福井県小学校長学校運営研究大会での講話

最終更新日 2010年2月4日ページID 005892

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 このページは、平成20年5月14日(水)、武生商工会館で行われた福井県小学校長運営研究大会での講話をまとめたものです。

200514講演写真1 みなさんこんにちは。本日は、小学校の校長先生にお話しする機会をいただきました。ここまで教育研修ということで、いろいろなお話を聞かれたと思いますが、教育に関係のある話をいたします。

 みなさんは、校長として1月に1度は朝礼などで話をされるでしょう。今日は、そのような話をしたいと思います。ここに本を持ってきました。「演説について」という題であります。カール・ヒルティというスイスの法学者であり、思想家でもある人の本です。

 みなさんは、学校の朝礼でよく話をされるということです。いま、お手を挙げていただいてリサーチしましたところ、子どもたちの前では「月1回」という人がほとんどのようでした。私も職業柄、人前で話をする機会は多いのです。みなさんとは「同業」です。

 また、知事になってしばらくして、喉を痛めました。病院で診てもらったところ、医者から「あなたは学校の先生ですか」と訊かれました。学校の先生にありがちな、ノドの使いすぎの症状でした。その意味では、みなさんと「同病」と言えます。

 1期目の選挙に出て、後になって、ある人から「当時は、あんな演説では選挙は大変だと思った」と言われました。「今は少しましになった」と言われましたが、でも、額面どおり受けとめられないのであって、決してうまくなってはいないと思っています。

 まず、自分自身が朝礼で話されたものを録音して聞いてみたことがありますでしょうか。ぜひ一度、聞いてみてください。上手だと思えたら大したもので、たいていは少し自己嫌悪に陥るのが普通でしょう。

 2、3日前に、日本まん中共和国文化首都遷都式で三重の尾鷲市に行きました。今日出席されている越前市長も一緒でした。尾鷲までは片道340~350キロありますので、車で5時間かかりました。行きは景色を楽しんでいましたが、帰りは退屈なので落語を聞いていました。例の「ちりとてちん」以来、少し時間があると落語を聞きます。この日は、5代目・柳家小さん師匠の噺でした。
その昔、小さん師匠が話しておられました。他の落語家の噺を聞いて、下手だと思ったら自分と同じだそうです。少しましかなと思ったら、かなり上手い。とても上手いと思ったら、もう追いつけないと思った方がよいという話でした。評価は、主観と客観に大いなるギャップがあることを知るべしです。

 さて、最近、大学で講義をすることがあります。先日も立命館大学で650人の学生を前にして講義をしました。大学生に話をするのは、とても難しいものです。大学生とは年齢も大きく違いますし、関心事も違うからです。

 みなさんが小学生に話をすることほど難しいものはなく、技術的に最も困難な条件が揃っていることを自覚しなければなりません。
 選挙演説の場合には、応援してくれている人たちですから、聞いてやろうと好意的な方が多いですし、そのグループについても応援団であったり、同世代であったり、何か一致するものがあります。
 しかし、それが小学生相手ですと、もともと先生の話を聞いてやろうとは思っていないでしょうし、演説者とは世代も違います。また、1年生から6年生まで興味関心がばらばらですから、本当に大変だと思います。

200514講演写真2 前置きが長くなりましたが、「演説について」の話をします。著者のカール・ヒルティは、100年ほど前に亡くなられた人で、スイスの国会議員を20年ほど務められました。ベルン大学の教授もされ、スイス陸軍の裁判長や国際仲裁裁判所のスイス代表もされています。文庫本では「幸福論」や「眠られぬ夜のために」という著書でも知られています。

 本日は、「ヒルティ著作集」の第8巻「悩みと光」の中に、「演説について」という話がありますので、これをご紹介します。

 まず、冒頭に演説の定義があります。少し理屈っぽいことになりますが、「演説というのは、何か特定の問題についての考え方なり見解なりを、適当な言葉によって相手の心に引き起こす能力のこと。いってみれば、自分の考えや感じの流れを相手に注ぎ込む能力のことである。」とされています。つまり、話し方のことです。

 世の中には、なかなか有能な人なのに、公の場で話をするとなるとさっぱり要領を得ない、あるいは自分はえらくないと信じている人が現にたくさんいる。
 「公開の席上で上手に話をすることは、別に、もって生まれた天分というものではなくて、我々の習得できる一つの技である。」と最初に述べています。
 たとえ特別に上手な話し手とはいかなくても、有用な、世の中に役に立つ演説家になることぐらいはできると信じていると言っています。
 そして、うまく話すには、絶対避けるべき条件をはっきりのみ込み、また、避けなければならない。この作法は守ろうという気にさえなればよいと言うのです。ただし、この極意は「秘密」なのだが、しかし「公然の秘密」にすぎない。つまり、単純な規則を守ればよいということを主張します。

 以下、ヒルティの言葉で話していくことにします。一番肝心な条件は、内面に確信があるということ、話し手とその語る言葉とが完全に内面的に一致しているということです。自分でも信じていないことを口にしたり、本当によくわかっていないようなこと、つまり勉強しただけのことを話してはいけない。
 信じていることを口にしろということです。また、教育の専門家として話すのであって、テレビタレントとして話すのではない。ご専門のことを子どもたちに話してください。これが第一の規則です。

 彼は、利口な代議士は、得意でないことはできるだけすっとばして、すぐ自分の畑に話を移すといっています。

 子どもについても触れています。子どもは、民衆の考え方なり感じ方なりを反映するものだそうです。その子どもたちでさえ、いつも聞きたがるのは「本当の話」であります。校長がその話自体に関心があり、夢中になっている様子がないと、子どもは満足しないものだということなのです。

 第二の規則。「職業上あるいは何か話さねばならぬ義務を感じない限り、人前で話すのは用心すべき」つまり、「どうしても話さなければならないという誠実な確信に基づく内面的衝動を感じないような人は、全体として人前で話すことを用心すべき」だそうです。人前で話す義務がある人は、そんなにはいないと思います。しかし、みなさんには内面の使命が、外形的について回っている訳ですから、肝心の前提がそろっていることになります。話すときには自信を持って、頭を働かせ、練習して、話すことが巧くなればよい訳です。

 次に、技術的なことが演説をするに当たっての注意事項に挙げられている点を申し上げます。それは、自分の柄にないことは話さない、他人のまねはしない、演説調になってはいけないということです。自分の個人的な持ち味を生かして話すべきで、常に自分の人柄を完全に打ち出して話さなければなりません。

 演説は聴衆を高く評価すればするほど中身がよくなる。相手をなめてはならないと言っています。自分のもっている最上のものを、常に子どもたちにぶつけていただきたいと思います。「相手が子どもだから適当に」ということは避けなければならない、投げやりにやってはいけないということだろうと思います。

 もう1冊本を持ってまいりました。羽仁もと子さんという方が書かれた「教育三十年から」という本です。羽仁進さんの祖母に当たる方です。自由学園の創立者で、終身理事長でいらっしゃいました。この方は、自分を「理事長」と呼ばせなかったそうです。「ミセス羽仁」と呼ばせたそうです。

 羽仁さんのお話の一例をあげますと、「子どもは弱者だ。しかし、よいものを持っている弱者である。」と書いてあります。弱者ゆえに、子どもたちは、私たちの良いことも悪いことも実によく吸収していくそうです。
 学園の小学校の卒業式での話で、昭和10年頃の話かと思います。いわゆる「都会っ子」に話したものですが、タイトルは「田舎者は勝つ」とあります。田舎者が都会人に勝って世の中は進歩するもので、歴史を作るのはいつも田舎者であるとのことです。ただ、都会でも田舎でも田舎者のような新しい気持ちになって、古いものと戦うことが勝つことだと言っています。都会人と田舎者が競争して、勝ち組・負け組と決めるのはよくないと話されています。

200514講演写真3  演説の話に戻ります。「不明瞭な発音は矯正されうるものであるとともに、矯正されねばならない」とされています。そのために一番良い方法は良い文を音読することだと、ヒルティ氏は言っています。

 福井県民は、言葉が不明瞭で、内気であるといわれています。それで、子どもたちに訓練をしてほしいと思っています。慣れると、言葉を発することができるようになります。内気を直してほしいと思います。
県庁でも優秀であるにもかかわらず言葉がはっきりしない人がいらっしゃって、もったいないと思っています。

 大勢の人の前で話をすることは気恥ずかしいことと思うでしょうが、そうは思わずに、ただ1人に通じるように話せばよいと思います。1人の子の目を輝かせるように話せばよいと、ヒルティは言っています。
 肝心なのは心の持ち方である。話をすることは、自分のためでも名誉のためでもなく、他人のため、子どものため…など、このような心の持ち方で、誤解のないように、子どもたちに話していただきたいと思います。

 そして結論は、見栄を張るなということです。人間の進歩をさまたげる最大の敵は見栄だそうです。みなさんは、校長が何か失敗したりすると恥ずかしいと思うでしょうが、それも子どもたちのためだから良いと思わないといけないと思います。

 徒然草に、「能をつかんとする人」という話があります。天下の名人といわれる人でも、若い頃には、未熟だという評判もあり、ひどい欠点もあった。しかし、その人が、芸道の規則を正しく守り、自分勝手に振る舞わなかったので、最後はりっぱな名人になったという話であります。
 決して見栄を張るなということだと思います。

 最後に、大事なことを3点申し上げます。
 演説の大事なことは、「退屈な話」をするなということです。そのためには、聴衆の頭を働かすようにしていただきたいと思います。校長先生が話したことが、子どもたちにとって「自分たちが聞きたかったことだ」と思われるように、質問したり、同意を求めたりしながら、子どもたちの目をよく見て話していただきたいと思います。

 あまり「長時間」話してはいけないということです。そして、あまり「若いとき」に話してはいけない、あまり「たびたび」話してはいけないということです。

 話したことが正しいこと、わかりやすいことであるように気をつけてください。演説は、口の先、舌の先にあるのではなく、みなさんの「生活の中」にあるのだと、最後にヒルティは書いています。

 ところで、先日、全国学力・学習状況調査が行われましたが、みなさんの熱心な指導のお蔭で、福井県の子どもたちの学力は高い位置にあります。
 ただ、昨年の調査では、「将来の夢や目標を持っていますか」という問いに対して、「ある」と答えた子どもの割合が小学校、中学校ともに全国平均を下回りました。これが、とても気になっています。子どもたちには、未来に夢や希望を持ってほしいと思います。
 最近、東京大学で「希望学プロジェクト」が立ち上がりました。希望学に取り組んでいる先生達が、福井県でフィールドワークをされています。

 また、都会の情報に惑わされないようにしてください。東京都の中学校では、私立に行かずに済むように受験サポートを全国に先駆けて実施するなど、いわゆる「夜スペ」を行っています。しかし、このような問題は都会の話であることを、保護者の方にはよく知っていただきたいと思います。全国トップクラスの福井県の子どもたちの学力は、先生方の熱心な指導の賜物なので、これからも自信をもって生徒の指導に当たっていただきたいと思います。

 昨年11月に発表されたいじめの認知件数も、福井県は全国平均を大きく上回って全国第2位でした。しかし、この数字についても、現場の先生たちが、初期の段階から目配りするなど、注意深く子どもに向き合っていただいている結果だと思っています。

 今年「元気福井っ子笑顔プラン」を見直し、かなり思い切って学級編制基準を引き下げました。個々の学校の事情に合わせて、応用的に進めていただきたいと思っています。

 いろいろなことをお話しましたが、自信をもって、直すべきところは直しながら、先生に目を配り、子どもたちに愛情を注いでいただきたいと思います。頑張ってください。



 

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