平成19年度課長級研修での講話

最終更新日 2010年2月4日ページID 000442

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 このページは、平成19年8月7日(火)に行われた平成19年度課長級研修での講話をまとめたものです。

 Ⅰ 公務の性質について
 Ⅱ アイディアを出すことについて
 Ⅲ 気持ちの持ち方について
 Ⅳ 仕事の仕方について
 Ⅴ 人の育て方について

 本日は、私のホームページのエッセイから特に仕事に関わるものを抜き出したものについて、説明を加えながらお話をしたいと思います。 

 【Ⅰ 公務の性質について】

(公務と私事)
 公務はすべての人に奉仕する目的のものですから、これを行う者は、私事を離れて公平に仕事をしなければなりません。しかし、県民の皆さん全体に奉仕するとの考えは、観念しづらいものです。
 公務を遂行する場合は、逆に自分の家の仕事をするがごとくやってほしいものです。そして、自分の家でよく似たことをやるときに、どのような注意・関心を払うか、熱意の入れ方をするかというようなことを考えて、公務をしてほしいということです。
 仮に、公園の整備を行うときは、自分の庭を造るような気持ちで仕事をしてください。意外と他人事みたいに思って公務を進める人がよくいます。しかし、それは公の仕事であって、県民益を踏まえなければなりません。予算を編成するときも「自分があるいは家族が家計を切り盛りする」というような気持ちでやると、ずいぶん仕事への思い入れが違ってくると思います。公務はあたかも私事をするかのごとく行う、ということを心構えとしてはどうかということです。
 例えば、県庁の前に松の木とかがありますが、あの剪定はいつの季節に年何回いくらでやるのだろうかと考えるとき、皆さん自分の家の庭だったらおそらく知っていると思います。あたかも、私事をするかのごとく、財産を管理する担当課長として仕事をやらなければならないという意味です。

(予算と所管―誰が仕事をするか)
 われわれが仕事をする場合は、大抵予算を伴います。予算が付いているということは、必ずそれを執行する所管の部局があります。どの課長も担当していないような予算は、県庁にはありません。しかし、解決すべき問題という意味の課題は、部や課の都合に応じて向こうからやって来るわけではありません。水害、災害、交通事故に限らず、都合よく所管を決めてはやって来ません。
 ですから、絶えずどの部局がやるのか、どの課長がやるのかということになります。まして自ら積極的に何かを企てるという場合は、元々所管はないですから自分で考えて、担当している皆さんの仕事と少しずれていても、新しいことを企てる必要があります。自分の所管に合わせて仕事をするわけにはいかないのです。
 強い責任感あるいは他の県と競争する意識を持ちながら自ら所管を考えないと、新しい問題提起と問題解決の動きは現れてきません。
 夏休みになりかけましたので外国のいろんな戦争の本を読んでいるのですが、ナチスドイツにフランスは最初やられます。なぜやられたのか、イギリスはどうだったかなどと考えてみますと、大抵はタテ割りというのが課題になっています。お互い責任をなすり合っています。タテ割り的な中にあっても、特に中央省庁では権限争いを積極的にやる場合が多いですね。縄張りを広げるという感じになります。
 他方、地方公共団体ではむしろ譲り合いが多いかもしれませんね。なぜ譲り合いが多いかというのは、ちょっとまだ解明していません。ひょっとしてこうではないかと思っていることはありますが、今日はその話はしませんので考えておいてください。

(すれちがい)
 今日の場面にふさわしいのかどうか分かりませんが、私の子供の頃は映画館が育った町にありまして、毎週映画を観に行ったものです。その殆どが時代劇で、チャンバラの映画でしたが、たまに松竹の現代映画もありました。それを見ていつも思ったことは、すれ違いドラマ、待ちぼうけの場面がよくあるということです。会いたいけれども会えない、プラットホームでこちらを向くと丁度電車が入ってきて相手が見えないとか、そのような素朴な映画が多かったです。
 最近そういうシーンが消えたのはなぜかと云いますと、今は人間同士が直接会わなくても済む時代であり、また、携帯電話もあるからです。しかし、情報が錯綜し簡単に連絡ができますと、逆に実際に仕事をする時に十分な情報がなかったり、情報のすれ違いが多くなったりします。県の公務においても、大事なところですれ違いが意外と起こりやすいということです。昔と違って直接ではないですから、皆がすれ違っていないと思い込んで勝手に動いていると問題が拡大します。
 映画の話をしましたが、昔の小説では、相手宅に訪問するという話が多いです。昔は直接人間同士が会って、情報を交換せざるを得なかったが、今はそうする必要がありません。しかし、直接そういうことをしないと意外と行き違いというのが多くなります。
 皆さんの仕事でも、「これはこういうことで確かめました」という話をよくする人がいます。「それじゃ誰がやったの」と聞くと、課長でも補佐でもなく、担当者がやったらしいというような、情報に確心が持てないということが意外に多いです。すべて課長がそんなことをする必要はありませんが、時には現場の状況、風景が目に浮かぶような気持ちの中でスケールの大きな仕事を行ってほしいものです。

(はじめる・つづける)
 2年程前の調査ですが、「あなたはボランティアのような活動をしたいですか。やる気がありますか」と聞くと、約80%の人達が「ボランティアに関心があります。やる気があります」と回答しています。しかし、「あなたはやったことがありますか」と聞くと、その割合は8%位になってしまいます。
 実際、私自身が行政とか政治のことをやっていますと、言葉と実行は、桁が一つ位ちがうように思います。自分でやる、他の人まで頼んで指揮して仕事をさせる、やる気持ちになってもらう、というのはエネルギーが非常に違います。桁が違うように思います。マグニチュード位ちがうかも知れませんね。マグニチュード「6」と「7」とでは1の差ですが、エネルギーは30倍の差があります。ですから、人間というのは、自分が頼まれてやることはまだできますが、これをさらに人にしてもらう、というのは大変な技なのです。例えば、皆さん方が「これをお願いします」と言われた時に、やってもいいかなと思って、「はい、分かりました」というのと、組織の中で指揮して「これをやりなさい。成果をあげましょう」というのとは、エネルギーが10倍位違って、なかなか大変だと思います。それくらいの覚悟でないとできないのではないかと考えます。
 後半のエッセイに書いてあることは、行動に結びつかない原因としてなかなか情報が行き渡らないということです。ボランティアにおいて、やりたいのだけれども、8%の人にとどまるのは情報が十分行き渡らない、行動のしようがないという点もあると思います。
 さて本論ですが、「ノーマイカーデーやりましょう」「レジ袋をあまり使わないようにしましょう」など、行政がいいと思って始めた運動が一定期間続けられるかどうかを見極める必要があります。私たちの仕事は始めてから数年で止めてしまうものが非常に多いです。仕事がそういう性格のものであればそれでいいです。そうではなく、次から次へと目先が変わるだけで、あまり継続性がない、実効性がない仕事が多いのではないか。皆さん方の課の仕事をご覧いただいて、その仕事がどれ位の継続性をもっているのか、これから予算を要求し、組織改正を要求するなどしてやろうという思いがあった時、その仕事がどれくらいできるか考えいただいて、長い生命力のある仕事をして欲しいのであります。 

【Ⅱ アイディアを出すことについて】
 次は、アイディアを出すことについてであります。
 先日、日経新聞を見ていましたら、ある会社の社長が「アイディアを出さない社員はいらない。指示をしてはじめて仕事をする社員はいらない」と張り紙をしていることが書いてありました。この会社は京都にある企業でしたが、アイディアを出すことについて、これは公務員として極めて大事な能力ですので、この問題について数点申し上げます。

(「関心」について)
 先ずは、アイディアの元の話ですが、「関心」というのが大事であります。何事も一定の関心を持っていないといけないと思います。
 街を車で走っておりますと、たくさんの看板が出ていますが、例えば、眼の調子が悪くなると眼医者さんはどこにあるのかと看板を見たりします。あるいは、家を建て替えるとなると、不動産屋の看板を見るかもしれません。それぞれ、関心事というのがあると思います。
 皆さんは植物に関心があるかどうか知りませんが、かつて私は全く関心がありませんでした。花がいつ咲くのかほとんど関心がありませんでしたが、ある一定の年齢になると関心が移るようになりました。つまり、関心事というのは、その人の欲求なり、意思なり、何をしたいか、何を解決したいかにより深く関わっています。
 私の個人的な経験ですが、ある大きな仕事が終わったりあるいは失敗した時、ほっとしますと、同じようなことが昔もあったような気がするんですね。これは緊張がなくなると関心が解放され、前後の区別がつかなくなり、気持ちを緩めると記憶も注意力も働かなくなるのです。
 私は若い時、税務署長をやったことがあります。出先機関になりますので、時々国税局長さんが視察にお見えになります。こういう組織は官僚組織で上意下達です。「局長はこういうことに関心があるので、そういう話をしてください」と言われたことがあります。私、若かったものですから、上司の関心によってなぜ自分の仕事をしなければならないのか、と思ったことがあります。
 人の関心によって自分の仕事をするなんて考えられませんでした。仕事は自分の都合でやろうと思っていたのです。世の中はそうではないのだというのを初めて知らされたのです。それがいいことかどうかは分かりません。上司の関心事に合わせて仕事をするということでは、昔のサラリーマン映画のように非常に滑稽な話になるかもしれません。しかし、仕事の効率性から見れば、上司の関心に合わせて自分の関心を応用しながら仕事をするのが合理的かと思います。
 その際、我々の課題としては、関心をいかに高めていくか、 私達の仕事の関心を深めるためにはどうしたらよいか。一つのものに関心を集中しながら、他のものへの関心も持つにはどうしたらよいか。上司の関心と部下の関心を組織的にどのように巧く一致させるか。
 「上司は思いつきでものを言う」という本が、一年程前にベストセラーになりました。これは当たり前の話です。部下にとって上司は思いつきでものを言うとしか見えないものです。なぜなら関心が違うからです。
 でも、みなさんの部下が、課長にとんちんかんな話をしたら歓迎してほしいものです。いいアイディアかもしれません。私自身と皆さん方が議論をするときにお互い少しずれて話をするのは何も問題ありませんし、恥ずかしいことでもなんでもありません。大体、私の関心事にみんな合わせるというのはおかしいようであります。そんなことをする必要はありません。
 アイディアを出すことは関心をどこに向けるか、どう実現するかに関わりがあります。

(アイディアの固定について)
 一週間程前に作詞家の阿久悠さんが亡くなりましたね。皆さん方の青春時代の作詞家ではないかと思います。昭和40年代後半から50年代位。この人は、メモ魔だったとNHKの特集で出ていました。作詞家というのは言葉で勝負する世界ですから、思った瞬間にメモをしなければ、永久に二度とその言葉は頭の中に出てこないと思います。
 頭の中にあるアイディアのようなものがあり、「ああそうだな、わるくないなあ」と思っていたことが、お風呂に入って出た瞬間に、あれはなんだったかなと忘れることが多いです。もう二度と出てきません。役に立ちそうなアイディアをはっきりさせるには、メモや文章にしたり、周りの相手にしゃべったりして、固めたり共有しなければなりません。是非これを実行してほしいと思います。
 一番下に書いてありますが、皆さんはノーベル化学賞の故福井謙一先生の名前はご存知だと思います。私は仕事の関係で二度ほどお会いしたことがあります。この先生は、実験ではなく計算式をつくる学者で、枕元にノートと鉛筆を置いて、暗闇で字を書かれたそうです。皆さんは暗闇で字を書いたことがあるでしょうか。恐らくないのではないでしょうか。福井県にそのような課長がいたら、もっとよくなるかもしれません。福井先生は暗闇で数式を書きましたが、思い出した時に書かないと忘れてしまうと言っていました。つまり、自分のアイディアをどしどし出し、それをセットする、フィックスすることが重要だと思います。
 ただ、私の場合は残念なことに、後で見ると随分つまらないものもあります。私もメモをしますが、すぐには使えません。メモを書いても書いた意味が分からないということもあります。非常にアイディアがあいまいなことが多いです。
 それから、アイディアは良いが人に言いにくいということも多いです。こういうことを言って恥ずかしいなあとか、こんな細かいことを言っていいのかしらとか、アイディアとしておかしくないのだけれども外に言いづらいこともあります。みなさんもご経験があると思います。
 例えば、ふるさと納税などは是非実現させたいです。よいと思うことを実現できるようにお願いしたいと思います。特に注意してほしいのは、他人から言われたアイディアは、必ず忘れますのでぜひ記帳をしてほしい。誰から言われたかも忘れることもよくありまして、昨日聞いたのに忘れてしまう。よい考えをしっかりセットして、それを人に言えるかどうか、言えた後実行できるか。皆さん方からアイディアが出ないと県の行政が良くなりません。冒頭申し上げた社長のように、「アイディアを出さない社員はいらない」ということになります。また、人の話をすべて全員でメモしているような仕方は、アイディアとは無関係です。

(ものの見方について)
 着眼が大事だということが書いてあります。
 立体である円柱も、真横から眺めると長方形になり、上下から見ると円形に見えてしまいます。
 ものの見方というのが大事でありまして、何をやるにしても、着眼点がずれると良い成果が生まれないと思います。
 有名な哲学者にパスカルという人がいました。パスカルはその「思想」の中で、人の間違いを注意して、気持ちよく納得してもらう方法を述べています。部下がピントが外れたことを言うことがあると思います。その時には、彼が言っている考え方が、その物事をどの方面から眺めて言ったことなのかをよく聞いて、「その方面から見れば間違いではなく正しい。しかし、こういう見方でみると違っており、こうやるべきではないか」というように注意してほしいということです。パスカルは仕事のことを言っているのではありませんが、そんなことを書いています。
 間違いというのは客観的に間違っているのではなく、ある方向から見ると正しいけれど、その見方が違うのではないかということで、着眼点を良くしてほしいと思います。 

【Ⅲ 気持ちの持ち方について】

(ぼんやりしていること)
 「ボヤッ」とあるいは「ボンヤリ」として、「気を抜く」ことや「気晴らし」をすることは大事です。ある仕事をぶっ続けて考えるということはよくありません。精神的にいろいろ悩んだり、病気になる人が増えていますが、体の中に仕事が入ると病気になると思います。ですから、逆に仕事の中に体を入れる方が体は楽です。あまり考え過ぎないことです。
 ただ、注意がいるのは、組織全体はボンヤリしてほしくないということです。県庁の組織もそうですが、組織というのは決して歳を取りません、絶えず若いです。いつも平均年齢が40歳なら40歳です。我々一人一人は歳を取りますが、組織はいつも若くて元気ですから、組織としては、老化せず注意が散漫にならないように気をつけてほしいものです。

(天心先生と大観先生)
 横山大観は岡倉天心のお弟子さんでありました。以前、NHKのテレビ番組を見ていましたら、横山大観が80歳代のお元気な頃のインタビューがありました。「岡倉天心先生は、いろいろ大観さんに細かい指導をしたのですか」と聞いたら、「全くそういうものはない。あまり細かいことは言わなかった」ということを仰っていました。
 院展というのが福井であった時、役員の方に「岡倉天心さんというのは、そういう方だったのですか」とお聞きしたら、「菱田春草という画家も大観と同じ時代の人だったが、この人には技術的なことを教えられていた」ということを話されていました。インタビューでは、横山大観は、「絵を描く時に、人間ができていなければいい絵は描けない。」と仰っていました。気迫、人格は、芸術の世界でも政治の世界でも非常に大事だという思いで、ここに書いたわけです。

(仕事と感情)
 仕事は冷静に進めなければなりません。心理的要素が入ってはいけないのですが、やはり仕事に感情が入っていないと良い仕事はできないと思います。よく打合せをしていますと、「何とかですって」という返事がありますね。「相手がどうしてもウンと云わんのですって」とか、こんな言い方しませんか。聞いていると、これは誰の仕事なのか、他人事みたいに言っているなと感じます。また、自分もそういう言葉を発しているのが分かりました。「何々ですって」は、言葉の一例ですが、各々に体の正面に向き合わない、他人事みたいにしゃべるような言い方ですね。「これはこうであります」「自分はこう思います」「これはこうでありますが、いついつまでにやります」であるべきで、「出来ないんですって」という答え方にはならないようにお願いしたいということで書き留めたもので、仕事に感情をしっかり込めて、仕事をしてほしいと思います。 

【Ⅳ 仕事の仕方について】

(事柄の原因)
 いろんな仕事に失敗したり成功した時に、その原因が不明な状態よりも、真偽はともかく原因がはっきりした方が気持ちが落ち着くということです。エレベーターの話がありますが、最後の一人が乗ったときブザーが鳴れば、最後の人が降りなければいけませんね。なぜだろうということですが、そういうことになっているのです。みんなが原因のはずだけど、最後の人だけが責任を負わされる。
 世の中、原因というのはなかなかやっかいな性格のものであります。
 あらかじめ責任者を決める方式は、仕事を効果的に進める一つのやり方です。
 さて、課長というのは責任者で、仕事でどんな結果が出ようと原因者であります。そこは注意して仕事をしてほしいという意味であります。

(システムについて)
 われわれは「システム」という言葉をよく使いますが、「システム」の本当の意味は何でしょうか。
 温暖前線とか寒冷前線とかいいますが、雲同士がぶつかって雨が降ったりする、そういう流れを英語では「システム」といいます。なぜぶつかるかというと、そこに双方のエネルギーがあるわけで、エンジンが根っこにあるといってもいいです。
 システムの構築というのは、いろんなファクターが互いに関係を持っていて、その中で特定のものにエンジンがついています。従って、皆さんが仕事をするときにはシステム的に仕事をする必要が生じます。大事なことは、エンジンがどこにあるのか、誰がそのエネルギーを持っているのか、あるいはどこにそのエネルギーを発揮させるのか、ということを絶えず意識してほしいということです。課長さんとかがエネルギーを持っていないと、そのシステムが動かないことがあります。誰が駆動させるのかということです。
 県のプロジェクトにおいてもシステムが重要です。子育て計画、観光対策、エネルギー拠点化計画など、どこにエネルギーがあり、どうコントロールするかを考えなければ、大きなプロジェクトのシステムは実行できません。

(循環論―ともかく手をつける)
 例えば、農業の議論をしますと良いアイディアがたくさん出ます。しかし、それは売れるのかとか、作る農家がいるのかとか、大阪の市場で買ってくれるのかとか、循環論によく陥ります。
 このあたりの問題を解決するときに、気をつけていただきたいのは、あれがうまくいかないからこれがうまくいかないのだ、ということでは何も解決しません。
 ともかく行動をどこからでもいいから開始してほしいということです。
 ニワトリか卵かということですが、正しくは羽根や足のあるニワトリが先になって動く必要があります。どちらが先かという話になります。良い、悪いではなく、動かすようにしてほしいと思います。

(ゆっくり少しずつ)
 要するに、途中で仕事をだめにする、放棄することにならないよう、最後まで嫌にならないということが大事だと思います。
 私は小説家で井伏鱒二という人が好きですが、この人の全集は30巻を超えます。井伏鱒二は年を取ってから直木賞をとりまして、同年輩の人がどんどん文学賞を取ったのになかなか取れませんでしたが、いつも「お先にどうぞ」と言って慌てなかったそうです。作品はたくさん残っております。しかし、この人の全集には、書き損ねとか途中で終わった作品がたくさん入っており、尻切れとんぼになっているものがあります。意外とこういう方でも、行き着けなかった仕事が非常に多いのです。手に余る仕事をやったとか、年をとって書けなかったとか、関心が薄れちゃったとかいろいろありますけど、皆さんが関心を持って仕事をする場合に、最後まで行き着く仕事をぜひやってほしいと思います。 

【Ⅴ 人の育て方について】

(助言社会)
 行政の中でもご家庭の親子関係でもそうかも知れませんが、文句を言ったり、叱ったり、命令したり、引っ叩いたり、そういうことは意外と多いものです。助言というのは、家庭のみならず官庁の中でも少ないのではないか、助言し合っているのか一回反省をしてほしいと思います。
 大事な言葉を上司として部下に発してあげられれば、その人にとってこれから20年あるいは30年の間の価値をもつアドバイスになり、非常に成長するだろうと思います。
 これからは、助言というのが大事じゃないかと思います。1日の内に、叱ったのか、怒ったのか、文句を言ったのか。それとも本当の助言をしたのか、私も含めてちょっと考えてみようではないですか。

(助言者のいろいろ)
 1年以上前の日経新聞にジャック・ニクラウスの「私の履歴書」というのが出ていました。なぜ引退したのかということですが、「パットがまったく入らなくなり、今もってなぜ入らないのか分からない」ということで、不思議なことですね。必ず入ると思うものが入らないから引退したということです。
 ジャック・ニクラウスのコーチの話ですが、良いコーチは生徒に「どのようにすべきか」ではなく「なぜそうなるのか」を教えられるのが良い先生だと、ジャック・ニクラウスは言っております。失敗した時、成功した時、なぜそうなるのか。課長であれば、部下に「こうするのはこのためだよ」とか「こうなるからだよ」と教えてほしい。それが良い先生だと思うということを言っています。助言者にはコーチとメンターという2種類のものがあります。学問的な区分もあるでしょうが、コーチは技術的、メンターは精神的あるいは外面的と内面的といえるでしょう。
 皆さんにも、皆さんが教えてもらえるコーチやメンターをさがしてほしいと思います。メンターというのは、必ずしも社会的に成功した人とは限りません。自ら深い信念を持ち、経験に基づく指導のできる、自他ともに認められた人を言います。メンターというのはホメロスの「オデュッセイア」に登場する人名に由来しているそうです。 

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