福井県高等学校長協会での講話

最終更新日 2010年2月4日ページID 000522

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このページは、平成19年9月10日(月)にユアーズホテルフクイで行われた福井県高等学校長協会での講話をまとめたものです。

 Ⅰ はじめに
 Ⅱ ていねいな教育ときたえる教育(総論)
 Ⅲ ていねいな教育
 Ⅳ きたえる教育
 Ⅴ 助言者のいろいろ
 Ⅵ その他
 Ⅶ 結び

【Ⅰ はじめに】

190910講演写真1 今年は各学校で生徒の皆さんが頑張っているというニュースをよく聞きます。藤島高校では、3年生の生徒が物理の全国コンテスト「物理チャレンジ2007」で金賞を受賞されました。また、小浜水産高校が日本水産学会の春季大会で「アマモ」の研究について発表し、最優秀賞を受賞されました。さらに、全国から工業系高校100以上のチームが参加した「全国ソーラーカーラジコンカーコンテスト」では、春江工業、福井工大附属高校がそれぞれ2位、3位。また、北陸高校男子ハンドボール部が10年ぶり2度目の全国優勝、丹生高校女子ホッケー部が準優勝、武生商業高校女子フェンシング部が2年連続3位、仁愛女子高校テニス部が3位など。それぞれ頑張っていただいております。高校野球では、福井商業高校が開会式直後の第1試合で優勝チームと対戦し、あの時勝てたらと最後の日になって残念に思いました。本日お集まりの校長先生には、それぞれ課題が多い中で頑張っていただいていることと思います。

 

【Ⅱ ていねいな教育ときたえる教育(総論)】

 私は、自身のホームページで普段思っていることを時々書いています。教育のことも書いていますので、それを例にとりながら、お話ししたいと思います。

 私は、2期目のマニフェストの一番最初のところに「ていねいな教育」と「きたえる教育」の2つのテーマを教育問題として掲げています。「ていねいな教育」と「きたえる教育」という言葉を学校の仕事の場で使われたことはあるでしょうか。おそらくないと思います。そう思ってこのような言葉を選んだのです。

 「ていねいな教育」には、皆さん方の高校教育や小中学校教育も当然ですが、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん達が、家で子ども達を大人になるまでていねいに教育するという意味もあります。目先のいい加減な教育をしていないか、毎日の自分達の生活にかまけて、子どもの教育を放ってないかなど、10数年経ってようやく気がつくというようなことがないようにという思い、をこの「ていねい」という言葉に込めました。普通に使う言葉です。

 次に「きたえる教育」というのは、これも家庭にも関係していますが、学校にもっと鍛えて欲しいという意味があります。「きたえる」というのはスパルタ教育ということではなくて、子どもたちは一生涯、学校で習ったことを基本に世渡りをしていかねばなりません。ですからよほど鍛えておかないと、学校を出て自分で自立して生活ができないのです。学校は、生徒が学校を卒業してしまうと、その子どもたちについての仕事が終わったような感じになります。そうではいけないのです。卒業していった生徒のことまで学校が面倒見るのも大変なので、学校にいるうちに、学校を出てからも自分で何でもできるように、きたえる教育をしなければならないということであります。

 特に高等学校の場合、就職・進学といろいろありますが、進学校であれば偏差値が上がるよう一生懸命になりがちだと思います。しかし、生徒の中には、成績は悪くないが、自分がどこの大学を受けたら良いのか、自分は何学部に向いているのか、といった判断ができない生徒がいたりします。逆に、成績はともかく、そういう判断がしっかりしている生徒もいるでしょう。「きたえる」というのは、社会生活をしてゆくといいますか、社会性と知識の両方がうまく結びついて自分で自分をマネジメントできるということです。これからはこの両方が必要です。最近、不登校とか、社会人になってもう仕事がイヤになるとかありますが、これらは知識・能力と自分を管理する能力とが両立していないことがあると思います。そういう意味で、私は「ていねい」だとか「きたえる」ということを書きました。少々相矛盾している言葉でありますが、あえてこのような政策用語を使うことにしました。

 さて、具体的なお話を申し上げたいと思います。高校ではあまり関係ないかもしれませんが、白川文字学、いわゆる漢字教育についてです。小学校の6年間のうちに1,006文字という配当漢字を学ばなければなりません。これは子ども達にとっては大きな負担であります。ところが、国語教育にとっては漢字教育が非常に大事であります。福井県として、ぜひこの漢字教育を先進的な教育にし、日本をリードしていきたいと思います。幸いにも白川先生という、素晴らしい漢字学の先輩がいらっしゃるわけですから、この白川先生の業績を基本にしながら、福井の子ども達が漢字を苦手にせず、文学に親しめるという素地を小中学校の間につくりたいと思います。高校生になって国語の点数が悪い生徒がいますが、これは、小さい頃から漢字を勉強していなかったり、本を読んでいなかったりしているからだと思います。
 私は今でも覚えていますが、大学の試験で問題用紙をめくったら、「かったつ」という漢字を書きなさいとあって、全然分からなくて困ったことを覚えています。高校時代はあまり本を読むことはなく、社会人になって小説などを読むようになりました。国語教育というのは、平生から文字に親しむことが大事であります。最近は5・6年のときから英語教育もやろうということですが、日本の国の言葉をよく知ることがまず大事であります。

【Ⅲ ていねいな教育】

 この7月に「小学校の漢字教育にかかる教育課程の弾力的運用」について文部科学省に特区の要請をしたところ、漢字配当表はそう気にすることはないといわれ、3年のものを1年で教えてもよく、1,006文字には限らず、中学校で習う文字を教えてもよいと言われました。また、試験に出すのも可能であるが、過度に負担にならないようにと言われました。最初からそう言ってくれればいいのにと思いました。このように、わりあい自由になっていますので、白川先生がよくおっしゃっていたように、鳩が豆をついばむように脈絡なく教科書にでてくる漢字を次々と教えるというのはいいことではないと思います。これからの教育というのは、あるものを教える時、少し高いレベルで教えるということと、一方で、ついていけないお子さんにどう対処するか、の二つあります。今日はその最初の方のお話を主にしたいと思います。
 普通のことを教える時に、より高いレベルに立って、しかも易しく教えなければならない。それは漢字教育もそうですね。各学年の教科書に載っている配当表だけを教えるという教え方はかえって負担になる、ということを私は常々思っております。

 先日行われた第1回の教育・文化ふくい創造会議でも、理科の場合には各単元の範囲にこだわらずに教育した方が良いだろう、という意見が出されていました。
 私がよく例に出すものに、レンズの問題があります。あるものがレンズのマイナス無限大からプラス無限大へ移動した時に、どんな全体像ができるのかということを教えられたことがありますか。高校の先生は教えませんか。小・中学校の先生にお聞きすると教えたことがないとおっしゃいます。
 少し高いレベルで教えないと、教科書に書いてあることを「こうです」といっても子ども達は全然腑に落ちないし、分からないと思います。具体の例で申し上げましたが、そういう世界が教育の分野には非常に多いので、一つレベルの高い見地で教えていただきたい。これはあらゆる問題でもそうだと思います。学習でも社会問題でもあるいはスポーツでも、こうではないかなということを少しずつ先へ先へ説いて、子ども達に関心を持たせることが重要ではないかと思います。これが「ていねいな教育」の基本と思いますのでお考えください。

【Ⅳ きたえる教育】

 もうひとつの「きたえる教育」について申し上げたいと思います。フランスの作家にアランという、19世紀の後半から20世紀の半ばくらいまで生きた哲学者がおります。ずっと子どもの教育に携わりました。この人の本を1年ほどかけて読みましたが、独特の考え方ですが参考になると思いますので、ここで紹介します。正しいところもあると思います。

 この人は、子どもに興味がある方面から学ばせてはならない、という考えを持っている人です。皆さんは、子どもの興味のある方から教えなければならない、とよく言いますが、アランは反対しています。彼が言うには、子ども達というのは、気まぐれで自分本位であり、あらゆる物に関心を持ちますし身勝手である。だから、子どもに合わせて興味のある方から教えるとか、そんなことでは、まともな教育は出来ないという意味だと主張しております。先ほど話したことと矛盾しているかもしれませんね。子どもに対し、規律だとか興味のない話から教えると、子どもの心に反抗心とか嫌な気持ちというのが起こるのではないか、と先生方は心配されるかもしれません。しかし、そのようなことを誇張して考えるのは間違いだ、とアランは言っているのです。多少の好き嫌いはともかく、大事な事を教えるんだということで、子どもがその抵抗の中で成長するということを言っております。
 また、アランの教育論はラディカルであり、教育家というのはあらゆる生徒に平等に心を配るべきであると主張しています。優秀で物分りの良い子どもに関心を寄せすぎず、また、そうでない子どもを差別してはならないということを言っております。つまり、子ども達に能力や適性には差があるけれども、扱いを別にするほど大きな教育上の差があるものではないという意味だと思うのです。さらに、職業教育を小さな頃からやることに反対をしております。

 以上のようなことが書いてありましたのでご紹介しておきます。これはきたえる教育という意味で多少参考になるかなと思っております。

【Ⅴ 助言者のいろいろ】

190910講演写真2 話題を変えますが、ジャック・ニクラウスはご存知だと思いますが、この有名なゴルファーは、自分を教えてくれるいろんなコーチがいたけれど、スイングに対してメカニックなことを教えるのが自分にとって良いコーチではなかったと言っております。つまり、ボールが右の方へ飛んでいったが何故そうなったのかとか、パットが短かったが何故短かったのかというように、「何故」を教えるコーチを自分としては評価して、その人に従って今日の自分があると自伝で言っております。メカニックなことはトレーニングする中である程度解決はしますが、何故こうなったとか、今自分は非常に困っていて、何故そういう精神状態なのか、どういう風にすると解決できるのか、そのようなことを教えるコーチというのが非常に立派であり、先生であると、このようなことを言っておりました。
 こうしたこともありまして、新しいマニフェストでは、先輩教諭による教育メンター制度の導入が書かれています。先輩の先生というのは後輩の先生に対して、なぜ子どもがこのようになるのか、なぜ授業がおもしろくないのか、「なぜそうなのか」ということを具体的に親身になって教えてくれる先生であってほしいものです。皆さん方は、文字通り若い方のメンター役であります。教育委員会でこれからそういう議論をしますので、是非ご研究なりお考えを深めていただければ幸いです。

 最近、先生はダメだとかいうマイナスのことばかりメディアでは目立つように思います。この間の教育・文化ふくい創造会議では、優れた教員の紹介や表彰、授業実践の紹介などを通して、プラス思考の教員政策を福井県で行ってはどうかというお話があったかと思います。

【Ⅵ その他】

 それから、自分の経験上のお話になりますが、私が高校の時に一番つまずいたのは因数分解というものです。一例ですが、子どもたちがつまずかない教え方をお願いしたいと思います。どういうことかといいますと、先ほどの問題と関係するのですが、因数分解って一体何のためにあるものかということですね。数学全体の中で、これはどういう意味があり、どの程度におつき合いして良いのかと、そういうことを数学の先生方は教えているのでしょうか。私は子どものころは、あれは自分でひらめいて解けないとダメだ、こういうことをするのが数学だと誤解をしていました。しかし、全然違いますね。答えを覚えておれば良いのですね。因数分解とはこのようなもので、あとの使い道はどうなのか等、ざっくばらんなことを子ども達に教えてやって欲しいと思います。

 もっと大事なことがありまして、数学の問題の解答を生徒に渡さないらしいですね。問題集の答えを渡していないと思います。是非、わかりやすく答えを書いて、読んだだけで普通の子でも分かるような決定版を作って欲しいと思います。それは先生の大事な役目だと思います。そして、それを生徒に渡して欲しいです。答えを見て次の日の授業に臨むのではないか、ということを懸念されるかもしれませんが、決してそんなことないと思います。答えを見る生徒がいたら大したものだと私は思いますので、是非渡してやって欲しいのです。無駄な教え方というのは、最後に「sinθ」と答えだけが書いてあって、なぜ「sinθ」になるのかというやさしいプロセスが答えに載っていない問題集をもらって勉強することだと思います。次の日に先生から答えを聞くだけでは不十分ですしね。基本的なことや大事なことを学校で教えたらいいのではないでしょうか。
 最近、センター試験の問題をオープンにすることになったと思いますが、あれは非常に良いことで、私は前々から言っておりました。あれをオープンにして、体系的に教えれば良い。一番大事なことがそこに書いてあるわけですから。歴史とか社会とか理科ですね。そのことにより、面倒な受験勉強が軽くなるのではないかと思います。あれを体系的に組み直したり、歴史的に並べたりして。

 この夏休みに、2、3日暇がありましたので小説を読みました。スタンダールという人の伝記を読みました。17歳頃までの彼の自伝です。17歳頃までの伝記を53歳の頃書いているのですから、ちょうど校長先生方の年齢ぐらいの頃のものです。フランス革命の直後というのは、フランスでは全国の数学のコンクールがありまして、スタンダールは数学で、地区の1等賞をもらったことがあると書いてありました。ところが、スタンダールはコンクールに出る数年前、数式の展開のしくみが分からなかったそうです。ある先生の説明にハッと気づいて目から鱗が落ちたそうです。何でこれをもっと早く教えてくれなかったのかといって、数学を一生懸命勉強するのです。良い先生にめぐり合ったのです。教え方というのは非常に大事だと思います。(a+b)2 は、代数と図形を融合して、これをaの2乗と2掛けるabとbの2乗になるというのです。それをその数学の先生は教えてくれたということで頭がすっきりしたというわけです。

 数学というのは、体系に沿って学習内容は発展しているはずですが、そんなことは決して数学の先生は言いません。「はい、次は微分です」と突然教え始める。次から次へと分からない話が出てきて非常に暗くなる、そういう覚えがあります。
 そのようなことを学校の世界から無くして欲しいというのが、数学を例にとりますと私の思いであります。物理でも化学でも同じだと思います。特に化学は、化学式など非常に分かりにくいですね。左から右へ化学式が行くのは分かりますが、何故その組合せしかないのかというのは分からない。化学の先生は決してそれを教えてくれません。こうであると宣言するわけですね。実験も大事ですけど、実験の前に黒板の前でもっと分かりやすい授業をしてもらわなければならないと思います。
 それから歴史とか地理について申し上げますと、もっと覚えやすいように工夫して欲しいですね。記憶術なんか発明してくださるとありがたいですね。できるだけ無駄のないように、社会に出て役に立つようなことをご指導願えればありがたく思います。  

【Ⅶ 結び】

 最後にまとめをしたいと思います。第2回の教育・文化ふくい創造会議の時に、いろんな議論がございましたが、まず、県外の教育の専門家も福井県の教育や先生方の水準あるいは努力を高く評価しているということなのです。非常にありがたく思いましたし、先生方にもこれまでやってきたことは、基本として間違っていないという自信を持ってほしいと思います。彼らが言うには、福井県は素晴らしいのだから、これから一種の「状態目標」といいますか、福井県のやっていることは素晴らしいとか、是非福井県で子どもを育てたいとか、そういう新たなスタイルの目標が福井県でつくれるような県になって欲しいということですので、そのことを皆さんに期待します。

 2点目は、皆さんもお考えになって欲しいのですが、個々の先生方の自己研鑽だけではどうも限度があるということです。先生に採用された時がトップの状態で、段々、世の中の流れ、本人の熱意、周りの無理解とかいろいろありまして、ダウンしていくのではないかということです。ですから、学年単位、教科単位あるいは学校単位で皆さんが力を合わせて取り組むことが重要ではないかという話がありましたが、私はなるほどそのとおりだと思いました。年に1回ではなくて、毎月でも毎週でももっともっとやっていただいて、授業内容の変革に役立てることが重要ではないかと思います。

 3点目は、主に中学・高校だと思いますが、部活動関係をどうやって折り合いをつけるかということです。部活動に命をかけておられる人もいますし、様々にきたえる教育にもなると思いますが、部活動と授業のバランスですね。先ほどの高校野球に戻りますが、あの高校がなぜ優勝できたのか、非常に興味があります。授業や部活動の教え方に何か秘訣があると思います。福井県でも決してやれないことではないと思いますのでお願いしたいと思います。

 最後に、教育研修の問題ですね。これは福井大学、あるいは公立・私立全体で力を合わせ、専門的なスタッフなども入れまして、予算も確保し研修プログラムをしっかり作って、先生方の教育力の向上を図る必要があると思います。これから教育委員会で議論していただくことになると思いますので、宜しくお願いします。

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