸しています。返さなくてもいいのかという話ですが、立派な日本を作ればそれは返したことになるのではないかと、かなり太っ腹な話をされています。

 当時は、日本を救うために、地方同士がやり取りをしていろいろなことをやろうとしていました。福井には坂本竜馬がいるし、それぞれの地方がそういうことをきっとやっていたはずです。そういうネットワークの動きをもっと強めていくと面白いと思いますね。

 もっとほかに申し上げたいこともありますが、以上で講義を終わります。



 

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