故白川静先生記念碑除幕式あいさつ

最終更新日 2010年2月4日ページID 000670

印刷

 このページは、平成19年10月21日(日)福井市大手3丁目で行われた、故白川静先生記念碑除幕式でのあいさつをまとめたものです。

【西川知事あいさつ】
 本日、津崎史御夫妻、また「白川文字学」記念事業実行委員会の勝木会長はじめ、多数の皆様の御列席をいただき、白川静先生の偉業を称える記念碑が建立され、無事に除幕式を開催できましたことは、私たち福井県民にとりまして、大きな喜びでございます。

191021あいさつ写真1 さて、先生が、昨年10月30日にお亡くなりになられ、やがて1年が経とうとしております。1年前を思い起こしますと、それは、あまりにも突然で悲しい出来事でございまして、私たち福井県民はもちろんのこと、我が国や東アジア一帯の漢字文化圏に生きる人々にとっても痛恨の極みでありました。改めて、先生の偉大さを感じずにはいられないものでございます。
 申し上げるまでもなく、先生は、中国古代文化、漢字研究の分野において、甲骨文字や金文など、草創期の漢字の成り立ちを字形から分析をされまして、中国の古代人の生活と意識にまで踏み込んだ文字学体系を確立され、独自の「白川文字学」を打ち立てられたところであります。
 このように残された偉大な足跡は、大勢の皆様から称賛、評価されているところであります。先生の御業績を改めて顕彰していくことは、大変意義深いことと思っております。

 記念碑を建立したこの場所は、お生まれになった場所であります。学問の道に踏み込まれる最初の一歩を踏み出した場所でもあると思います。記念碑の建立場所として、最も適当な場所であろうと思います。
 また、記念碑には、先生が、生前、好んでお使いになられたといわれております「 191021あいさつ図(ゆう)」、「遊ぶ」という字のもとの文字が刻んであります。先生は、かねがね、「学問は遊びである。楽しくないものは仕事やない」ということをおっしっておられたそうでありまして、長くけわしい文字学の研究を続ける中にあって、ただひたすら楽しみをお持ちになられながら、研究に打ち込むお姿を表していると思います。
 記念碑を目にした人たちが、先生が成し遂げられた偉大な御功績を心に留め、次代に引き継いでいってほしいと思います。

 最後に、96歳で天寿を全うされた白川静先生の御冥福を、改めて心からお祈り申し上げるとともに、ここに御列席の皆様方の今後ますますの御健勝と御発展を、そして先生の御業績をみんなで力を合わせて引き継いでいくと、こういうことを、ともども決意しながら、ごあいさつにいたしたいと思います。ありがとうございます。


 

【白川文字学記念事業実行委員会 勝木会長あいさつ】
 故白川静先生の記念碑の除幕に当たりまして、一言ごあいさつさせていただきます。
 本日、先生のご長女でおられます津崎史(つざきふみ)御夫婦には、大変ご多忙の中ご出席をいただきまして、誠にありがとうございます。

 さて、昨年の10月30日に先生がお亡くなりになられまして、まもなく1年になろうとしています。
 先生は、生涯をかけて中国古代文化、漢字研究に打ち込んでこられました。そして、確実な論証に基づいて漢字の成り立ちを読み解かれ、「白川文字学」という文字学体系を確立されました。
 これまで誰も成し得なかった偉大な御研究を貫徹された先生を顕彰することは、先生のふるさと「福井県」に住む我々共通の思いであり、県民参加による記念事業の開催へと動き出したわけでございます。
 お蔭様で、これまでに本当に多くの皆様に御賛同いただき、本日、こうして先生の生誕の地に記念碑を建立し、除幕式を迎えることができました。

 さて、これから除幕を行う記念碑についてですが、愛知県岡崎産の宇寿石(うすいし)という白御影石を使用してございます。岡崎市は、古くから石の産出をしている日本有数の産地でありますが、この選定に当たっても、石の専門家の方々と相談をして選んでおります。
 この宇寿石は、地元岡崎市では出世石とも呼ばれているそうで、石の中に所どころ姿を見せる雲母は、夜になりますと、このフェニックス通りの柔らかい明かりも手伝って、きらきらと美しい輝きを放つことだと思っております。
 また、記念碑の正面中央には、先生が最も好きだった「 191021あいさつ図(ゆう)」、これは「遊ぶ」という字のもとになった文字でございますが、「 191021あいさつ図(ゆう)」という先生直筆の文字が刻んであります。この文字の意味するところは、故白川静先生の著書であります『文字逍遥』の中の第1章『遊字論』に記されているところですが、記念碑には、この中の冒頭の文章を記させていただいております。
 古く、神々を信じて生活していた時代に、人は、神霊の宿った旗竿を持ち、神の力を借りて行動することによって、気の向くままに動く自由を得ることができたのだろう、「 191021あいさつ図(ゆう)」という文字はそのような様子を表した文字であろうと、私なりに解釈しています。
 それから、記念碑の背面には、故白川静先生の略歴について御紹介させていただいております。
 以上のような経緯と意義を持つ記念碑が、ここに完成をいたしました。皆さん、今後、先生の教えを心に留め、「白川文字学」を継承していきたいと、このように考えております。

 最後になりましたが、記念碑の製作、建立に御尽力いただきました、福井県石材業協同組合の皆様、そして、記念事業に御賛同いただき、たくさんの募金に御協力いただきました大勢の県民の方々に、心から感謝申し上げます。
 終わりに、先生のように、学問をこよなく愛し、楽しむ子どもたちが、福井県から育っていくことを念じつつ、除幕式のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。

【津崎史氏謝辞】 
191021あいさつ写真2  いつもだったら、父が「白川でございます。」という言葉で始めていたと思いますが、娘の津崎でございます。
 今日は、このような除幕式にお招きいただきましてありがとうございました。
 なにか、こういう碑ができるということについて、本人が、「ああどうか、ちょっと派手がましいなあ」というような顔をしているんじゃないかと思いますが、一言、ごあいさついたします。

 父は、10歳あまりで、ふるさと福井を離れました。それから後、ふるさとで過ごすことはなかったのですが、ふるさとへの思いは年々増していたように思います。
 私が若い頃には「福井はこういうところだったんだよ」と言っていましたが、晩年になりましてからは、殊に、ふるさとの話を好んで、食事の時などにしておりました。
 例えば、深い雪の中で、水を汲みに行くのがどんなに大変だったかとか、つまづいたり、それから電柱の上だったとか、電柱じゃない、何か柱の上だったとか、それから、お堀のところに釣り糸を垂れて魚をとったとか、そういう話をずっと聞いておりまして、どのようなところなんだろうなと思っていたんですけども、今日、地図を見せてもらって、この場所に立って、「ああ、ここがそういう場所だったんだな」っていうことを、改めて思いました。
 でも考えたら、今から80年余り前のふるさとの様子だったわけです。
 今、私がここに立っているということの不思議さを感じるくらい、世の中は変わっていますが、とても懐かしい気持ちがいたします。

 今、ここに「 191021あいさつ図(ゆう)」という字が刻まれた記念碑ができました。「191021あいさつ図 (ゆう)」というのは、父が一番好きな言葉であったと思います。「 191021あいさつ図(ゆう)」というのは、神のみが遊ぶことができた。しかし、神は人とともにしか遊ぶことができなかった。だから多分、今頃、父は、この神と一緒に、この虚空を自由に飛び回りながら、遊んでいるだろうと思います。そして、この碑の上のところに来て、「あ、なんかここにこういう碑が建てられるとはずかしいな」とか、「派手がましいな」とか、そういうちょっと笑いをもって眺めているんじゃないかなと思います。

 こういう碑ができたことで、私たちもまたここに立ち寄り、父のふるさとを見ることができる、そういう喜びを感じております。
 この記念碑建立に際しまして、知事さんをはじめ、地元の方々、それから実行委員の方々に大変お世話になりました。石を選ぶのにも、随分苦労されていい石を選んでいただきました。こういう記念碑を一つのきっかけにして、さらに福井県で文字学への道が発展し、子どもたちがその文字を学ぶ楽しさというのを引き継いでいっていただけたら、これは何よりのことだと思います。今日は本当にありがとうございました。



 

アンケート
ウェブサイトの品質向上のため、このページのご感想をお聞かせください。

より詳しくご感想をいただける場合は、までメールでお送りください。

お問い合わせ先

(地図・アクセス)
受付時間 月曜日から金曜日 8時30分から17時15分(土曜・日曜・祝日・年末年始を除く)