新規採用職員研修での知事講話

最終更新日 2014年4月7日ページID 026463

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 このページは、平成26年4月7日(月)に自治研修所で行われた、新規採用職員研修での知事講話をまとめたものです。

 皆さん、おはようございます。きょうは研修の初日ですね。新採用職員研修は退屈かもしれませんが役に立つことも多いですので、しっかりと話を聞いてほしいと思います。
 新採用職員研修は私には10年以上昔のことですが、きのうのことのように思い出されます。後で振り返るとあっという間に30~40年ぐらい経っています。そういう人生ですので、一日一日、一年一年を大事にこれから頑張ってほしいと思います。

 今日はこの本を持ってきました。知事が本を持ってきたということを映像として記憶してください。そうすると何となく話も一緒に覚えているものです。
 これは『希望学 あしたの向こうに』という本です。東大と5年ぐらい、福井県の良いところや問題点をフィールドで研究して去年出版されたものです。東京大学社研というところの経済学の玄田有史先生が編集をしながら、福井県の産業、福祉、教育、観光など、いろんなことを書いておりますので、数か月のうちに一度読んでみてください。いろんなことがわかると思います。

 それから、これはNHKラジオのテキスト「ラジオ英会話」です。こちらは「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」「攻略!英語リスニング」「英会話タイムトライアル」です。皆さんはどれぐらいがいいかな。テキストはたまに買ってもいいけれども、あまり買わないほうがいいかもしれません。テキストを見ないほうが英語の勉強になるかもしれません。
【写真】知事講話
 私はこの4月からは5分間だけ聞き流しの英語「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」という番組を聞いています。これは毎日10時頃から5分間流れます。中学校ぐらいの英語ですからわかると思いますし、易しい言葉同士を組み合わせることでいろいろなことが言えることがわかります。これと「イージーリスニング」10分ぐらいでよい英語の勉強になります。私は1日に何度もやっています。通勤中、食事中、帰ってからなど、全体で30分ぐらいから英語にトライしてみてはいかがでしょうか。

 私は四、五年続けていますが、聞くのはだいぶわかるようになりました。それまでは何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。皆さんも3年間ぐらい毎日やれば、必ず物になると思います。若いからもっと早いかもしれません。聞こえてくる音のうち、大事な言葉が前のほうに大きく出て、大事でない言葉は後ろのほうに下がって小さく聞こえてきます。 ‘by’や ‘them’や‘of’などの機能的な言葉は後ろに下がって聞こえ、重要な内容語が前に出てきます。必ずわかると思います。これからそういう実感が大事ですので、ぜひともやってほしいと思います。

 この本は小説『赤毛のアン』です。読んだことがある人は手を挙げてみてください。〔挙 手〕 四、五人しかいないんだな。ちょっと残念。
 今週からNHKの朝ドラ「花子とアン」が始まりました。この時間はちょうど皆さん通勤中ですから、ビデオに撮っておいたほうがいいと思います。これは『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子さんの伝記をドラマにしたものです。見てみるとおもしろいですよ。明治時代に『赤毛のアン』と重なったような物語です。先ほどちょうどテレビでやっていましたから、この本を持ってきました。『秘密の花園』という文庫本です。これはまた違う少女小説です。バーネットという人ですね。
 これは『赤毛のアン』の英語版です。

 村岡花子さんは、明治30年当時に小学生ぐらいの年齢でした。甲州、甲府の人です。お百姓の家の生まれで、貧しいために学校へ行けなかったようです(実際には少し脚色があるかもしれません)。お父さんは行商をしていて家にあまりいない。お母さん、おばあちゃん、お兄ちゃん、弟、妹2人の大家族です。数か月ぶりにお父さんが行商から帰ってきたところ、我が子が尋常小学校へ行っていないことを知った。これは大変だ、学校へは行かせようということで、学校へ行くんです。でも、子守をしないといけないから、2歳ぐらいの妹をおんぶしながら授業を受けるという生活です。それから5年生ぐらいの時に小学校を転校して東京のミッションスクール、女学校へ入るんです。

 ここで皆さん考えてほしいのです。なぜ明治30年代に、貧しくて学校もまだろくに行けなかったこの少女が、女学校に入れたのか。境遇を変えることができた原因は何か。なぜこんなことが起こったか、想像してみてください。それはお父さんが行商(物語の上で)をしていたからです。東京に行っていたからいろんな情報を持っていたのです。東京には授業料なしで英語を勉強できる学校があるということを知っていた。それが娘に適用したのです。その結果、この花子さんがこのアンの本を翻訳できたのです。どんな時代でも情報が大事だということがわかると思います。

 我々は、当時の村岡花子さんのように厳しい状況にあるわけではありませんが、知らず知らず情報に疎いと、仕事の境遇も調子も良くなりません。福井県の境遇だって、皆さん自身の境遇もまた改善できないと思います。境遇はなかなか変えられませんが、変えられる可能性もあります。また、与えられた境遇の中で、最大限に仕事をしなければならないという場面もあります。その例としてこの村岡花子さんの話を挙げました。今後、情報は極めて重要です。
 この朝ドラはおもしろそうですから、ちょっと暇に任せて見てください。田舎と街とか、外国語の学習とは何かとか、貧しいという意味とか、いろんなことがあります。
 4月1日のあいさつで新採職員の諸君に挑戦の話をしました。失敗を恐れず、失敗ぐらい若いときはやってもいいとか、そういう話の意味をもう1度改めて話します。
 挑戦ということの本当の意味は、外のものに対してではなく自分に向かってやるものです。山に挑戦するとか、新しい発見に挑戦すると言いますが、本当は自分に課題を与えて自分に向かってやるのが、本当の挑戦です。
 英語で言うときもそうです。‘I challenge the mountain.’とは言いません。自分に向けて使う言葉が挑戦です。これから仕事をするときに、自分に課題を突きつけてほしいのです。自分に課題を突きつけて挑戦すると、ある瞬間にチャンスが巡ってきます。このチャンスに応じることができると、結果として挑戦ができたということになるわけです。巡ってきたチャンスに挑戦しても、応じることができていないと成功しませんし、間に合いません。このことをよくわきまえてほしいのです。いつも自分に課題を突きつけるのですから、必ず成功するチャンスが生まれてくると思います。

 花子さんも、自分がミッションスクールに入りたいから勉強していたわけではなく、全然知らずに勉強していたのです。貧しいながら妹や弟の面倒を見て、よく家の中のことを手伝いながら田舎の学校で一生懸命やっていたから、お父さんが情報を取ってミッションスクールへ行けたのです。いろいろなことが関係しています。皆さんもここで初めから大きな挑戦をしようと思うのではなく、様々な準備をして仕事を始めてほしいと思います。

 失敗例ですが私の経験を言います。ちょうど皆さんと同じ年齢で役所に入り、広島県庁の財政課というところで予算の手伝いをしていました。半年ぐらい後、東京の今で言う総務省の人事課長補佐から電話がかかってきました。「西川君、来年1年間、国連でアメリカの地方自治を学びに行くための試験を受けないか」という内容でした。しかし私は受けませんでした。受けられなかったのです。試験を受ける自信と勇気がなかったのです。その結果、私ではなく違う人が行きました。準備ができていないとチャンスに巡り合っても目の前を過ぎていくことになります。もしもあの時しっかり準備ができていてあのチャンスに巡り合っていたら、私は今ここにいなかったかもしれません。違う方向に行っていたかもしれません。どちらが幸せ、ということとはまた違いますが、人生の充実という点では失敗なのです。

 人生何がよいかわからないということはありますが、チャンスをつかもうと思ったら、準備をして物事に備えていなければなりません。人生では、自分が思っていないことが、突然チャンスとしてやって来るのがおもしろいことです。思いがけないときにやってきますので、平生準備をしないと間に合わないのです。昼の仕事の様子をしっかりしていないと間に合いませんし、声もかからないと思います。いいかげんにしていると、大事なチャンスを人生で5、6回逃します。1回でもいいからそれに巡り合ったときにぶつかれる、そういう状態をつくってほしいと思うのです。これが私が言いたかった今日の冒頭の話です。きょう覚えてください。こんな話だったということを頭に入れて、これからの公務員の生活を送ってほしいのです。この「挑戦」というのはそういう意味です。
 何か試験を受けるなどの挑戦の方法もありますが、1日に30分は英語の放送を聞き続けるという挑戦を実行することも大事です。それぞれの職場や仕事のタイプは違います。専門分野の仕事はもちろん、同時に福井県全体のことを考えて、英語の勉強をし、広く自分のスキルを身につけてほしいのです。つまり、TOEICやTOEFLが何点だったかというのは後に来る話で、その手前が皆さんの挑戦になります。以上が冒頭の話です。

 それでは次に仕事についての話をします。資料を見てください。
 4月1日に話したことは、主にこの資料のあたりから取った部分がありますので、共通するかもしれません。あのときに高浜虚子の話をしたことを覚えていますか? 俳句の話です。
 こういう俳句です。『これよりは恋や事業や水温む』、水温むは季語ですね。
 非常に大事なことです。浮ついた話ではなく、人生の恋愛とか、家庭をつくっていくことです。事業というのは君たちに当てはめると、県庁の仕事ですね。一方、恋は恋そのものです。こっちもないがしろにしてはいけません。県庁の公務員試験より恋の方が難しいですよ。端的に言うと、勉強しても成就しない。相手がうんと言わなければならないし、全人格をささげないといけないですよね。これは早くからちゃんと準備しないと。皆さんはすでにちょっと遅いぐらいかもしれません。大学のころからトレーニングしていないと間に合わないかもしれませんが、今からでも遅くはない。

 この文章は、高浜虚子が自分の娘に書いた文章から取りました。俳句で文化勲章をとった高浜虚子には、立子という娘さんがおられて、ある程度の年齢になって別の俳句の結社で雑誌をつくるという、お父さんの仕事に似た仕事を始めることになったときのものです。その高浜虚子がつくった雑誌に時々、子供のことが心配で寄稿した文章があり、そこから集めたものです。
 この立子さんに宛てた文章から、仕事、企て、意気込み、古いもの、幸せなどについて書いてありますので、仕事に直接関係するもの、ないものありますが申し上げたいと思います。

 まずは仕事について娘さんに言っています。あなたがこれから俳句の新しい結社をつくり、弟子をつくり、お父さんとは別の仕事を独立してどういう心構えでやるべきかについてです。石の上にも3年と言うけれども、10年は頑張れとまず言う。自分のスタイルを見つけて10年かじりつけと言っております。これは正しい考え方だと思います。皆さんもこれと同じで、まずそれぞれの専門の分野で10年間でこれだというものを物にしてほしいのです。継続してあせらないことです。
【写真】知事講話

 それから仕事の心構えです。いろいろなことを言っており、その中のいくつかおもしろいものを抜き出しました。
 仕事には大きいものと、雑用じみた仕事、作業みたいなものが意外と多いのです。心構えとしては、高邁に見える仕事もないわけではない。しかしそうじゃないものも多い。それがまた積み重なって、県庁としては大事なのです。つまり、書類でもメールでも何でも素早く片づけてほしい。気安く、事務的な気持ちで事務処理をしていくことです。そうすると気持ちが楽になるし、他のところにも気が向きます。
 それが人生を生き抜く大事なポイントだということです。非常に大事な仕事はいろいろあるけれども、それはそれでしなければならない。目の前にある簡単なものをさっささっさと毎日早目に済ませる。上司から「西川君、あれどうなった」などと言われてはいけません。そう言われる前に「こうしたいと思う」と言わなければいけない。これからはあまり注意してくれる人はいなくなります。心には思っても、大人だから。「何しているんだ」と言う人も希にいます。そんな人は非常に貴重な人ですので、尊敬しなければなりません。「あれどうなった」などと言われたら、もう遅れているという証拠ですから、注意してほしいのです。気安く事務的な気持ちで、さっさとやってしまうよう気をつけてください。10年間続けるという長い話とともに、毎日の仕事はさっさとやる癖をつけてほしいのです。
 これまでは自分たちだけの了見で受験勉強などをしていたと思うけれども、これからは組織だから、いろんな仕事は、さっさとこなさなければならないのです。「その際に、手に当たったものから、もっとも処理しやすいものから手をつけてほしい」と虚子は言っているのです。仕事は山のようにありますが、ちょっと手をつけ始めるとその山は片づけられるという実感がでてきます。ぜひ体験をして、それを気楽にやってしまおうという気持ちで仕事をしてください。

 それから、職場で言いつけられた仕事であったり、県庁で昔からやっている仕事で、「どう考えてもおかしい」と思われることはやめるべきだということです。自分は末端だから言われたことはやるという調子ではなく、どう考えても変な仕事は、やめたほうが良いのではないかと言ってほしい。そのような仕事は県庁にあると思いますので、妙な仕事はやめなければなりません。このようなことを高浜虚子が立子さんに言っているということです。これは参考にしてほしいと思います。

 2点目に「企て」というテーマです。これは仕事へのトライです。ここで言っているのは、構想ばかりできているが肉や血が通っていないものより、骨格はちょっと怪しげだけれど「血が通っている仕事」の方が良いということです。目論見書をつくって、課題は何か、これに対する対処、戦略、このように評価すると書いてあるけれども、よく見ると中身がないという書類が県庁に非常に多いのです。皆さんにはそういう書類をつくってほしくないのです。多少、体裁は整っていないが、血が通って中身のある仕事のほうが良い。大いにやってみたらどうかと虚子が立子さんに言っています。

 それから、「実際から来た人の話」は辻褄が合わないところがあるものです。やや合理的でなく、論理的ではない。しかし後でよく考えると、なるほどと納得できる。腑に落ちる場合が多いということです。このような現場的な考えなり、対処法を知る必要があります。これが意外に物を解決する力があるのです。姿形だけが良いから良いのではなく、現在の問題を解決できる現場的な、実際の人の話によく耳を傾ける修行をしてください。
 出先機関などで現場に行くことがありますが、現場の声をよく聞くことです。現場は実際ですから、話していることはあまり論理的ではないかもしれません。変なことを言っているかもしれないが、問題を解決したいということではあるから、そこに耳を傾けてほしいのです。
 私の経験からもそうですが、有益な話や助言は、本来助言してくれるべき人からいつも来るわけではないのです。全く違う方面の、思わぬ人からの声が役に立つことが多いのです。私が仕事をしていると、審議会やアドバイザーや政策論議など、もちろんそんな人からも声が来ないわけではないけれども、全く違うところから突然飛んでくる、そんな経験を皆さんには現場で積んでほしい。現場というのは体験ですね。いつも上司から来る声が調子良いわけではなく、団体からの声が常に良いわけでもない。役に立つ声は、思わぬところから来ると思っていてください。心象的には、まるで荒野から聞こえるように思えますね。宮殿から聞こえるのではなく、荒野から聞こえる。そういう声をよく聞いて、仕事をしてほしいと思います。

 それから4月1日の辞令交付のときには、いろいろな力、ベクトルが働いていると言いました。皆さんはまだ「点」ぐらいの大きさかもしれないけど、自分もその中の一つであるということは申し上げたと思います。その意気込みで、皆さんは一つの力です。点は位置であって場所はありません。皆さんにはちゃんとオフィスがある、場所を持っている。点よりはましですから、今後できるだけ線に、そしてだんだん面になってください。10年間の仕事ですから、10年間に点から線、面、そうなることを心がけてください。

 3点目に「意気、心の問題心がけ」の話です。「積極的」というのが大事ですと書いてあります。言われたからやるのではなく、自分で考えてほしいのです。4月1日には「気を利かせて」ほしいということを言いました。積極の手始めは気を利かせるということです。
 公務員は気の利かない職業の代名詞だと、世間には思われているようです。私も含めて、皆気が利かない者が集まっているものだと思われている。気をつけてください。民間企業から見ると公務員は気が利かない。何か物を待っている、そんな調子です。特に公務員を退職して社会人になると、よく言われたりします。世の中に役に立たない人だ、そう言われるようなことになってほしくないのです。積極的に気を利かせる。そういう例外的な人になってほしいと思います。

 高浜虚子は「日本もまだ亡びはしないであろう」と書いている。これは、戦争に負けた後の昭和20年代に立子さんが新しい雑誌をつくったから、「ちゃんと気持ちさえあれば、日本は亡びないと思うよ」と言っているのです。最近また日本は亡びるとか、周辺国からいろいろ言われているとか、デフレの影響、アベノミクスの効果など、いろいろなことが聞こえます。福井県はどうなるのか、道州制はどうなるのか。この亡びるという話は今でも同じです。ちゃんとした気持ちを持ってやれば、福井県もちゃんと行くだろうし、日本も大丈夫だろうということです。

 それから、これも心の問題で、以前にお話ししたと思います。「世評」を気にかけないで行動してほしい。高浜虚子はそういう人が好きだと言っています。
 後で申し上げますが、自分の意見ははっきり言いなさいということに通じます。話して失敗すると格好悪いのではないかとか、そう思うと進歩がないですよ。あまり気にしないでほしいということです。全く気にしないのはどうかとは思うけれども、あまり気にしないほうが良いです。恥ずかしい目にあったとは思わないように。進歩の妨げになりますから。
 「第二芸術論」という言葉を聞いたことがありますか? 国語で習ったことはないでしょうか。五七五の俳句は、まともな芸術だろうかという話が戦後起こったのです。
 戦後間もなく、俳句は、例えば夏目漱石の『こころ』などと比較すると芸術とは言えないとか、短歌に比べて芸術と言えるかというような議論があったのです。そこで、中間的なものは芸術の名に値しない。強いて言えば第二芸術、マイナーであると評されました。草野球、単なる趣味と同じだと。そういう議論がありました。これは福井県出身の桑原武夫さんという評論家が刺激的に唱えて、俳句界にショックを与えたことがあります。
 これを受けて高岡虚子は、「いや、第二芸術で結構。第三でも、第四でもいい。私はこれをやりますからね」と平然とうそぶいた人です。そして、最後に文化勲章をもらったのです。すなわち、世の中のことを気にしないことです。これだと思ったらやっていくことです。
 今、この俳句をやる人は老若男女実に多いですね。昔は第二の芸術、つまらないものであると言われたことがあるのですが、そうではない。短いけれども立派なものである。松尾芭蕉や正岡子規もいるではないかと。いろんな人が世評を気にしないでやっていたということです。
 この俳句が第一芸術かどうかは大変難しいところがありますが、そういうものだと思ってほしいと思います。そんなことを気にしないでほしいということです。

 それから、4点目に「古いもの」について。皆さん方は若いから、新しいものは良いが、古いものはあまり良くないのではないかとか、つまらないとか思われるかもしれません。しかし、祖先のした仕事を振り返ってみると、私たちの進んでいく道は明らかだということです。これは祖先がした仕事のことです。

 最後は5番目、「幸せ」について。福井県は幸福度日本一ということですが、幸せって何だろうか。先ほど希望学と申し上げましたが、希望は幸福度とどんな関係にあるのかということを考えてほしいですね。
 資料に書いてありますが、人間はその日その日の出来事で、だんだんと運命づけられて来るものです。その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識すること。こんなことをお父さんが娘さんに説教していますね。
 ここはちょっと難しくて解説も必ずしも一通りではないですが、先ほどの村岡花子さんの境遇や幸せとは何だろうということを一度考えてみてください。
 一つ一つ自分がしていくことについて責任を持って、そして先ほどの挑戦をしながら幸せになってほしいものですし、幸せになれるものと思っております。

 あとは今の季節の話ですが、「私は桜の花を人が愛ずるものは、桜の花を愛ずるのではなくて、春のある時候を愛ずるのである」と思うと書いてありますね。今桜が咲いています。桜がきれいだからではなくて、今のこの季節の気分が良いのだということ。だから日本人は年に1回しかないこういう世の中の雰囲気、特に県庁に入ってこられたという一生に1回しかない時間を愛しているのですと言っています。これは持論というよりも気分の話です。

 そして、「若い人は、遊びたい時分にはうんと遊んでおく事だ。そうかと言って、立子さん、なまけものになっちゃいかんよ」と言っています。遊んでも、大事なことはやってほしいということですね。

 4月1日にもお話ししましたが、「自己嫌悪」に陥らないでほしい。恥をかいたとか、失敗したとか、上司との関係がうまくいかないとか、まずそんなことで自己嫌悪にならないように。いろいろな人がいるわけですから、ある程度、それはそういう人なのだというような気持ちが必要だと思います。これは往々にして、勉強し過ぎた人にありがちなことです。10の欠点があっても「1の長所」があればその点に全幅の信頼を自ら寄せて、娘よ、自分の1つの長所を伸ばしていけ、ということを言っています。
 皆さんも自分の欠点はよく目につくと思いますが、長所も必ず1つや2つは持っていると思います。それを拠点にして挑戦をしてほしい。そういうことをここで言っていると思ってください。

 あとはいろんなことが書いてありますが、読んでみてください。時間もそんなにはありませんからかいつまんでお話しします。

 ゲーテが「積極」について書いています。これは先ほどの話と同じことです。ゲーテはフランス革命、ナポレオンの時代のドイツの人です。「いっさいの否定的精神、いっさいの悪意や悪口を、そして否定しか能のないものを、まさしく排除せよ」と言っています。また、どんな出来事でも自分が体験したものを含んでいるかどうか。その体験が自分を進歩させたかどうか、これを自分に問うてみなさいと言っています。

 それから、周りの人について。「私たちは他人の好意にふれるときにこそ、本当に元気溌剌となる」と。「他人からよい助言をもらえるということは、自分がそれを考え出すことと同じである」とも言う。
 先ほど、変わった方向からいろんな声が聞こえると、言いました。よそから良い考えを教えてもらえたら、それは自分が考えたのと同じだということです。例えば本を読んで、良い考えだと思ったら、自分が考えたのと同じであるとゲーテは言っているのです。人が言っていたとは思わないで、自分が思ったんだと思ってしまうのですね。そういう考え方は積極的で良い考え方だと私は思います。

 それから、日々の仕事、毎日の仕事一つ一つを見ると、それほど意味もありませんし、ちょっと意味がわからないこともあります。また、日々は迷誤、失敗、恥をかいたり、落ちこぼれたり、落胆したりの連続ですが、その積み重ねが成功と成果を生み出します。重ねていくということが大事です。

 「瞬間は一種の大衆である」とあります。瞬間というのは単なる浮ついた時間だけれども、自分でそれを一くくりにして期間として方向を出すと、初めて物事の秩序も成り立つし、仕事の成果も出るという意味と読んでください。

 ゲーテという人は、今まで地球上にあらわれた人で、証拠が残っている中では一番思考能力の高い人のようです。頭が良い悪いなどということはそんなに気にすることではありません。 次は荻生徂徠、儒学者です。政治家でもありますけれども。ゲーテよりもちょっと前の日本人、元禄時代からちょっと後、忠臣蔵からもちょっと後ぐらいの人です。
 政治を論じる人のほとんどが、ただ、その政治の方法の善悪ばかりを吟味するのは、「道」をわきまえないところの間違いである。政治の方法よりも、あるいは行政を行う方法よりも、それを「行う人物」如何が最も重要であると。たとえ方法は悪くても、仕事の方法が完璧でなくても、行う人が立派であれば、それ相応の効果が出ることになる。また同じ方法をとっても、行う人物の如何によって違いが生じる。人物の吟味を忘れて、方法の吟味ばかりをするのは、要するに自分の知恵、才覚で万事をはかろうとするところにその病根があると思われると、書いてあります。
 もしこの言葉が正しいとしたら、皆さんに良い人物になってほしいということになります。良い人物になるにはどうしたら良いかと考えると、また先ほどの話に戻っていくと思います。

 最後に、これはもう200年ぐらいさかのぼりますが、吉崎、金津を拠点に浄土真宗を広めました、福井にゆかりの深い蓮如上人の言葉です。「物をいえいえ」ということです。
 ちょっと読みます。昔の候文ですから。「蓮如上人、仰せられ候う。『物をいえいえ』と、仰せられ候う。『物をいわぬ者は、おそろしき』と、仰せられ候う。『信不信、ともに、ただ、物をいえ』と、仰せられ候う。『物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ』と、仰せられ候う。」「蓮如上人、仰せられ候う。『世間、仏法ともに、人は、かろがろとしたるが、よき』と仰せられ候う。黙したるものを、御きらい候う。『物を申さぬが、わろき』と、仰せられ候う。また、微言に物を申すを、『わろし』と、仰せられ候うと云々」ということであります。
 恐らくこれは私たちの先祖の人たちですね。何百年も前ですから、世代で言うと10代も15代も昔の先祖に向かって言った言葉でしょう。恐らくそのころのお百姓さんですから、蓮如上人がいろいろお説教をしたり、こうですよ、こうではないかと語りかけても、じっと下を向いて聞いていた人が多かったのだと思います。だから、「おまえさん、話わかっているのかい」と。私の言ったことがわかったかと、それをはっきりさせたくて、言ったのだと思うのです。
 黙っているから、信じているのか信じていないのかわからない。信じていないんだったら、信じていないと言ってくれ。あるいはここがわからないんだ、としっかり言ってほしいということを言っているのです。物をちゃんと言うと、気持ちもわかるし周りの人も、あなたが思っていることが良いのか悪いのかわかるから、直してももらえる。どうかはっきり物を言ってほしいと言っているわけですね。

 それから、「世間、仏法ともに、人は、かろがろとしたるが、よき。世間とは世の中の世渡り、普通の生活」。何か頼まれたら「わかった」と。それから仕事を始めて、「はい、やるよ」と。「さっさとやるよ」と。このように軽々として、重苦しくは、してほしくないのです。もったいぶるな、ちょっとした利害にとらわれるな、きっぷを悪くするなということです。
 皆さんにも仕事をもったいぶるな、きっぷ悪くするなと言いたい。そういうことでは困ります。軽々しく、さっさと、わかりやすくやってほしいと理解してください。
 それから、「微言に物を申すを、『わろし』」と言っています。微言というのは、相手に向かってちゃんと言わない、こっそり後ろで何か言う、小さな声で何かささやくなどは良くないと言っています。これはやめろということです。そのとおりだと思います。
 ぜひとも皆さん、そういう仕事ぶりをしてほしいと願います。

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