平成30年「仕事始め式」知事あいさつ

最終更新日 2018年1月4日ページID 037526

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 このページは、平成30年1月4日(木)に県庁で行われた、職員に対する平成30年「仕事始め式」知事あいさつをまとめたものです。

 皆さん、新年あけましておめでとうございます。

 平成30年という新しい年を皆さんとともに元気で仕事をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 今年は平成30年という1つの節目の年です。平成元年、約30年前ですが、ベルリンの壁崩壊、冷戦の終結がありました。現在われわれが、やや驚きの目、様々な気持ちで見ている世界や日本の姿が、それ以降に出てきたのでないかと思います。

 当時はバブルの真っ最中、株価は38,000円くらいになっており、「24時間戦えますか」というドリンク剤のコマーシャルソングが流行していた懐かしい時代です。

 今年いよいよ国体・障スポですが、当時は県立武道館が竣工し、県立大学が3年後に開学する、北陸線において特急「スーパー雷鳥」の運行が始まり、福井~大阪間を1時間50分、2時間を切るという時代でした。30年しかたっていないのに、ずいぶん時代が違うなという感じです。

 冷戦が終わり、およそ考えられないことが起こる時代、どう理解したらいいのだろうと絶えず迷うような今日です。福井においては、5年後には北陸新幹線敦賀開業、また9年後には東京~名古屋間にリニア中央新幹線が運行するという状況です。おおいに状況が動いています。

 こういう時代に我々は一体何をすべきかということについて、お正月にテレビを見たり、本や新聞を読んだりしたことを交えながら、話をしたいと思います。 

 まず、今年なすべきことの項目を申し上げます。

 第一に国体・障スポを成功させなければなりません。
 二点目、高速交通網の整備と観光・まちづくりを加速すること、
 三点目、産業の生産性向上、高付加価値化です。人材不足が続いている中、対応していかなければなりません。
 四点目、原子力・エネルギー政策が大きな節目を迎えています。

 さらに日本全体のことですが、東京一極集中、人口減少対策の課題があります。
 こうした問題に一つひとつ着実に対応しながら、力を合わせて結果を出していくことが大切であると強く感じます。

 さてお正月に杉田玄白、前野良沢を取り上げた「風雲児たち」というドラマがありました。時代は18世紀中後期、田沼時代と呼ばれた時代があり、天明の飢饉や松平定信の寛政の改革などがつづきます。

 日本全国に各藩300諸侯あり、重商主義といいますか、政治が産業を振興して地域をよくするという政策が始まろうとする時代です。これは失敗すると飢饉があったりしますが、九州や西日本では成功し人口が4割から5割も増えるなど格差がある時代だったそうです。

 総じて18世紀は人口停滞の時代であり、岐阜県のある郡では、若者は名古屋や京都、大阪に奉公に行くと、今でいう大都市への流出ですが、3分の2が戻ってこず人口が減少していきました。地域の産業や結婚の範囲が狭い村では人口が増えず、幅広い範囲で周囲と交流している地域は人口が増えるということが歴史の本にも書いてありました。今と似ていると思います。

 こうした話に例えると産業政策や周辺との交流、現代では世界との交流が、大事であるということがわかります。

 また、杉田玄白は90歳近くになるまで生きて、いろいろなことを書いています。諸藩の大名を選挙で選ぶことを主張したり、開国論者でもあり、単なる蘭学の医者ではなかったと思います。こうした主張をする場合、大事なのはどういう場で言うかということです。解体新書にしても、普通に出版したのでは法に触れるなど問題がありました。杉田玄白は、周旋というか、現代では営業というような、いろいろな方法を講じて目的を達成する人だったと思います。こうした生き方や行動の仕方は極めて重要だと思いました。

 松平春嶽公についても様々取り上げられ、坂本龍馬の書簡を参考に明治新内閣では春嶽が首班になるのではという大胆な仮説もテレビではなされていました。思想家の加藤周一氏は福井の人物を評価した本を2010年くらいに残しており、その中で
 「今日の支配者たちの中にその見識を慶永(春嶽)に匹敵するものは果たして何人いるのだろうか、今日の学者詩人の中に金力に屈せざること曙覧のごとき人物は何人いるだろうか」
と幕末の福井の人たちを歴史的に評価しています。

 今日は梅田雲浜先生も新聞に出ております。松下村塾の額は雲浜先生が書いたものと言われています。雲浜先生は人を見てものを言う人であり、怒りやすい人には冷静な考え方を述べ、活力の弱い人、頭だけで考えてしまう人には積極的な話をしたそうです。

 このように福井県は越前・若狭、大野藩など諸藩もあり、立派な人物や歴史を持った県です。こうしたことをベースに我々が力を出し切ることが重要です。何も歴史、積み重ねがないところでは難しいですが、先輩たちががんばったことをベースに仕事をしたり、行動したりすることは、古い経験があるからこそ新しいことを創りやすいと思います。福井はそういうベースがあるということです。

 次に、恐竜の本を読みました。恐竜といってもいろいろな種類、一億何千万年にもわたり主だったもので200種類くらいありました。系統図があり、祖先の恐竜からそれぞれ分かれ最後は鳥類につながる。2~3冊恐竜の本を読むと、鳥瞰図というか竜瞰図で、だいたいこのあたりの恐竜ということがわかってくる。単に「恐竜」といってもいろいろな種類が生きて、そして滅んだことがわかる。これは一例ですが、いろいろなことを少しだけ究めて事柄に臨んでもらいたいと思います。

 杉田玄白は1810年、78歳のときに書いた「形影夜話」において、「学問というのは科学的な研究が必要、世間的にもいろいろなことに気がつく人でないといかん、患者をみたら、自分の奥さんや子どもを治療するように接すべき」と言っています。万事、事柄を歴史や科学でとらえ、言葉や表面だけで仕事をしないようにすることが大事です。

 こうしたことを受けて、今年の仕事の話に戻ります。先ほどの項目のうち、産業の生産性向上・高付加価値化において、企業振興を図らねばなりません。

 3年前に越前がに「極」が水産業のがんばりによりブランド化し、昨年には「いちほまれ」が好評を得ております。その中で特に「ブランド化」の徹底をしていこうではありませんか。

 ブランドというのは、日本中にあります。重商主義から続く各地の名産だと思います。ブランドにはあらゆるものがあり、蟹や米もブランドです。その中で、粗製乱造を避け、ブランドにいかに徹するかが大事ですので、よく研究して徹底していきたいと思います。人材不足などの課題もありますので、人材を育成しながら進めていく必要があります。

 特にその場合、交流人口の一層の拡大と同時に、先ほど申し上げた人たちのようにチャレンジする人、大きく物事を突破する「チャレンジ人口」を各分野で増やしていく、また自らそういう人になる、あるいはグループになるということに挑戦してほしいと思います。

 それから今年は国体・障スポの年といいました。交流時代の幕開けにふさわしいイベントであり、さらに今年は幕末明治150年、平成のほぼ最後の年でもあります。いろいろな意味での節目ですので、チャレンジ人口を拡大するとともに、福井の底力を発揮して、国内外に発信し、真のブランド化を図る、そういう年にしていきます。

 そのほか様々な課題があり、かなり騒然とする年であると思います。絶えず心を引き締め、一つひとつを出来事と考え、しっかり処理しながら県民のために前進させる決意で一緒にがんばりたいと思います。

 皆さんのご健康とご活躍、チームワークの発揮を心から期待して年頭のあいさつとします。

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