「大学連携リーグ連携企画講座『ふくいふるさと学』」での知事講義

最終更新日 2010年2月4日ページID 009098

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 このページは、平成21年7月2日(木)にAOSSAで行われた、大学連携リーグ連携企画講座「ふくいふるさと学」での知事講義内容をまとめたものです。
 Ⅰ 導入
 Ⅱ 本論Ⅰ (ふるさと論) 
 Ⅲ 本論Ⅱ (「都市と地方」論)


【Ⅰ 導入】


(「観光」と「ふるさと」) 

210702講演写真1  まず、「観光」と「ふるさと」がどういう関係にあるのかを申し上げたい。2つはどのような共通点を持っているのか。その前に、「観光」という言葉の語源に立ち返ろう。
 「観光」の語源は、中国の古典『易経』にあると言われる。そのくだりを紹介すると、「国の光を観る、もって王に賓たるによろし」。国というよりは地域といった方が良い。
 普通、国の光を見るというのは、その辺の良いものを見るということであるが、『易経』では、そうではなくて、ある地域の政治の良さをちゃんと目で見る。そして良いものがあると、光がある。そういう地域を治めている人が、国全体を助けるような人となるべきだと願う意味があるらしい。
 観光というのは、その辺の良いところを見るという意味でとっているが、その根底には、ある地域が本当に良いというのは、政治が良く、その地に住む人びとが活き活きと暮らしているという意味が隠されている。
 国の光、つまり福井県の光、ある県の光、それは地域の良さであるが、そういった良さと観光というのが、最近の議論として結びついてきたのだろうと思う。これが1つの共通点であろうと思う。
 それから、もう1つは、ふるさとであれ、あるいは観光地なり、そこに活動がないと光が表れないから、地域の「光を示す」ための主体的な活動や働きかけがあるということがおそらく共通している。
 そういう意味で、これから観光にとって大事なことは、地域がいろんな意味で頑張っている、優れているということ、単に物見遊山ではなく、永平寺があるとか、恐竜の骨格がたくさんあるとかというものだけでなく、地域の光、地域の活動があることが大事である。
 ことばの本来の意味からも、以上述べたことは重要なことではないかと考えている。この大本の言葉を押さえて欲しい。
 光を発する「光源」というのが重要でなければならない。その根本になる「ふるさと」の話をこれからしてゆく。その前提として、福井県の観光行政について説明する。

(福井県の観光政策)

 この4月に、県庁の組織の中に「観光営業部」を創設した。これは観光を営業するということだけではない。福井県を売り込んでいこう、福井県を全国に知ってもらう、そしてその中に観光というものがあるという意味である。都道府県の部局名に「営業」という言葉を用いたのは福井県が初めてだと思う。実際、仕事をするときに、はっきり意識して組織的に福井県を売り込んでいこうとしている。
 福井県はいろいろなことを進めているということで、昨年11月に「DIMEトレンド大賞特別賞」を受賞し、また今年の6月には「ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を受賞した。これらの受賞は、子育てや教育など、福井県民の活動全体が評価されたものと思う。このような優れた良きものを売り込まなければならないということで、観光営業部を設けた。
 もう一つは、来年、アジア太平洋経済協力会議(APEC)のエネルギー大臣会合が福井県で開催されることが決まった。地方でこのような国際的な会議が開かれるのは初めてである。開催決定までには、宿泊施設や会議場所など、クリアしなければならない幾つかの課題があった。しかし、そのようなものを背伸びしながらクリアして、何とかやっていこうということだから、福井県の観光あるいは国際コンベンションが新しい段階に達したと思っていただければありがたく思う。
 こういうものを契機に、来年以降も、新しい観光政策を進めていきたいと考えている。
 今述べたようなことを念頭に置きながら、「ふるさと」の話に戻りたい。

(「ふるさと観」とその歴史)

 皆さんは「ふるさと」という言葉にどのようなイメージを持っているか。
 先立って、大阪の県人会に行ったときのことである。ある女性と話をしていると、その人は「何十年も前のことであるが、大阪に出て、毎年お盆や正月前になると、早く福井に帰りたいという気持ちで一杯になった。今でもその季節になると、そういう気持ちになる。一瞬でも福井という名前が出ると、ぱっとすぐに目が行く」と熱心に語っておられた。まず、そういう伝統的なふるさと観、そして最近のふるさと観についても述べたい。
 明治以降の伝統的なふるさと観というのは、第二次世界大戦を経て1960年代ぐらいまでの間、そういう郷愁、ノスタルジーというか、ふるさとに帰りたいがなかなか帰れない、そういう時代のものであった。都会に出て自由な、しかし不安がある、一方でふるさとに帰りたい、そういう複雑な気持ち、それが第1段階のふるさとの発想だと思う。
 NHKの「新日本紀行」という番組があった。これは1963年に始まり、82年まで続いた。「ふるさとの歌まつり」という番組も1966年から74年まで続いた。その頃は「ああ上野駅」(1964年)、「哀愁列車」(1956年)などの歌謡曲が流行していた。また、先日のFM特集で、昭和34年の紅白歌合戦が3時間半の省略無しで放送され、第1回目のレコード大賞「黒い花びら」も放送された。そういう時代のふるさと観があった。
 1970年近くまでは、こういう古い、昔のふるさとであった。1970年代から80年代にかけて、ふるさとの「市場化」というか「商品化」が起こる。観光という次の時代になる。
 つまり交通網が発達し、電話もテレビも普及してきて、常に遠い存在のふるさとが無くなってくる。
 山口百恵さんの「いい日旅たち」が1978年、五木ひろしさんの「ふるさと」が1973年。あまりセンチメンタルな感じではない。山口百恵さんの歌では「日本のどこかに」となっており、五木ひろしさんの歌では「誰にも、ふるさとがある」となっている。自分のふるさととは言わず、ちょっと一回りして、客観的に見ている。時代が少し変わったということが分かると思う。
 1969年には寅さんの「男はつらいよ」というシリーズが始まった。全部で48作。寅さんは、ふるさとの葛飾柴又に時々行くが、すぐ全国の田舎に戻ることで、あちこちにいろいろなふるさとがあるという雰囲気がある時代である。
 東京も田舎も対等にローカルであり、田舎の場所は特定性を失いかけている。ディスカバージャパンの時代である。だから、福井県も含め、田舎の感覚が撤退してきたということである。
 後ほど述べる「新しいふるさと」の前の時代だと思ってほしい。だから、この「ふるさと」と言うのは、消費するという観点のふるさとになっている。観光的というか、探せる、発見する、あるいは自分で選べるという、こういうふるさとになっている。

【Ⅱ 本論1 (ふるさと論)】

 商品化した以降の第3のふるさと問題を次に話したい。
 私は「ふるさと納税」という制度を提案し、昨年4月に正式に導入された。福井県でも多くの人から寄附をいただいた。この制度は、納税者である住民が自分のふるさとに寄附をし、税金が返るというもの。私は「ふるさと」ということについて新しい見方を得ようといろいろ議論し、この制度を提案した。
 これからの「新しいふるさと」というものがどういう意味かを話したい。

(「ふるさと」という発想)

 今、日本の社会では、人びとの間にいろいろな不安や孤独、言うに言われぬ何か落ち着かない風潮が広がっている。そういう傾向がここ5年ほどある。これからどうなるのだろう。
 その三つの要因を述べる。
 まずはグローバル化の進展。今回の経済危機、全然自分の知らないところで知らないことが起こり、自分の株とか預金とか、生活・雇用にあっという間に影響する独特のリスクがある。経済危機以外にも、新型インフルエンザがある。新型インフルエンザは一週間もしないうちに近所に、地方にまで広がってしまう。こういうグローバルな時代の様々なリスクがある。
 二つ目の要因として、企業や職場における変化がある。昔は社員と会社の関係が緊密であったが、そういう関係が段々変わってきている。会社社会とよく言われたが、今はなかなかそう簡単ではないと思う。皆で打ち合わせて社員旅行をする、このような関係が段々薄くなっている。なかなか誘っても乗って来ないという時代になっており、どんな企業や職場でもかなり個人化が起きている。
 三つ目の要因として、家族やコミュニティの変化がある。これは地域と深く関係している。福井県は三世代同居率や女性の共働き率が高いが、それも段々福井ですら厳しくなっている。限界集落などという問題もコミュニティの崩壊の原因としてあると思う。これはここ何年間で政治や経済政策に影響している。
 まとめると、グローバル化の進展、企業や職場で起こった変化、家族やコミュニティの変化、このような様々な要因によって、人々は不安、孤独に陥る。内面的には親しいけれども互いに何か違和感を抱いている、そのような複雑な危うい感じが非常に強まっていると思う。
 「個化社会」という言葉で呼ぶのが適当と思うのだが、つながっているように見えて、ばらばらな状態。互いに関係を持っているようで持っていない、信じているけれども不信感を抱いている、そういう構図である。個人がダイレクトに世界とつながっているが、人間相互に無関心という状態。これは何としても政治が解決しなければならない。
 これと「ふるさと」がどういう関係になるのか。
 一例として結婚の問題を取り上げるが、お世話をしようとすると、余計なお世話、ありがた迷惑、いらぬお節介と言われる。しかし、この言葉は何とかして欲しいという裏返し的な複雑なところもある。福井県は市町の皆さんと協力しながら、結婚したいなら結婚できる、子どもを育てたいなら育てることができるような環境づくりに取り組んでいる。
 何とかここから人とのつながりを再生したいという思いがある。この「ふるさと」というものがそこで重要な役割や機能を果たすだろうと考えている。
 従来のような消費化されたふるさとではなく、皆が行動する、積極的に地域に関わる動きが出ている。新しい動きを作っていくのが地域の役割である。今日出席の皆さんも同じ考えをお持ちと思う。私も福井県の知事として人とのつながりの再生を作り上げていこうという思いを持っている。
 最近、「ふるさと」等の言葉が頻繁に使われ始めた。全国紙の新聞記事データベースを検索して、ふるさとや郷土等の言葉を含む新聞記事の数を拾ってみると、1980年代から増え続けており、特に1997年頃からの増加傾向が目立つ。10年ほど前にふるさとブームが始まったと言える。
 これは団塊の世代が50歳代になる時期と大体一致していると思う。従来は田舎に生活したいというのは別荘を持ちたいという雰囲気であったが、1990年代後半からは普通の生活をしたいとか、あるいは農業をしたいとか、ごく当たり前の要請が出てくる。こういう動きを我々としては人々のつながりの中で活かしていく必要があると思う。
 「つながり」ということは重要であり、今、これが無くなってきている。オバマ大統領の選挙の時に小浜市で動きがあったが、これは名前だけのつながりで、両者は何の関係もない。言葉だけの関係である。言葉が気持ちにつながり、気持ちが行動につながり、行動が事実になり、そしてまたつながる、そういう新しい動きである。一歩一歩のつながりの部分を保つことで、手をとりあって楽しくやろうという風潮があるのだろうと思う。皆さんも内心でそういうことを感じられたら、応用をして欲しいと思う。
 次に、「ふるさと」というのはどのような姿かということを述べたい。「ふるさと」というのは、地図上にある福井県、石川県とか平面的な場所ではなくて、立体形のふるさとを表す、そのようなイメージをしてもらえばよい。我々がこれから進めていく行動は、内なる行動と外との関係の両方で、福井県のふるさとを良くして行くという気持ちを持ってほしい。先のオバマさんの例は、小浜で盛り上がっているという報道で、内から外へ、そして更に中へと。
 永平寺の子どもたちが校門で礼儀正しくお礼を言って下校したりする。これは永平寺の子どもたち、あるいはお父さん、お母さんたちは当たり前、別に普段のことで意識していないかもしれない。しかし、外から眺めて永平寺の子どもたちは素晴らしいと、そんな風に思われているのかと自己認識をすることになる。そして、改めてそういうことだったと思って、また普通に住んでいる。これが大事である。外に向かってパフォーマンスをするということはあまりすべきではないだろう。外からの認識を受けて、更に自分たちの行動の意味が深まる、こうことが重要である。これがふるさとの一種の立体的な奥行きのある内外の思想だと思う。
 「隣人祭り」という集まりがある。これは、フランスのパリのアパートのある部屋で老人が人知れず亡くなった。何日も誰も知らなかった。これではいけないと、アパートで、地域で、皆で集まりお茶を飲み、井戸端話をしようという動きが始まった。この動きは世界中に広がっており、6月7日に植樹祭が行われた福井市の一乗谷朝倉氏遺跡でも最近行われた。これは地元の人だけではなく、観光客と一緒に交流をしようとするものである。世界のいろいろな動きを福井県、一乗谷の皆さんと外の観光客と共有している例である。内、外、気持ちとしては帰属意識を持ちながら、このような働きかけ、中からのいろいろな声、こういう中でふるさとはより面白くなってくると思う。国の光とか地域の光とは、そういう方向で光ってくると考えている。
 また別の話になるが、希望というファクターがあると考える必要がある。そこで活動している人達の気持ちとして、今日より明日を良くしたい、自分だけのことを考えるのではなく、広い視点で考えたい。これが希望という言葉だ。世の中を良くしたいという期待である。こういうものが厳しい世の中で大事だと思う。永平寺、オバマさん、隣人祭りの中にもそういうものがあると思う。
 福井県は、東京大学の先生方と「希望学」というものを勉強している。最近シリーズも出版されている。これは「ふるさと」なども関係すると思う。「希望学」は福井県を研究のフィールドとして研究してもらっている。もう一つのフィールドは岩手県の釜石である。ここは失業率がものすごく高いとか、高齢化が進んでいるとか、鉄鋼の町が駄目になったとか、どちらかというと希望が薄い例である。福井県のように豊かではないが新しい動きがある、これと好対照なものを先生方が福井で研究しようとしている。
 少し閑話休題で申し上げるが、福井県の子どもたちは学力・体力が日本一であるが、意外に将来の夢や希望を持っている子供たちの割合は高くない。小学生が63%で全国44位、中学生が40%で全国39位である。何となく気になる数字である。希望はどういう意味だろう、何が問題なのか、どういう教育が必要か、彼らは何をしたらいいのか、次の課題である。これは不登校とか現実の問題と絡んでくるだろう。
 先生方にも聞いている、ちゃんと子どもたちに将来の夢について教えているかと。将来のことを生徒に教えている割合は中学校が一番高い。小学校はあまり高くない。
 先日、南部陽一郎先生にお会いして、子供たちへのメッセージを頂いた。1枚は「個性をもって生きよう」、もう1枚は「Boys and Girls Be Ambitious!」と、力強く筆で書かれている。今、県庁のホールに飾ってある。
 Ambitiousの名詞形はAmbitionであるが、これはどういう意味だろう。クラーク博士の「Boys Be Ambitious!」は、明治時代ということで「少年よ大志を抱け」と訳された。大志だと、野心というような意味もあるが、本当の意味は「希望をもって行動せよ」だと思う。たまたま明治時代だったので、大志というか、立身出世的にと訳されたが、クラーク博士は本当は希望をもって皆で行動しようじゃないかと札幌農学校で述べたのではないかと思う。

(「ふるさと」からの発信)

 これから、地域の外とふるさとの関わりやつながりについて、私の経験から申し上げたい。
 まず、先ほど「ふるさと納税」について話したが、なぜそのようなことを思いついたかを述べる。
 平成16年に起きた福井豪雨災害のことである。7月18日に水害が発生し、5日後の7月23日に私のところに速達で手紙が届き、その中に1等2億円の宝くじの券が入っていた。そして、水害の復興に充ててほしいということが書いてあった。厳しいときであったので、非常に嬉しかった。
 その時、災害の時以外にも、皆で寄付ができないかと思った。それが一つのきっかけである。
 それから、その半年ほど前の真冬に、大長山で、関西学院大学ワンダーフォーゲル部の学生が遭難した。数日後に上空から14人の若者全員を無事救助した。こうした縁もあり、最近、関西学院大学と福井県立大学で交流し、また勝山市と関西学院大学で話をして、引き続き皆で一緒にやっていこうという動きがある。このような困った時に応援をし合う、これが平常の時にも出来ないか。
 その2年後に「ふるさと納税」を導入したらどうかということを、日本経済新聞のコラム欄に寄稿し、昨年4月に租税制度として正式に導入された。制度の内容をいろいろ見直さなければならないが、これから役に立つと思う。ふるさとを大事にする税制を思いついたのは、こういう災害がきっかけである。
 もう一つは、先の冒頭の郷愁のところと関係している。昔からずっと田舎は都会へ子どもたちを送り出している。「学力・体力日本一」の優れた子どもたちが毎年約3,000人進学や就職等により県外に出て行き、そのうち戻ってくるのは約1,000人しかいない。福井県で成長する若者が出生から高校卒業までに受ける行政サービスの総額は、一人当たり約1800万円。これを何とかしないといけない、何か良い制度がないか、少しでも問題を解決できないかということが「ふるさと納税」の提案の2つ目の背景である。
 私はマニフェストで選挙をし、政治をしている。マニフェストは、我々政治に携わっている者と住民・有権者・納税者との信頼関係の約束であるが、もう一つ違った役割があることに気がついた。それは、例えば福井県の自治体がマニフェストで政治をしていると、他の自治体がそれを見て、参考にしようか、競争しようか、連携しようかということが出てくる。ふるさと同志の切磋琢磨がマニフェストのもう一つの気づかなかった役割である。今、ある先進的な政策をすると、賞味期間は1年か2年である。大抵、他の自治体が良く似た政策を行う。オープンになっているから、その成果が分かり、使いやすく、応用しやすい。自治体が良くなる一つ原動力になると思う。だから、マニフェストを背景に、どんどん良いものを作り、実行していってほしい。
 もう一つプラスアルファの話をする。先ほど、希望学という話をしたが、やはり「マニフェスト」あるいは地域のいろいろな「ふるさと政策」、それだけでは足りない。というのは、自治体同士の学び合いを阻む壁がある、制度の限界がある。大学とか研究機関の思惟、研究者の新しい知見とか、そういうものを参考にして、次の段階にレベルアップすることが必要になる。
 「希望学」もその一つであり、それと関係する類似のものをもう一つ紹介すると、東京大学との総合長寿学(ジェロントロジー)の共同研究がある。ジェロントというのはギリシア語で高齢者という。これは住み慣れたところで、自分らしく生きるという学問である。Aging in Placeといわれる。この研究のもう一つの相手は柏市である。
 柏市は、高度成長時代に全国の自治体から東京に集まってきた人が居住している東京郊外のまちで、高齢化が進んでいる。福井県と対照的な土地である。総合長寿学は、医学、社会保障、地域づくりといったあらゆる学問を全部入れたものであり、例えば、福井県でも、福井県の日本一の「なぜか長寿」のなぜかを解明したい。
 いずれにしても、このような様々な方法論を駆使して、我々のふるさとを良くしていきたい。そのためには、何といっても人づくりが大事であり、県では子育てを重視している。「ふくい三人っ子応援プロジェクト」とか、近所のおじいさん、おばあさんが子どもの面倒を見るとか、そういう福井らしさが大事である。
 いろいろなことを述べたが、それを実行してみること。福井県の人間像を変えなければならない。助けあったり、応援したり、いろいろと議論を戦わせたりしなければならない。これは駄目だとか、これした方がいいとか、適切な応援をしないと、皆良くならないと思う。そういう福井県にしていくのも教育の一つだと思う。
 幸いにして、福井県は子どもたちの学力・体力が日本一であり、先生方も熱心で、地域みんなで子どもを守っており、また家庭も頑張っている。
 今年は、橋本左内先生、梅田雲浜先生が亡くなられた安政の大獄からちょうど150年を迎える。我々の先輩方は立派で、我々はその子孫であることを誇りに思う。そして、そこに自覚が生まれる。地域の様子を分かってもらう、こういう教育が大事である。これがふるさと学である。
 数年前に、「五箇条の御誓文」の草稿を、県議会のご理解を得て購入した。購入後、この実物大の複製を作り、すべての中学校に配布した。
 また、岡倉天心先生の「茶の本」の初版本を購入した。ニューヨークで『茶の本』を英語で出版し、百周年を迎えたことを記念してのこと。その本の後ろ側にコネチカット州の女性の方の名前が鉛筆で記載されていた。そういうものが福井にあるということ。
 これらは、子どもたちに本物を見てもらい、分かってほしいとの思いから行ったものである。いずれも「ふるさと」の内なる動き、外とのやりとり、互いのつながりや結びつき、「ふるさと」の自覚に関係する。

【Ⅲ 本論2 「都市と地方」論】


(地域格差をどう見るか 都市と地方の関係を問い直す)

210702講演写真2 最後に、都市と地方の関係について考えてみたい。
 「これから地方を応援してもどうにもならない、きりが無い」、「地方交付税がたくさん必要」、「大都市だけが活性化すればよい。都市が地方を養っている」。こういった議論をよく見受けるが、これは間違いであるということを申し上げたい。
 都市と地方に優劣の差があるが、違いがどういう性質のものか。まず資源のことを考えてほしい。水や電気、これらは地方が供給している。
 関西の使用電力量の5割以上を福井県が供給している。何でもないときには当たり前になっているが、万が一問題が生じたときには大変なことになる。今の制度の中で進んでいるため、そこを当たり前だと思っても困るし、我々も日本全体として分かってほしいと言いたい。
 ライフラインについて都市が地方に頼っており、今後も頼らざるを得ない。この資源・環境問題は生活の基本であり、考え方を共有するということがこれから重要である。
 それから、先ほどから述べているが、人材もほとんど地方が供給している。ふるさとで生活していた人が大都市に出て、そこで働いている。出生率も同様。福井で生活していれば、出生率も高い。大都市ではそれほど高くない。
 一例を申し上げると、維新後間もない明治6年に最も人口が大きい県は新潟県であった。その人口は140万人で、東京府の110万人を上回っていた。福井県は53万人、富山県は62万人、石川県67万人である。高度経済成長まではこのような状態であった。
 昔は税金もほとんど地方が納めていた。明治6年に地租という、固定資産税に当たる国全体の税金の2/3を占めていた重要な税金について、北陸3県と新潟県の4県が納めた税金は、東京が納めた税金の約4倍。明治時代は、北陸地方など米がたくさんとれた地域の高い地租を活用しながら、近代化を推進していった。
 もう一つ例を挙げると、横山源之助の『日本の下層社会』(1898年)という本に福井の繊維産業が盛んなことが書いてある。
  「越中を過ぎ加賀を過ぎて福井に来れば、初めて工業地に入るの心地す。裏町に入れば機具を操るの響音かなたこなたに聞こえ、表通にては「羽二重買込所」の看板張れる商店屈指にいとまあらず」と。
 それから、『大日本地誌』(1903年-1915年)という本によれば、工業の生産が農業を上回っていた府県は、大阪、京都の二府のほかには福井県だけだと書いてある。
  「南隣福井県に入らんか、羽二重の製織は長足の進歩をなして本邦屈指の大企業地となり、工業の生産が農業を超過するものは、全国を挙げて唯本県と大阪、京都の二府を数えるのみ」と。
 最後に情報の話を述べるが、皆さん毎日テレビなどを見ていると、どうしても東京などからの情報で回っていると思う。当たり前だが、気づかないうちに情報のバイアスがかかっていると思う。あらゆる意見が東京からはこのように見ていると考えてしまう。これを意識しなければならないし、厳しいが地方の声を届けなければならない。
 今のよく行われる発想はこういう発想だと思う。日本は駄目だ、何とかしなければならない。そのためには地方をどうしたらいいか、どう変えるかという順番である。そういう順番ではなく、地方が何を行って日本をどうするか。逆の方向から発想しないと良い国づくりはできないと思う。そして、都市と地方はお互いに助け合っている。共存の構造にある。対立していない。
 福井県出身の思想家に桑原武夫という人がいる。その人の本を読むと、田舎はどうにもならない、何とかしなければならない、どうするのだと書いてある。我々がふるさとに思いを馳せるのは田舎のお米をいただいたときだけしか感じないと言っている。
 しかし、今はそれも感じないと思う。昔は米穀台帳のように目に見えるものがあった。
 今は、目に見える関係が大都市と地方、食物、エネルギー、いろいろなところで見えなくなっている。こういうものを何とかして、目に見えないなり目に見えるなり、共有していくことがこれからの第一歩の課題だと思う。これが地域のつながりの再生、ふるさとの再生である。観光を考える時にその根っ子となる福井県というふるさとの意味、構造を考えて、これからの観光の講座をお聞き願いたい。

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