全国自治体学会における基調講演 「転換期における地方行政~『ふるさと』政策の動きを福井から~」

最終更新日 2010年2月4日ページID 009425

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 このページは、平成21年8月20日(木)にAOSSAで行われた全国自治体学会における知事の基調講演をもとに、その内容を整理してまとめたものです。

 Ⅰ 地方自治とマニフェスト
 Ⅱ 「ふるさと」の発想 ~つながりの重要性~
 Ⅲ 希望学 緩やかなつながりの形成
 Ⅳ 都市と地方の結びつき 支えあう地方と都市

 こんにちは。今日は、全国から多くの皆さんに福井県にお越しいただきまして、ありがとうございます。
 それでは、私からは「転換期における地方行政~『ふるさと』政策の動きを福井から~」というお話をしたいと思います。

 【Ⅰ 地方自治とマニフェスト政治】210820講演写真1

 今年は、2000年4月に地方分権一括法が成立してからちょうど10年目に当たりまして、昨今の社会情勢を見ておりますと、時代は、政治や経済などさまざまな分野で大きな転換点を迎えているといっても過言ではないと思います。
 いま選挙中の衆議院選挙におきましては、マニフェストによる選挙がいよいよ本格化しており、郵政民営化の是非を問うという前回の総選挙からは一転し、政策の選択、すなわち、地方分権を含むさまざまな分野について議論が繰り広げられております。ただ、いわゆるマニフェストで最も避けるべきウィシュ・リストの一覧表になっていないかを注視する必要があり、マニフェストの考え方の政治的な単純化が、逆の意味で行われてしまうおそれがないわけではありません。
 いずれにしても、選挙の結果、その約束であるマニフェストをどう実行するかが課題かと思います。一方、地方政治を見ますと、既に2003年の統一地方選からローカル・マニフェストによる選挙が行われ、また、前回の2007年の選挙で第2回目のマニフェスト選挙が行われるなど、マニフェスト政治については、地方自治体が先行しているといえます。
 ローカル・マニフェストは、それぞれの地方自治体や一部の地方議会の会派でも作成されていますから、種類も内容も多数で多様であります。地方のマニフェストは、各自治体間の政策競争の大きなツールになりつつあると感じています。一方、競争が行われる結果、先進的な政策を実施しても他の自治体がよい意味で学び合うことにより、政策の鮮度期限が短期化するという一面もあると感じています。そういう側面はありますが、マニフェストによる政治というのは、最近の地方自治にとって大きな役割を果たしており、今後とも重要であると思っております。

【Ⅱ 「ふるさと」の発想 ~つながりの重要性~】

 さて、こうした自治体独自の政策づくりの中で、住民の生活の質をどのように高めていくか、ということに福井県としては関心を寄せており、暮らしのクオリティーをいかに向上させるか、ということに日々腐心をしております。
 最近、私は岩波新書から『ふるさとの発想』という本を出版いたしました。福井県の様子だけではなく、全国の皆さんが地方自治、あるいはふるさとづくりや地方分権、こうした問題を考えいただき実行する際に参考にしてほしいという思いを込めて書いたものです。国と地方の関係、国土計画の問題点、ふるさとにおける人々の活動、さらには福井県が昨年提唱した「ふるさと納税」の考え方について書いてあります。
 このふるさと納税の議論は、地方からの提言が、国の税制、すなわち国民の基本にかかわる制度の中に取り入れられたことに意義があると思います。こうした問題をどんどん地方からつくり出して、全国的に、また地方自治の場で実行していくということを、これからの大きな流れにしなければならないと思います。

 そこでまず、「ふるさと」という発想の基本である「つながりの共動社会」、共に行動しつながっている社会、の確立が重要であるということをお話したい。
 これまで、地方自治あるいは地方分権はどうしてもシステム論、制度論、例えば権限や財源のことを議論することが中心となりがちでした。もちろん、こうした論点は大切ですが、それに加えて、地方自治を進める人びとの姿、すなわち住民の方々の人間関係や人間像といったものにまで関心を広げ、行政を進めていくことが重要になっていると考えます。
 ここ10年来、一つはグローバル化、二つには職場社会、会社社会の変容、三つには近隣社会や団体の基盤の崩壊、こうした社会背景があります。さらに一連の改革などを背景とした、人と人とのつながりや地域同士の結びつきの弱まりをいかにもとに戻すか、あるいは新しい形でつくり上げて強めていくのかが、地方自治において重要な課題となっています。
 グローバル化を例にとりますと、いまはテレビやインターネットなどにより、世界中の情報が生々しい映像でほとんど瞬間的に入るようになり、一過性で拡散しやすいこれらの情報に注意が引きつけられ自然に関心が向く一方、地方自治に深く関わりのある身近なこと、例えば地域の防犯や世代間のつながりなどに対する関心が、ますます希薄になっているように思います。これは、とても矛盾した不思議な現象であると思います。
 こうした状況に対応し、様々な地方自治に関する問題点を解決するためには、「ふるさと」という考え方を生かせるのではないかとの思いに至ったわけです。
 具体的な場所、具体的な人々の関係を重視し、具体的なイメージをしっかりと持って地方自治を進める必要があります。
 ここで少し余談になりますが、「ふるさと」の考え方を歴史的に調べてみますと、歌や映画からその変遷をうかがうことができます。最初は、小学唱歌の「ふるさと」(「わすれがたきふるさと」、あるいは「おもいいずるふ
るさと」など)の歌詞に現れているように自分の、誰でもない私自身の「ふるさと」という考えであった。ところが、高度成長期を経て、山口百恵さんや五木ひろしさんの頃の歌になると、「日本のどこかに」という歌詞のよ
うに、ふるさとは特定性を失い、誰にでもどこかにあるものに変容しました。そして、相前後して次には「フーテンの寅さん」のように、ふるさとは、どこにでもあるという一般化したものになりました。さらに現代では、歌からふるさとがほとんど無くなってしまいました。
 しかし、今や歌の世界から、実際の住民の皆さんの活動の中に「ふるさと」というテーマが新たに浮かび上がっており、これを如何に地方自治に生かすか、また政策化するかブランド化するか、こうしたことが住民の自治の課題になっていると思うのです。そのように私は考えています。そのためには、人びとの間に新しい「つながり」をつくることが重要であります。
 

【Ⅲ 希望学 緩やかなつながりの形成】

 「ふるさと」づくりやその問題解決には、新しい知見、知識、考え方との結びつきが大切であると考えています。すなわち、こうした知見との協力による政策がなければ、これからの「ふるさと」という新しい発想、そこから生まれる行政課題の解決は難しくなるのではないかということです。地方自治における「学と官」、「学と自治」の連携、すなわち大学や研究機関との共同研究というものが必要になるのでないでしょうか。
 福井県では、県内外の大学と、さまざまな分野で共同研究を進めていますが、今回は「希望学」を例にとって話をします。
 住民の暮らしの満足度、質の満足度を個別具体的にいかに充足させるかということは極めて重要でありますが、それだけでは住民の希望あるいは夢といったレベルのもと強く結びついた施策にはなかなかなりません。県民のニーズの充足だけではなく、県民の将来の夢や希望が高まることにより、ふるさとにおける暮らしのクオリティーも高まっていくということが大切でしょう。
 そこで、福井県では、希望と社会、あるいは希望と地方自治のかかわりについて、東京大学社会科学研究所の玄田有史先生などが中心となって進めている「希望学プロジェクトチーム」と一緒になり、地域における希望の問題について調査研究を進めています。
 希望学では、緩やかなつながり(これは英語で「ウィーク・タイズ」と学者の方はおっしゃっています)を如何に地域や自治体で作っていくか、広めていくかということをテーマにしています。難しい課題だけれども、このことによって暮らしのクオリティーがより上がるのではないか。私のマニフェストのアンケートや評価に当たっても、「将来の希望」の質問を入れております。
 特に福井県は、他の地域に比べると、地域の結びつき、人々のつながりが高い。それから、我慢強く物事を行うという県民性もありまして、今言ったような希望とか結びつきという議論をするふさわしい「ふるさと」ではないかと考えたのです。
 福井県は失業率が低く、生活も豊かであり、子どもの学力あるいは体力も秋田県、青森県、富山県、石川県、岐阜県などと並んで全国最上位にあります。しかしながら、「将来の夢や目標を持っているか」というアンケート調査において、「持っている」と答えた福井県の小学生の割合は、あまり高くありません。このことは、現状に満足しているせいかもしれませんが、教育上の課題であると感じており、これから希望学を展開する際の一つのテーマではないかと考えています。
 4年前、福井県では、福井出身の由利公正の起草した『五箇条の御誓文』の草稿を購入しました。また、岡倉天心先生の『茶の本』の100年前の初版本も購入しております。これは、こうした歴史的な書物やモノなどを通じて、子どもたちに、自分たちのふるさとの先輩が頑張ったんだということを知ってもらうとともに、自分たちと先輩とがつながっているのだ、という気持ちを持って欲しいとの思いからです。
 また、昨年、福井県出身の南部陽一郎先生がノーベル物理学賞を受賞されました。私も直接先生にお会いしお祝いを申し上げ、福井の子どもたちへの言葉もいただきました。それは「Boys and Girls Be Ambitious!」という英語のメッセージと「個性を持って生きよう」という日本語のメッセージでした。今年の11月に福井市内に「福井子ども歴史文化館」をオープンする予定ですが、このような地域の先輩のメッセージなどを展示し、希望と気概を持った子どもになってもらいたいと願っております。
 

【Ⅳ 都市と地方の結びつき 支えあう地方と都市】

(都市問題と自治の将来)
 次に、都市と地方の問題、つまり都市と地方の対立を超えてどのような結びつきを持つか、ということについて話したいと思います。
 最近、道州制の議論など国と地方の関係、都市と地方の関係、いわゆる「この国の形」といった議論が活発に行われていますが、それらの多くは抽象的な議論であり、もっと具体的な考え方をする必要があるでしょう。
 道州制に関して言えば、国民の6割が消極的な意見でありますし、全国の町村会、あるいは町村議会議長会も強く反対をしている状況にあるわけですが、いまだに何となく理想の姿のようなテーマとして議論されています。しかし、今の時代は、ムードに流されず何を議論するか、を選んで行うべき時代ではないでしょうか。
 もちろん、国と地方の議論をする場合、地方が一枚岩になることは重要ですし、無用な対立は避けなければなりません。しかし、都市と地方にはこんな違いがあるのだ、あるいは互いにこのような助け合いの関係にあるのだ、ということを認識することが前提になります。
 道州制などの議論が出てくる背景には、大都市において、都市行政にかなりの行き詰まりがあるのではないでしょうか。つまり、大都市自身の難題をどう打開するかということとこの道州制論とが関係をしていること、また大都市自身が自らの問題を主体的に解決することをややあきらめかけてはいないかということです。それらの問題が道州制論に無意識にすりかわっているということではないかということです。
 道州制の議論は、主にメディアに近い大都市から発信されていますし、人口も多いですから国の政治にもいろんな意味で大きな影響をもたらします。しかし、大都市問題を解決しないままに、大きなゾーンをかぶせて日本全体を議論するということは、われわれ地方としてはある意味で迷惑なことです。都市の住民にとりましても、身近な問題が解決されずそのままになる、ということになりかねません。大都市問題は、そこに住む住民にとっても、そのほかの多くの地方の住民にとっても、よそ事他人事ではなく、広く「地方」の問題として十分議論する必要がある問題なのです。
 1970年代頃の大都市は、いろいろな意味で全国の自治体のお手本になっていました。いわば全国の自治体の政策を先行していたと言えるわけです。現代においても、これからの全国の地方自治体がどのようになるのかについては、大都市の今の自治システムを見ればある程度想像がつくわけです。だからこそ、大都市の地方自治をもっと良くしないと、将来日本の地方自治も良くならないのではないかと思うのです。

(地方と都市の支え合い)
 地方の立場からこのような都市問題を論ずる別の意味は、大都市だけではすべての国土の機能が完結しないからです。例えば、大都市サイドでは、地方で教育を受けた人材が集まっているという意識が希薄です。また、大災害の問題においても、大都市で万一災害が発生しますと、われわれ地方に対し、財政的な問題をはじめ様々な影響が及ぶはずです。そういう意味で、大都市と地方との関係をしっかり認識をし、お互いに協力して国の形を良いものにしていくことが重要なのです。
 福井県には13基の商業用原子力発電所があり、関西地域の電気の半分を供給をしています。また、大都市は水資源を地方に依存しています。東京ですと群馬とか奥多摩、関西ですと滋賀県が、それぞれの大都市圏の水を供給しているわけです。
 しかしながら、日ごろは、こうした問題を考えることなく、それぞれの地域が独立して、何か自立しているような考えに陥りがちです。私は、このような考えに陥らないよう注意しなければならないと考えます。地方と大都市は、それぞれが自立するという関係ではなく、互いに支え合っているのだということを絶えず意識しなければなりません。

 「団体の自治」の観点から大都市の問題を言えば、大都市を中心に「団体の自治」が強くなっている。あるいは合併で大きくなった自治体が権限を持つ、指定都市が増える。発言力を持つということがあります。
 しかしながら、「住民の自治」という観点からは必ずしも力強くなっていないのではないでしょうか。投票率、公租公課負担の納付率、議会や首長への住民の声の届き方など、さまざまな点でそのように感じられます。
 現代は成熟化した時代です。大都市圏には国民の半分近くが高密度に住んでおり、そこでの成熟しているはずの「住民の自治」が極めて重要になっているといえましょう。
 このように考えを進めてきますと、大都市の地方自治のあり方という問題は、これからの地方自治のテーマとして取り組むべき大きな課題であります。このような重要な課題を横において、道州制など漠然と拡散した議論をすべきではないと思います。

(規模の経済・範囲の政治)
 ここ10年余り、「規模の経済」と言いましょうか、大きくなるほど効率がよい無駄がなくなる、という議論が多くありました。議論だけではなく、実際の政治行動もそうでした。これはどのような考えであるかといえば、大工場でモノをつくるような少品種・大量生産のビジネスモデルと類似しているといえるでしょう。あるものを画一的に、大きな規模で生産・提供すればうまくいく、お金がかからなくて済む、それがよいのだということです。
 しかしながら、元来、さらにこれからの、地方自治の現場では、あえて例えるなら典型的な多品種・少量生産のサービス、さまざまな分野について全部タイプが違うサービスを提供することが求められます。医療、福祉、教育、農業、環境、土木まですべて異なります。すなわち、新しい地方自治は、ある地域に、ある問題があって、それに応じてサービスを提供する時代、さらには、ある課題を設定してより良いものを作り出していく時代に入っています。このような状況には、少品種・大量生産という考えの「規模の経済」といった発想では対応できないのではないでしょうか。これからは、多品種・少量生産で、きめ細かく顧客のニーズに応えるという考えの「範囲の政治」といった発想に切り替えることが必要です。210820講演写真2
 このように考えるとき、これから大都市に期待したいのは、地域を細かく分け、分立をして自治をすることが大切だという発想の転換です。東京都の23区がどうだとか、政令指定都市の今のやり方がどうだとかいうのは、もちろん、それらの都市の立場で議論をしていただくことが重要です。しかし、これからの大都市では、地域を細かく分け個性を出し、分立して自治を行う、こういう方向に切り替えていくことに解決の道筋を考えていくべきと思います。
 大都市においても、地方と同じように、またそれ以上に、もっと「ふるさと」、「つながりの共同体」を盛んにする必要があります。そして、大都市と地方が「ふるさと」によって結びついていかなければ、日本という国の姿に希望が見えてこないことを最後に強調し、私の講演を終わります。
 

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