荒川区制施行80周年記念式典 知事祝辞

最終更新日 2012年10月11日ページID 018904

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 このページは、平成24年10月6日(土)にサンパール荒川(東京都荒川区)で行われた、荒川区制施行80周年記念式典での知事祝辞をまとめたものです。

 荒川区政80周年を迎えられましたことは、誠にご同慶の至りであり、心からお祝い申し上げます。

 また、本日、このように盛大な記念式典にお招きいただきましたことに、心から御礼申し上げます。

 さて、荒川区は、伝統と文化が息づく風情ある街並みと、人情味あふれ下町情緒が残る商店街、そして再開発によって生れ変わった新しい地区が調和したまちとして、発展を遂げてこられました。

 また、幕末の幕府軍と新政府軍の激戦の様子が感じられる円通寺の黒門や、安政の大獄における小塚原回向院など、多くの史跡や文化財が残る歴史ある街でもあります。

 さらに、荒川区では「荒川区民総幸福度(GAH:グロス・アラカワ・ハッピネス)」のコンセプトのもと、区民の幸福を意識した区政を進められ、「幸福実感都市あらかわ」の実現に向けた様々な施策を実施しておられます。【写真】知事祝辞

 「幸福度日本一」の評価を受けた本県でも同様に、将来や次の世代が良くなることを願う「希望」を高めるため「ふるさと希望指数(LHI)」の研究を進めているところです。

 このような区政発展にご尽力されてこられた西川区長はじめ荒川区の皆様に改めて敬意を表すものであります。

 さて、荒川区と福井県は、福井県の先人たちを通じて歴史的なつながりが多い地域でもあります。

 例えば、福井の小浜藩出身である杉田玄白は、ここ荒川区にあった小塚原の仕置場で腑分けに立ち会い、後にオランダ語の原本から「解体新書」を翻訳しました。

 幕末の福井藩出身で、開国派の急先鋒を行く思想が原因で、将来を嘱望されながら、安政の大獄により26歳という若さで倒れた橋本左内や、同じく安政の大獄で獄死した小浜藩の藩士、梅田雲浜の墓が小塚原回向院にあります。

 この「橋本左内の墓 旧套堂」は、回向院境内再整備の際、取り壊しの危機となりましたが、荒川区民の皆様のご尽力と、西川区長をはじめ荒川区のご協力により、平成21年に荒川ふるさと文化館において見事に復元されました。ここに改めて、荒川区の皆様に感謝申し上げます。

 また、区民栄誉賞を受賞された吉村昭氏の奥様である津村節子氏が福井県出身というご縁もあります。

 このような歴史的なゆかりをきっかけに、荒川区と福井県など交流都市それぞれが、お互いの地域資源を活かしながら、「文化」「産業」「食」をテーマとした交流事業に取り組んでいるところです。

 今後さらにこうした交流を重ね、人や物の行き来が活発となり、両地域が共に発展していくことを期待しています。

 最後になりましたが、荒川区の今後のますますのご隆盛と区民の皆様のご健勝を心から祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。

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