平成22年度新規採用職員研修での講話

最終更新日 2010年4月7日ページID 011338

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 このページは、平成22年4月7日(水)に行われた平成22年度新規採用職員研修での講話をまとめたものです。

 Ⅰ 高浜虚子(1874-1959年)が娘立子へあてた文章から
 Ⅱ ゲーテ(1749-1832年)の格言から
 Ⅲ 荻生徂徠(1666-1728年)の考え方から-「問答集」
 Ⅳ 蓮如上人(1415-1499年)のことばから
 Ⅴ 新井白石(1657-1725年)のことばから-「折りたく柴の記」

 本日は、4月1日の辞令交付式の際にお話しした内容を、少し詳しく述べる形でお話をしたいと思います。

 お配りした資料には5人の方のお話が書いてあります。このとおり本に書いてあるわけでなく、抜き書きしたものですから、元の本を読んでもらうのが一番良いと思います。

 まず、俳人の高浜虚子です。正岡子規と並ぶ有名な俳人です。5人の中で最も時代の新しい人です。
 2番目に、ドイツの作家、詩人、哲学者のゲーテです。ゲーテは18世紀から19世紀前半の人で、ナポレオンがフランスから侵攻した時にナポレオンとも会っています。
 3番目に、江戸時代の漢学者、儒学者ではほぼ3本の指に入るぐらいの立派な人で、荻生徂徠です。
 4番目に、吉崎御坊に本山を築いた人で、浄土真宗の開祖である蓮如上人です。5人の中で最も時代の古い人です。
 最後に、江戸時代の最大の学者、歴史家、言語学者、政治家の新井白石です。
 以上の時代も立場も違う5人の言葉から引用しています。

 【Ⅰ 高浜虚子(1874-1959年)が娘立子にあてた文章から】

○「如何なる仕事でも十年かじりついておればもう根底はなったといってよい。」220407講演写真1
→高浜虚子は『ホトトギス』ということで一家をなした人で、文化勲章も受章しています。
 これは、虚子の娘の立子さんが今で言うと俳句の新しい結社をつくった際に、どんな仕事も十年間かじりついていれば基本は出来るから「十年間は我慢して、雑誌を発刊しなさい」ということを伝えた言葉です。
 私もそうですが、皆さんも五年あるいは十年よく勉強して、きちんとするとものになるということです。三十年たってもものにならない人もいるので注意してください。表面はものになっているように見えても、中身がものにならないといけません。
 世の中に多くの人がいますが、本当に役立つ人がどれ位いるかというのは難しいところです。県民に対して役立つ人になっていただかなければなりません。

○「たまっておった仕事を片付けた時の気持ちは爽快なものである。―何でもかんでも片付けてしまうという気易い事務的な心持になっていいであろうと思う。」
→これから仕事を行う際に、仕事を溜めるかもしれません。机の上に溜めたりコンピュータ上で溜めたりすると思いますが、溜まった仕事を片付けた時の気持ちは爽快であるということです。
 また、上司から色々な指示があると思いますが、あまり深く考えず、まず処理してしまう。これはこれからの業務にも役に立つと思います。

○「何でもいいから―手に当たったものから、あるいはなかで最も処理しやすいものから手をつけはじめる。そうすると山のように滞積しておった仕事の一角がともかくも崩れはじめる。それから仕事にはずみがついて来て、終にその山を片付けることが出来るというようなことをよく実験したものである。」
→難しいものからやると大変ですから、易しいところからやると仕事も減ってくるし、弾みがつくでしょう。最後にはその大きな山も片付けることができるということです。

○「幾ら考えても好ましい処のない仕事は断然やめるべきだ。」
→いくら考えても好ましいところのない仕事はやめなさいということです。上司から言われた仕事で、どう考えても変な仕事だなということがもしあったら、上司に言ってやめてください。何となくという気持ちで仕事をやってはいけません。

○「構想ばかり骨を折って、つまり骨格ばかり出来て、血や肉が通っていないものよりも、骨格がばらばらでも血の通っている方がいいということになる。大いにやってみたらどうか。」
→構想や計画ばかりに骨を折って血や肉の通っていないものは仕事としては値打ちがないということです。多少骨格はばらばらでも血肉の通っている仕事の方がいいということです。
 県民のために行う仕事は血が通っていないといけません。格好だけできていてもほとんど役に立ちません。心がこもっていないとか血や肉が通っていない仕事は県民もすぐ分かりますので、そこを注意してください。

○「実際から来た人の説は辻褄の合わないところがある。なぜもっとはっきりしないのかと思うことが多い。しかしなるほどと合点する場合が多い。」
→県民から実際に話を聞いた時に「理論的に考えると何か変なことを言っているね」というような感じを持つかもしれませんが、実際の現場の状況を基にした要求や主張は、よく考えると納得できる場合が多いということです。
 県民とお話しするときに、これは実際的な話なのか、理屈上のことなのかを区別して、あまり理屈の方に行かないようにしてください。理屈をこねても無益なことで、実際的なことから考えるのが大事です。

○「種々の力が働いているのである。落ち着く処に落ち着くのである。但し自分の力もその種々の力の中の一つである。」
→今、福井県には教育や子育て、農業、新幹線、原子力など、いろんな課題があります。皆さん一人ひとりが県庁の力であり、新規採用職員としてのベクトルの方向と長さはまだ小さいかもしれませんが、自分は県庁の中の一つの力であることを忘れないでください。また、その力を間違った方向に向けないでください。

○「自分がこうしようと思うからする、こういう事をしなければならないからするという積極的な方がものがてきぱきと運んで自分でも結局気持ちがいい事になるのではないかと思う。」
→人に言われて嫌々やるというのでなく、自分がこうしようと思うからする、是非ともしなければならないからする、という積極的な姿勢の方が物事がてきぱきと運び、自分も気持ちがいいということです。

○「人々にこの意気さえあれば、日本もまだ亡びはしないであろう。」
→虚子がこの文章を書いた時は、日本が戦争に敗れてぐったりしていました。今の日本もそんな感じが少しありますが、虚子はそのときある事例を見て「心意気があるな」と皆が感じることができるような状態なら、戦争に敗れてひどい目に遭っていても日本は滅びない、ということを言っています。つまり、何事にも心意気がなければならない、心意気が大事ということです。

○「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。」
→他人の目を気にすると行動や思い切りが悪くなりますから、その人自身が進歩しません。
 知事の立場もそうです。いろんな人からどう思われてるかとか、政策を行おうとした時に反対者が出るのではないかとか、そういうことばかり気にしていると大したことはできません。
 他人の目をあまり意識し過ぎると思い切った事ができなくなりますから、あまり他人の目ばかりを気にし過ぎず、仕事に取り組んで欲しいと思います。

○「今日の私たちにあってもその祖先の習慣をにわかに軽蔑して破壊することは好ましい事ではない。自分というものを離れて、唯、物その物のために研究した意見になると少しも無理がなく匠気がない。」
→最近は「改革」という言葉がよく言われています。それは悪くないのですが、昔から連綿と続いている習慣とか良いものは軽々しく変えてはならないということです。

○「祖先のした仕事をふりかえってみると自ずから私たちの進んでいく道は明らかになると思う。」
→これから仕事をする場合に若い人は新しい物に目が行くと思いますが、古いものを見てください。祖先のした仕事を振り返ると、自ずと皆さんの進んでいく道は明らかになります。

○「人間はその日その日の出来事で、だんだんと運命づけられて来るものである。―安んずるとは安心して眠っておるという意味ではない。その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ。」
→運命、境遇、こういうことを意識しながらその中で頑張っていくということを言っています。その日その日の出来事を大事にしてください。今、私がお話ししているこの時も、その日その日の出来事の一つですから、知事は何を言っているのかなと聞いているのも結構ですが、何か役立てるようにしてください。

○「私は桜の花を人が愛ずるものは、桜の花を愛ずるのではなくて、春のある時候を愛ずるのであると合点が行った。」
→まさに今の季節ということで抜粋したのですが、桜が綺麗なのではなく、今ここにいる皆さんが綺麗だということなのです。春を迎え、若い人が新しい社会に出てゆく、希望に満ちた若々しい様子が綺麗だということです。希望に満ちてこれから県庁の仕事に携わるわけですが、今の気持ちを大事にしてください。

○「若い人は、遊びたい時分にはうんと遊んでおく事だ。そうかといって、なまけものになられても困るが。」
→あまり真面目くさっては面白くない人間になってしまいます。皆さんにはいろんな事をしてほしいし、遊ぶ時は遊べばいいと思います。ただ、怠け者になってはいけません。

○「自己嫌悪に陥ることはよくない。これは往々に秀才型の人に見ることである。自己批判をして自己の短所過大に感じた結果である。自分に十の欠点があっても一点の長所があればその点に全幅の信頼を自ら寄せてよい。」
→これは今の若い人には大事な言葉です。自己批判をして自己の短所を過大に感じ、落ち込んだり閉じこもったりしがちですが、余り考え過ぎない方がいいということです。皆さんにもいろいろ欠点があり、なかなか自分の長所は分からないと思いますが、一つ長所があればそれを大事にしてください。
 先輩になる職員には「若い人にその人の良い所をちゃんと伝えてください」とお願いしてありますが、欠点を指摘されることも大事なのです。そういう気持ちで仕事に取り組んでほしいと思います。

【Ⅱ ゲーテ(1749-1832年)の格言から】

○「生きて働きつづけているものだけを表現せよ。いっさいの否定的精神、いっさいの悪意や悪口を、そして否定しか能のないものを、まさしく排除せよ。というのも、そうしたものからは何物も生まれてこないからである。
 ひとつひとつの詩について、それが体験されたものを含んでいるか、その体験が自分を進歩させたかどうかを、自分に問うてみるがよい。」
→否定的精神、悪意、悪口、否定からは何も生まれてきません。自分も進歩せず、相手も良くなりません。こういう精神を排除して、積極的に物事に取り組めば結果は出るということですから、積極的な姿勢で仕事を行ってほしいと思います。

○「日々は、それ自体としてはあまりに貧しすぎる。五日単位にでもまとめない限り、収穫はない。
 日々は迷誤と失策の連続だが、時の積み重ねが成果と成功をもたらす。
 歳をとるということ自体が、実は新しい仕事につくことを意味している。
 瞬間は一種の大衆である。これを欺いて、わたしたちが何か仕事をしているかのように思い込ませねばならぬ。そうすれば時間は、わたしたちの思いどおりにさせてくれるし、ひそかに好きな仕事を続けることも認めてくれる。彼らの子孫が驚嘆するような仕事を。」
→これから日々仕事をするわけであり、その中では迷うこともあるし、失敗することもあると思います。一つひとつを見ると迷いや失敗ということになりますが、迷いや失敗を積み重ねることが、成果と成功をもたらすというのがゲーテの考えです。これから仕事で迷ったり失敗したりしても、それは成果を出すためのステップだと思ってください。

○「思い切って、自分は制約された存在であることを宣言すれば、自分が自由であることが感じられる。
 自発的な隷属こそ一番すばらしい境地だが、愛なくしてどうしてそのような境地が可能だろうか。」
→自分は県庁の組織の中で自由自在である、誰からも制約されないのだ、自分の考えで何でもやるのだ、という心意気は大事ですが、組織の中ですからルールはあります。言わば束縛です。
 その中で相談し、仲間とコミュニケーションをとりながら目標を達成するということが大事であって、組織のルールを意識する中で自分が自由にどれくらいのことができるか、そこを考えてほしいと思います。

○「私たちは他人の好意にふれるときにこそ、本当に元気溌剌となる。
 他人からよい助言をもらえるということは、自分でそれを考え出すことができるのと同じである。」
→私たちは他人の好意や親切、助力、優しい言葉に触れる時には本当に元気が出ます。県民に対し好意を絶えず発信しなければなりません。そして、皆さんの好意を県民が理解してくれることが公務員として元気が出る、ということです。
 また、他人からよい助言を貰えるということは、自分でそれを考え出すことが出来るのと同じであるとも言っています。誰かから教えてもらって、これはいい考えだ、これは使えるなと感じて、それを自分が使ったなら、それは自分が考えたのと同じだということですから、他人の言葉を大事にしてください。

【Ⅲ 荻生徂徠(1666-1728年)の考え方-「問答書」から】

○「聖人の道においても、知・仁・勇は三達徳(「中庸」)といわれ、君子たるもの「勇」がなくてはならない。
 しかし、人間は自分の知らないことには恐れ、慣れないことには用心をする。しかしまた、理屈を知りさえすれば怖くないものと思っても、理屈を知るだけでは知るほどに疑いが増して気づかいが多くなる。
 であるから、初めは怖いのを我慢し慣れる、『理屈を離れて、ただ何となくそのことに慣れるのが一番よろしい』。
 大体以上のようなことであるが、しかし又、世の中には人間の知力に及ばぬこともあり、慣れぐらいのことでは、必ず勇気がくじけることになるだろう。そのような人知・人力の及ばないところでは『天命にまかせる』よりほか、どうすることもできない。であるから、勇と怯との根本というのは『天命を知るか知らぬかに落ち着く』」
→公務員の仕事でも、知(知識)・仁(好意)・勇(勇気)が必要です。
 初任者であれば、何をやっても「何か恐れを為す」と思います。まず知らないということが勇気の出ない原因の一つですから、よく勉強し、経験を積んでほしいと思います。経験を積んでも解決できないことも出てくると思いますが、努力しても解決できない場合に自分が正しいと思って判断した後は、天命に任せる勇気も必要です。220407講演写真2

○「政治を論じる人のほとんどが、ただ方法の善悪ばかり吟味するのは、「道」をわきまえないところの間違いである。方法よりも、それを行う人物の如何が最も重要なことである。たとい方法は悪くても、行う人が立派であれば、それ相応の効果が出ることになる。また同じ方法でも、行う人物の如何によって、違いが生じる。人物の吟味を忘れて、方法の吟味ばかりをするのは、要するに自分の知恵、才覚で万事をはかろうとするところにその病根があると思われる。」
→政治についてはシステムよりも、それを行う人物の資質が最も重要なことであるということです。いくら制度を改善したり仕事の仕方を変えても、それを行う人物の資質が悪いと良い政治はできません。また、同じ方法をとっても、行う人物によって違いが生じるということです。皆さんはこれから行政の仕事を行いますから、自身が立派になれば同じ方法をとっても県の行政は立派になるということです。

○「国土には五穀をはじめあらゆる用材が生じるように、それぞれ時代時代に役立つ程度の人物は必ずあるもの。「国に人なし」というのは、朝廷に人材がいないということを言ったにすぎない。およそ人材がいないと断定するのは、天道に対して失礼の極みといえる。自分の才覚・知恵を第一と考え、自分の方から注文(好み)を出して人材を探すのでは、実在する人才は見えてこず、どこにも永久に見つかるはずはない。当代の人々は、人の失敗を咎める気持が強いので、自分でも失敗のないようにとばかり気をつかう。人を使い損う人でなくては、人を使いこなすことはできない。人を使い損うまいと思うのは、聖人にもまさろうとする考えであり、大きな間違いである。人物を知ってから用いるようなことは不可能であり、用いてみないと分からないものと思いください。」
→今の時代もそうですが、失敗するとそれを咎める傾向が強いので、失敗しないことばかりに気を使い過ぎています。しかしそれは間違いで、あまり外形とかシステムに気を使わないでやるのがいいということです。すぐに使える教訓かどうかは分かりませんが、半分ぐらいは使えそうな感じがします。

【Ⅳ 蓮如上人(1415-1499年)のことばから】

○「蓮如上人、仰せられ候う。『物をいえいえ』と、仰せられ候う。『物をいわぬ者は、おそろしき』と、仰せられ候う。『信不信、ともに、ただ、物をいえ』と、仰せられ候う。『物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ』と、仰せられ候う由候う。」
 「蓮如上人、仰せられ候う。『世間、仏法ともに、人は、かろがろとしたるが、よき』と、仰せられ候う。黙したるものを、御きらい候う。『物を申さぬが、わろき』と、仰せられ候う。また、微言に物を申すを、『わろし』と、仰せられ候うと云々。」
→物を言いなさいと言っています。喋れということです。物を言えばその人の思っていることも分かりますが、物を言わないと相手からは、周りからは自分が何を考えているか分かってもらえないということです。物を言わないと助言も受けられないので進歩しませんから、物を言う人になってください。
 また、明朗な態度(かろがろとしたる)を心掛けろとも言っていますよね。組織の中では物を言える明朗な人間になってください。

【Ⅴ 新井白石(1657-1725年)のことばから-「折りたく柴の記」】

○「むかし人は、いふべき事あればうちいひて、その餘(よ)はみだりにものいはず、いふべき事をも、いかにもことば多からで、其義を尽したりけり。我(わが)父母(ちちはは)にてありし人々もかくぞおはしける。―(現代語訳)―昔の人は、言うべきことははっきり言うが、そのほかは無用の口をきかず、言うべきことも、できるだけ少ない言葉で意をつくした。私の父母であった人々もそうであった。」
→昔の人は言うべきことははっきり言うが、そのほかは無用の口をきかず、言うべきこともできるだけ少ない言葉で心を尽くした。私の父母もそうであったという意味です。上の蓮如上人とはややニュアンスが違うかもしれないですが、言うべきときは言うべし、は共通です。喋る時には、はっきり喋って、あまりごちゃごちゃと言わないほうがいいということです。
 自分の意見を言うべき時には、はっきりと気持ちを伝えてほしいと思います。

以上、昔の人のことばについて、何人か選んでお話しました。何か一つでも参考にしてもらえればと思います。これからの御活躍をお祈りいたします。

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