平成25年度 永平寺町「新たな誓い・立志のつどい」 記念講演

最終更新日 2013年11月20日ページID 025045

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 このページは、平成25年11月6日(水)に上志比文化会館サンサンホールで行なわれた、平成25年度 永平寺町「新たな誓い・立志のつどい」での知事の記念講演をまとめたものです。

 今日は上志比中学、永平寺中学、松岡中学の2年生全員が集まって「新たな誓い・立志のつどい」が行われ、この場にお招きいただきありがとうございます。
 ただ今は皆さんの素晴らしい誓いの言葉、決意表明、永平寺町教育長の講評も聞かせていただいて、大変感銘いたしました。
 

 私も知事になって10年ぐらいになるのですが、生徒の前で話したことはあまりありませんので少し緊張します。大人にしゃべるのは楽なのですが、子どもたちには話しにくいのです。面白い話をしたつもりでも、笑ってもらえなかったりします。そうなると私も調子が出なくて困りますので、今日はできるだけ、少しだけなるほどと思ったらうなずいてほしい、ちょっとだけおもしろかったらニコッとしてほしいと思います(笑)。
 

 世界のホームラン王、王貞治選手をご存知でしょうか。先日日本シリーズがありまして、マー君や内海選手などたくさんの選手が活躍しました。今日は私が皆さんくらいの頃に活躍した選手、一本足打法で有名な王さんからいただいたバットを持ってきました。
 今年、若狭の子どもたちを中心にして、世界中から子どもたちが集まって世界野球が開催されました。その時に王さんが記念にサインしてくれたものです。実際に王さんがこれでホームランを打ったわけではありませんが。実際にこれを握って一本足打法の姿をしてくれたバットです。
 橋本左内の残した有名な言葉に、振気という言葉があります。その気、すなわちガッツですね。自分のエネルギーを発揮する、振気という言葉が「啓発録」に書いてあります。今日持ってきたバットには「気力」と王さんが書いているのです。今から皆さんのところにこのバットを回しますから、話を聞きながらグッと握って字を見てほしいと思います。グリップのところを握ると王さんのエネルギーをもらえますよ。
 【写真】知事講演

 今日は橋本左内先生のお話ですが、今日皆さんが記念にもらった本は「啓発録」の本だと思います。いま私がここに手にしているのはその元になった昔の本を写したものですね。本物ではありません。これは80年ほど前の昭和9年に作られたものです。橋本左内先生の肖像やお墓などいろいろなものが入っています。おそらく橋本左内のご子孫が編集したものですね。今日お話しするためにこれを読んで持ってきました。
 この中にまず、子どもみたいな幼い気持ちを持たないようにしなければならない「稚心を去る」という言葉、そして2番目に「振気」という言葉があります。その気力の気という言葉、王さんがバットに書いたものと同じことが書いてあるのです。
 

 先ほど皆さんが決意発表をされました。「英語をもっと勉強したい」、「立派な大人になりたい」など、いろいろなことをおっしゃいました。
 個人的なことですが、私は福井県丹生郡越前町、旧朝日町の朝日中学の卒業生です。皆さんの決意発表を聞いていて、50数年前を突然思い出しました。中学2年ぐらいのとき、私は先生の勧めで朝日中学校の弁論大会に出ました。今は仕事柄、話す機会が多いのであまり恥ずかしいなどとは思わなくなりましたが、その当時、私は人前で話すのが大嫌いでした。皆さんのお話を聞いていて全然レベルが違うなと思いました。聞いている皆さんの態度もずいぶん違うなと思いました。
 その時に話したテーマも思い出しました。確か「自分の弱さ」という題名で話したと思います。先生からの講評は、中味ではなくてもっと大きな声で話すように言われました。なかなか直らないもので、今の声も小さいかもしれません。当時の記憶を急に思い出しました。小さい声ではあまり良い内容にはならないようです。皆さん、是非とも大きい声で話すように心がけてください。大きい声で話せば、きっと話も良い内容が言えるようになるのではないかと思います。
 

 今日は立志ですから、関連する「座右の銘」という言葉についてお話ししたいと思います。この配られている栞にも書いてあります合言葉は皆の共通の言葉です。一方座右の銘というのは自分だけの一人の言葉ということになります。
 皆さんの中には「座右の銘」をもう決めて持っている人もおられるかもしれません。
 今日は11月6日ですか。11月6日生まれの人はいますか?はい、ちょうど一番前の君が当たり。今までの話を聞いて今思った「座右の銘」もしがあったら言ってみてください。大きな声で、何でもいいから言ってみてください。家に帰ってから違うのが出てきてもいいですよ。
  ※「あきらめない」(男子生徒)
 「あきらめない」、ネバーギブアップですね(笑)。君の座右の銘は「あきらめない」ネバーギブアップ、今の時点でそうしておきます。皆さんも自分の座右の銘を、仮に頭に思い浮かべて聞いてください。
 

 ところで君たちにそのことを聞くだけではだめだから、まず私の座右の銘を申し上げます。まさしくこのような私の態度を、中国の言葉で「まず隗より始めよ」と言います。ちょっとノートに書いてね。「人に何か言う前に自分でやりなさい」ということですね。「遠い国を攻めるよりも、まず近いところから攻めよ」ということですから、皆さんも「易しいところから手をつけよ」という意味です。大きな声で言ってみようか。
  ※「まず隗より始めよ」(生徒全員)
 隗というのは海にある貝ではないよ。難しい漢字だから後で調べてみてください。
 

 他に私の好きな言葉、座右の銘は「親切と感謝」という言葉です。しかしながら皆さんくらいの中学生のときに決めたものではありません。大学に入ったときでも、就職したときでも、結婚したときでも、子どもが生まれたときでも、50歳になったときでもありません。10年前に、知事になるときに決めたものです。それでもまだ遅くないと思い、「親切と感謝」と決めました。簡単であっさりしていますが、実はこのような場で話そうとすると、どちらかを忘れることが多いのです。2つあると1つ忘れてしまう。皆さんは先ほど「3つのことを言います」とおっしゃったのには感心しました。記憶していることそれだけで尊敬してしまいます。「親切と感謝」、特に忘れる方はどちらだと思いますか?はい君、言ってみてくれる?
  ※「親切だと思います」(男子生徒)
 当たり、その通りです。先に「感謝」と言って、その後「親切」を忘れて詰まってしまうのです。もっと問題なのは、「親切」がわりと簡単に先に出てしまうことがあるのです。その後の「感謝」が出ない。このときにはさっきの「感謝」の後の「親切」よりももっと出ない。「感謝と親切」という言葉は易しいけれども、すぐに言葉に出てこないので実は困っているのです。このような私の「座右の銘」です。それなら1つにすれば良いと思うのですが、そういうわけにもいかない。心の中で2つ揃えてから言わなければいけないと、この10年間思っています。
 

 「感謝」を表すときには内心で感謝することと同時に「ありがとう」という言葉があり、相手もわかるけれど、「親切」は心の中で思っていても親切とはなりませんし、また表すほかのやさしい言葉もありません。なぜないと思いますか?考えてみてください。
 これは「親切」ということが、言葉だけではダメだからなのです。行動しないと親切にならない。「ありがとう」は心の中で思うだけでもいいし、表情や言葉に出したりするのも「ありがとう」なのだけれど、「親切」は顔に出すこともほとんどできないし、行動しないとどうも表現が難しい。だから、私は「親切」という言葉が出てこないし、忘れてしまうのです。
 

 今日は、皆さんに講演会に呼んでいただいて「ありがとうございます」と「感謝」しています。では、私はここで皆さんに何を「親切」したら良いのだろう、と考えました。私の心の中では、皆さんに役立つ言葉を説明したり、面白いお話をするのが「親切」だと思ったのです。ですからわざわざこのバットを持ってきました。「親切」をしたいと思っているからです。
 「親切」をするには、まず友達や周りの人に、皆が一緒にいるという他人への「関心」の気持ちを持たなければ始まりません。ちょっと書いてみてくれるかな。
  ※「関心」(生徒たちはメモする)
 その次の段階は、「好意」です。好ましい気持ち、関心に加えて相手に対し、何か良いことをしようとする心の向き方、良い気持ちを相手に持つ「好意」、それがなければ「親切」にまで行きません。
 この親切の良いところは全く才能がいらないことです。思ったらやればいい。実行は難しいけれど、実は易しいのです。相手に関心と好意を持って、親切にすればいい。親切は本を読まなくても自然と知っていますし、準備もいらないのでいつでもどんなときでもできます。
 親切の反対は、不親切、無関心です。私の「座右の銘」は、いろいろなことに関心を持って、好意を持って、親切な仕事をすることです。親切な政治とも言えますが、そういうことを一応いつも心がけています。
 

 今日は立志式ですから、皆さんなりに身近なことについて、座右の銘を立てて、実行してほしいと思っています。
 大事なことを一つ申し上げなければなりません。座右の銘を作るときには、自分の頭だけでは良いアイデアが出ないことがあります。国語で勉強したり、本を読んだり、人の話を聞いて、いろいろな言葉やものの考え方を知らないと、良い考えはなかなか出てこないと思います。本当の座右の銘にはやや準備がいることを忘れないでください。今日のところは、そんな難しいことを言うつもりはありません。
 私は小中学校の頃、国語の授業は…でした。図書館には一度も行き…でした。高校でも行ってい…です(笑)。ただ仕事をはじめて、子どもができて、40歳頃から、少し本を読むようになりました。でも本を読むのは難しいですね。図書館にはたくさん本があって、分かりやすい本はあるけれども、本当に大事なことが書いてある本というのは、あまりないものです。
 大事なことが書いてある本を、古典と言いますが、そういう大事な本を読んでほしいと思います。この啓発録というのは古典で大事な本ですが、何となく読みにくく、言葉も難しいですよね。本を読むには順番があるのです。私は解説をするための本は、できるだけ読まないようにしてきました。そうすると本の数は限られますから、だんだん頭がスッキリして、分かるように感じます。座右の銘を作るときにも、何かいい言葉が出てくるような感じがします。
 自分だけでは、素晴らしいことは考えられません。いろいろなことを勉強しながら、良い言葉が出てくるようになると良いと思います。
 

 今、国語は何を習っていますか?
 ※「平家物語」(生徒)
 那須与一が登場する「扇の的」?
 ※「そう」(生徒)
 それ与一が20歳くらいの話ですよ。皆とあまり年が違わないね。馬に乗ったまま海に入って、70数m先の揺れている船の上にある扇の的を射る。義経に扇の的を撃つべしと自分に名指しをされて言われたのです。きっと与一は困っただろうね。「なんで俺がこんな役になるんだ。当たらなかったらそこで死ななければならない。運が悪いな」などと思っただろうね。
 こんな話は授業ではやらないと思います。私も大人になって、こんなことを思うようになりました。平家物語では与一はいくつもの知っているだけの神様仏様の名前を呼んで射るわけです。さらに成功した後、すばらしい技を見て喜んでいる敵の一人を見て、義経はあれも撃てとまで非情なことを言う。こんなことを考えながら、本を読んでほしいと思います。
 古い文章が難しかったら、易しい日本語と一緒に読んでも良いと思います。
 言葉の話をしましたが、言葉というのはものを考える手段ですので、大事にしてほしいと思います。
 

 ここでメモをしてほしいものがもう一つあります。本居宣長を知っていますか?「古事記」や「源氏物語」を研究し、今のわかりやすい意味になるために調べて日本語にした人です。この宣長の言葉に「姿は似せがたく 意は似せやすし」というものがあります。自分の気持ちや、花の咲いている様子などを思ったり、あれこれとたくさん言ったりするのは易しいが、さっと全体の姿を生き生きと表すのは大変難しいという意味です。和歌などでも意味はよく似ていても、表現のうまいかどうかで歌になるかそうでないかの差ができるわけです。
 さっきお話しされた中で、自分の考えをうまく伝えるのは大変だということを表していると思います。言葉でうまく表す練習です。これは国語もそうだけれども、英語はもっと難しい。言葉で表す、聞いたり話したりする訓練をしてほしい。これは一生の仕事です。訓練すれば絶対にうまくなる。積み重ねるといいと思います。
 

 俳句は習いましたか?1年生の教科書を見せてもらったら松尾芭蕉が出ていました。どんな俳句があったか覚えていますか?ちょっと調べたら、「七夕や秋をさだむる夜のはじめ」というのがありました。誰も覚えている人いませんか。
 ※「…」(生徒誰も手を挙げず)
 教科書に載っているよ。姿は似せがたいね。是非、帰って教科書を見てください。
 それでは一つだけ俳句を覚えてください。先ほど永平寺町は自然に恵まれていて、すばらしいと発表されていました。気持ちを表現しました。それをうまく姿に表すということは、また別の問題です。正岡子規の良い歌を一つ言いますから覚えてください。永平寺にぴったりの早春3月頃の景色です。「雪残る 頂ひとつ 国境」。頂きというのは山の頂上あたりです。冬の終わる頃山の山頂に雪がちょっと残っている。国境というのは、永平寺や勝山とその境と思っても良いです。また、福井県と石川県や岐阜県との境のことと考えてもOK。「雪残る 頂ひとつ 国境」この俳句を覚えておいてください。すると自分たちのふるさとの景色をこの俳句の言葉によって忘れないことになります。
 上志比はどんなところかと尋ねられたとき、「永平寺がある」とか、「九頭竜川が流れている」とか、「にんにくがうまい」とか、「中部縦貫自動車道ができる」とかいろいろありますが、正岡子規の「雪残る 頂ひとつ 国境」という詩のような所だよ、と言えると素晴らしい福井県民だと思います。
 漢字学の白川静先生をご存知でしょうか。この先生はお若い頃、京都の立命館中学で国語を教えていました。「赤壁の賦」という難しい漢文がありますが、それを生徒に全部暗唱させました。その中学生は今は80歳ぐらいのおじいちゃんになっています。でも全部暗唱できるのです。どの生徒も、おじいちゃんのことですよ、村で学者で通っており、一番尊敬されていると白川先生は私に笑いながらおっしゃったことを覚えています。そんな難しい漢文を暗唱できる人は、日本に数人しかいないでしょうね。
 今日の俳句は7回ぐらいで覚えられると思います。覚えたら学者です。勉強もそのようにして、大事なところはくりかえし頭の中でリハーサルをして覚えてください。
 

 全然違う話をしましょう。
 今日の立志式に関係する橋本左内のお話をしたいと思います。橋本左内はどんな最期だったか知っていますか?日本史はどこまでやっていますか?ちょうど今幕末ですか。
  ※「そうです」(生徒)
 明治維新は何年でしょうか?西暦1868年です。僕らの頃には吉本興業みたいな福井出身の漫才の天才がいて、古川ロッパという人です。「いや~ロッパくん」と覚えました。こうして覚えると一生忘れないです。皆さんも年号を覚えるときは工夫して覚えてください。明治維新1868年、日本史でもっとも大事な年号ですので忘れないでください。
 

 さて、橋本左内の最期という話です。あと10年も経たずに明治維新になる1859(安政6)年の10月7日、旧暦のそれはちょうど今日か明日か明後日ぐらいです。死罪の刑を受け斬首されてしまいます。どんな様子だったのでしょう。誰も見たわけでないですから、現代のように情報公開とか、新聞に全部載ったり、テレビで橋本左内の処刑の様子が報道されるわけではないです。詳細には分かっていません。でも、明治維新になるまであとわずかですから、居合わせた人たちが、明治時代になって話すことができます。そういう記録がいろいろあるので、橋本左内の最期の様子も何となく分かっています。
 歴史の本にも書いてありますが、小説にも書いてあります。山本周五郎という小説家が書いた「城中の霜」。図書館にあると思いますが、時代劇小説です。15ページぐらいだから20分ぐらいで読めると思います。


 橋本左内の最期です。橋本左内は最初、島流しの刑で済むのではないか、無事帰って来れるのではないかと思われていました。しかし、処刑のその日の朝になって「いやだめだ。左内は罪が重い。幕府にたてついた。次の将軍は誰にするのかなどと大それたことも口を出した」ということで、「罪を重くして死罪だ」と彦根の井伊大老が言いだしたそうです。小説にそう書いてある。実際もそれに近いでしょう。それで死罪にします。何とかして橋本左内を助けたいと思った石谷因幡守(いしがやいなばのかみ)という江戸の町奉行がいました。罪は遠島に決まっておりますと申し上げたのですが、大老は聞き入れずやむなく左内は処刑されます。
 以下は小説ですが、「左内の最期はどうであったか」と井伊大老は因幡守に聞きました。「誠にあっぱれな最期でございました。従容として~」、従容というのはゆったりと慌てぬ様子です、「~従容として辞世の詩をしたため、静かな微笑みさえ見せながら期するが如く亡くなられました」と報告しました。
 それを聞いた井伊大老は、なぜか不愉快な顔をしたと書いてある。
 安政の大獄では、歴史で習っているように、たくさんの人が死罪になっています。吉田松陰も同様で、左内の2週間後ぐらいに処刑されます。皆じたばたしないで堂々と武士らしく亡くなりました。大老には、左内までも他の武士と同じような態度で亡くなったのが不思議だったのかと思います。大老としては、橋本左内には直前で罪を重くして死罪にした。左内は特別な人物だと思っていたので違う死に方をするのではないかと推測していた。けれど同じ調子で死んだというのが、何か気持ちに合わずに不愉快だったのでしょう。そこがこの小説のサビといいますか、面白いところです。
 井伊大老の耳にはそういう情報は入らなかったが、小説では実際に亡くなった様子は報告されたものと違うというあらすじです。その様子が小説にこのように書いてあります。「太刀どりが後ろにまわって太刀を上げ、よいかと声を掛けたとき、左内は振り返って、暫く待てと言って刀を控えさせると、少し座をずらせ藩邸の方~」、藩邸とは福井藩邸です。東京の江戸博物館に入ると、いちばん入り口に福井藩邸の立派な模型が置いてあります。すばらしいお屋敷です。それが、江戸博物館に江戸時代の300ぐらいある藩邸の代表として置いてあります。「~藩邸の方を拝して、両手で顔を覆い暫く声を忍んで泣いた」と書いてあります。「それから座りなおして、もうよい斬れと言った」というのが小説の記述にあります。
 安政の大獄で泣いたなどという人はいませんでした。みんな従容として、辞世の句を詠んで死んでいった。橋本左内だけは違った様子でした。なぜでしょう?皆さんはどう思いますか。
 例えばA「なんと女々しいこと、福井藩の恥だ」と考える人もいるだろう、B「自分の命のことではなくて、日本の将来のことを案じて泣いたのだ」と考える人、C「もっと違う理由で泣いたのではないか」と考える人、ABCどれでしょうか。
 何か深い意味があったはずでしょう。今日は言いませんが、考えてみてください。
 実はこの小説は、橋本左内を主人公にした小説ではないのです。橋本左内よりも3歳年下、そのとき23歳の、幼なじみの女性がヒロインです。香苗という人です。これ以上話をすると小説を読んでくれないかもしれませんからやめておきます。話はもっと複雑な展開になっています。なぜ泣いたかという話です。
 

 大阪に適塾というところがあります。日本中の若い人たちがオランダの学問とか医学を勉強した、緒方洪庵の適塾です。適塾の博物館に行くと、日本中から集まった有名な偉人、何百人もの名簿があります。福沢諭吉もその中の一人です。その中でいちばん右側に写真入りで載っているのが橋本左内です。いちばん学問、人物、立ち振る舞い、政治的な考え方が抜群に立派な人だから適塾でも特別扱いだったようです。
 ある時、橋本左内が夜遅くにどこかに出かけます。福沢諭吉は疑問に思って、現代だったらゲームセンターやコンビニのようなところに行くのかと、こっそり後をつけるのです。そうしたところ、左内は暗い橋の下に行き、実は身寄りもなくて病気になっている人たちの病気の治療をしていました。
 それを見て福沢諭吉は非常に恥じ入ります。「自分は何と下劣な人間だろう。こんな善行をしている左内を邪推して誠に恥ずかしい」と、橋本左内に謝ります。橋本左内は別にそんなこと気が付いていないのに、わざわざ謝る福沢諭吉も十分立派だと思います。
 そのような立派な人物ですから、死を前にしておめおめ泣いたわけではないと思います。「なぜだろう」というところを、是非小説で読んで考えてください。でも今日、150年も後に福井の子どもたちが立志式をしていることを左内が知ったとしたら、泣いた価値があったと思うでしょう。これは小説ではなく本当の話ですが、左内の死後、幕府の水野筑後守(みずのちくごのかみ)は、「井伊大老が橋本左内を殺したというその罪だけで、徳川氏は滅亡しても仕方がない」とまで語ったと伝えられています。

 さて、啓発録には、まず1「稚心を去る」。それから2「振気」。これは体力気力つまりエネルギーです。王さんのバットに書いてある「気力」です。これはだれでも持っている。それから今日の3「立志」。志を立てることです。そして4「勉学」。スポーツや勉強のことです。最後に5「交友」。友達には自分に役立つ、助けてくれる友を持てと言っている。そういう人が一人でもいれば大事にしようということ。以上5つのことを言っています。
 

 あんまりこんなことを言うと先生のお説教のような感じになってしまいます。ちょっと気楽に考えてみてください。今日、自分たちが立志を決めたのは、自分というよりも自分をいつも見てくれている別の友達の自分。お前ダメだぞとか、しょうがないなとか、頑張っているな、とかアドバイスをしてくれるもう一人の自分です。そういう別の自分が、自分に言っていると思うとやや肩の力が抜けるかもしれません。全部自分が決めて自分がやると思うと苦しくなる。
 日本語では自分で「頑張る」も、他人に「頑張れ」というのも、皆で「頑張る」も、同じ「頑張る」です。英語ではどう言うでしょうか。「頑張るぞ」と自分が言うとき、これは“ I’ll do my best.”です。私はベストを尽くす。自分が頑張る。友達が「お前、頑張れよ」と言うときにはどう言うでしょうか。英語では” Do your best.”ではなく、”Good luck.”と言います。それから“ Take it easy.”もある。「気楽にね、運が良ければね」という意味があって、英語の方が気楽です。英語では本人は「頑張る」と言うけれど、皆で「頑張ろう」とは言わない。「ベストを尽くしてくれ、運が良ければ良いこともあるあろう」というような調子です。皆さんもやや英語的な気楽な気分になってください。あまり気合いを入れすぎると大変です。
 

 さっき「気力」という話をしましたが、結婚する人たちに、私は時々色紙を頼まれます。その時には「光」という字を書きます。6画だから割と画数が少ないから、筆で書くのが楽だという気持ちもないわけではないですが、いちばん大事なことは別のところにあります。皆さんに気力を発揮して、自分から光を発してほしいと期待しているのです。自分の方から周りに光を出すことです。いつも光を浴びて「ありがとう」と言っているだけでは、いけないのです。自分から光を発して、周りに感謝をしてもらうこともないといけません。そういう風に考えてほしい。ですから結婚した人に、「二人で光を出して良い家庭を作ってほしい、お父さんやお母さんの家庭よりももっと良い家庭を作ってほしい」と願って、いつも光という字を書いています。
 

 正岡子規の話を先ほどしましたから、最後に詩をもう一つだけ覚えてください。いま言った光についての詩です。
 「真砂なす~」、真砂とは昔の言葉で砂のことです。あるいは九頭竜川の数えきれない石ころや砂のことです。たくさん砂のようにある、ということを美しく表現したものです。「~数無き星の~」、数が無いというのは何もないということではなく、逆に無数ということです。
 「真砂なす 数無き星の その中に 我に向かいて 光る星あり」
 どうですか皆さん、形ができていますね。ときどき空は眺めますか?永平寺の河原に出て空を眺めることはあるでしょうか?手を上げた君、立って今の詩を大きな声で詠んでください。
  ※「真砂なす 数無き星の その中に 我に向かいて 光る星あり」(男子生徒)
 これから冬のオリオン座がだんだんきれいに見えます。南西の方角に、蝶々が羽根を広げたように見えます。天気が良い日に見てください。永平寺は空がきれいだからよく見えるはずです。あの星を見ると、私のような歳になっても荘厳でロマンチックな気持ちになります。星を見上げる自分は宇宙の中では小さな存在だけれど、あの一つの星はどう見ても自分に向かって光っている、そんな気持ちになります。
 目で見える星は1億ぐらいあるそうです。数無き星です。自分に向かって光る星が一つある。我々だけでなく、君に向かいて光る星もあるはずです。横にガールフレンドやボーイフレンドがいたら、そういう気持ちで宇宙を想像してください。皆さんの体は、宇宙の元素からできています。恐竜も同じだし、この壇上の一つひとつの草花もちょっとだけDNAが違うだけで全く私たちは皆仲間です。花は動物のようには動けないが、いろいろ人間以上に努力をして工夫して咲いている。大宇宙の中では、皆同じです。
 さっきバットを回しましたが、日本に野球を初めて紹介したのは、正岡子規です。
“baseball”を「野球」と立派な日本語に訳したのも、正岡子規です。
 

 時間が来ましたので、ここで終わりにします。ありがとうございました。
 

(参考:橋本左内 獄中作)
  若寃洗い難く、恨み禁じ難し
  俯しては則ち悲傷、仰ぎては則ち吟ず
  昨夜城中、霜始めて隕つ
  誰か知らん、松柏後凋の心
 

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