「福井工業大学特別教養講座『地域共生学』」での知事講義

最終更新日 2010年2月4日ページID 009148

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 このページは、平成21年7月15日(水)に福井工業大学において、特別教養講座「地域共生学」として行われた知事講義の内容をまとめたものです。
 Ⅰ 導入
 Ⅱ 本論 


【Ⅰ 導入】


(はじめに)

210715講演写真1  この講義は2年次の講義ということで、今日受講されている皆さんの多くは今年20歳を迎える。まず、皆さんが生まれた1989年がどんな年だったのか振り返ってみたい。
 国際社会では、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする社会主義陣営との冷戦の終結、「ベルリンの壁」の崩壊、「天安門事件」など、さまざまな出来事が起きている。
 皆さんはスパイ映画をご存知だろうか。私が学生の頃は、「007」シリーズの初代ジェームズ・ボンド役はショーン・コネリーだった。一週間ほど前に、一番新しい「007」シリーズを観たが、同じスパイといっても、アクション・行動が全く違っていた。冷戦構造が完全に終わり、もう20年も経っているから、同じようなタイプの映画にならないのかもしれない。
 また、各分野において戦後の日本をリードしてきた著名人も、この年に奇しくも亡くなっている。産業界では松下幸之助さん、歌謡界では美空ひばりさん、漫画界では「鉄腕アトム」の手塚治虫さんなど。
 さらに、皆さんが生まれた年には、日経平均株価が最高値38,915円を記録した。バブルのはじける前だった。今では日経平均株価は9千円台で推移し、皆さんが20年間生きてきた間に4分の1になった。
 これまで、皆さんが生まれた20年前からの出来事を振り返ってみた。当時が時代の大きな転換点であったことが分かったと思う。そこから20年が経過したが、この間、日本の社会全体において、人びとの元気、地方や国の活力がだんだん失われているような気がする。特に、ここ1、2年、政治や社会の状況は急激に変化をし、皆さんが就職活動をする頃にもう少し良くなっているかどうかが分からない状況。今日は、日本社会のこれからを切り開くための一つの考え方を皆さんに提示したい。

【Ⅱ 本論】


(ふるさと論)

 さて、本論に入りたい。まず、皆さんは「ふるさと」という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか。アンケートでは、学生のイメージとしては自然、伝統、田舎、癒しなどがあげられる。
 「ふるさと」には、自分が生まれたところ、学んだところ、お父さんやお母さんが住んでいたところなど、いろいろあると思う。私もこれまで勤めてから何度も引越しをしており、広島や長浜など、第二のふるさとがある。こういう「ふるさと」を皆で盛り上げていこう、大事にしていこうということを私自身も考えているし、皆さんもそう考えていると思う。
 私は「ふるさと納税」という制度を提案し、昨年4月に正式に導入された。皆さんは税金を納めているだろうか。今皆さんが納めているのは、消費税や自動車税。これから就職して働くようになると、新たに所得税を納めることになる。そして、その金額よりもすこし少ない金額を福井県とか福井市に地方税の住民税として納めることになる。
 仮に、福井市出身の彼女が東京で就職をして、東京に住民税10万円を納める場合を考えたい。これまでは、例えば東京は行政が面白くないから出身地の福井市に住民税を納めたいと思っても、それができなかった。
 10万円のうちの1万円を生まれ故郷の福井県に寄付した場合、東京には差し引き9万円を納める、彼女にとって負担額が変わらないという制度が「ふるさと納税」。つまり、これまでのように自分で選択できずに国や自治体が税金を徴収するのではなく、自分で好き嫌いを選べるというもの。福井県が提案し、日本の租税制度として正式に導入された。
 何故このようなことを思いついたかをエピソードとして話したい。皆さんがまだ中・高校生であった平成16年の福井豪雨災害。7月18日に水害が発生し、5日後の7月23日に私のところに速達で手紙が届き、有り難いことだがその中に1等2億円の宝くじの券を入れてくださった。そして、手紙には水害に充ててほしいと書かれていた。水害で大変だから、福井県が頑張っているから応援しますと。
 日本人はあまりこのような「寄附」をしない。寺や神社に寄附をすることはあるが、自治体や困った人に寄附をする文化は少ない。先ほど言ったように、2億円の宝くじが福井県に送られてきたということは、なるほど、これからはいろいろ寄附をもらう制度ができるかもしれないなと思った。思うだけでは成功しない。なかなかこうしたいと思っても、準備もしないといけないし、勉強も必要。私は何年か考えて、こういう制度こそ福井県にとって良いものと思った。皆さんが就職して東京や大阪に行ってしまうと、田舎に対する応援をしてもらえないが、そういう人達も、いつも福井を応援したいという気持ちを持っている、そういう面を大事にしたい。ふるさとを皆で大事にしよう、東京や大阪が中心ではない、田舎からものを考えようと、そういうことを考えた。そのきっかけは2億円の宝くじの寄附であった。
 税金は毎年納めるものであるから、未来ずっとこの制度が使える。サラリーマンで家族を持って、子どもができると、住民税のうち一割というと3万円ぐらい、それが上限。それ以上すると今の制度ではマイナスになってしまう。昨年度、福井県に集まった寄附は約7千万円。全国では約40億円。100年で4千億円の計算になる。
 日本の場合、税金が高いとかいろいろ言われるが、皆で寄附をして、ふるさとを応援していこうという文化が育つきっかけになるのではないか。

(「ふるさと」という発想)

 新聞を見ると気づくかもしれないが、次のようなものの考え方が多い。今、日本はひどい、犯罪が多い、どうにもならない。若者は夢がなく高齢者は幸せではない。何とかしなければならない。皆さんも同じ気持ちを持っていると思う。
 ここからが問題。しかし、地方の活性化はこれ以上困難である、都市が地方を養っている、都市に資本や資源を集めて集中的に発展する方が効率が良い、東京ではこういう考え方が意外と多い。東京でものを考えて、地方を何とか無駄にしないで効率的にすれば、日本全体が良くなるのではないかという発想が起きている。私はそうは思わない。
 日本は大変だということは共通だが、福井県で、あるいは滋賀県で、広島県で、どういうことを考えればよいか。より身近なところで言えば、福井工業大学の皆さんが自分の大学をどうしたらよいか。自分のクラスをどうしたらよいか。そういうふうに考えて、世の中を変えていくわけだ。
 先週は「七夕」だった。福井駅前商店街は七夕飾りで華やかだった。笹に飾りつけてあった短冊をじっくり観察すると、いろいろなことが書いてあった。
 1つは子供たちの願い事であって「自分はサッカー選手になりたい」、「ピアノがもっと上手くなりたい」というもの。大学生が書いたものもあった。「ちゃんと就職ができますように」と。
 もう1つは、「おじいちゃん、おばあちゃんがいつまでも元気でありますように」、「弟の病気が早く治りますように」というタイプのもの。
 「自分はサッカー選手になりたい」と「おじいちゃん、おばあちゃんがいつまでも元気でありますように」。この2つのタイプの願い事は何が違うか。つまり、七夕の願い事でも、自分の夢を描いたものと、自分よりも他人の幸せを願うものの2つのタイプがあるということを頭に入れてほしい。
 最近は、もちろん自分も厳しいとか就職活動が大変だとか思っているけれども、他人も厳しいという気持ちも段々広まっている。これは歓迎すべきことだ。
 大体、2億円も寄付いただいたり、何百人もの人が7千万円も寄付してくれたりするのは、自分のこともあるが、自分の出身地を応援したいという気持ちがあるからだ。他人のことを。
 全国植樹祭のメイン会場となった一乗谷朝倉氏遺跡で「隣人祭り」という観光イベントが行われている。これは、10年ほど前の1999年にフランスのパリで始まった祭りである。アパートで孤独死したお年寄りが随分たってから発見されたことが契機となり、若い青年が自宅マンションに近所の人を集めて、簡単な食事を出して語り合うというもの。今では世界30ヶ国余りで広がっている。
 この仕掛けを考えたのは、福井市の観光アドバイザーの方。この方はかつて全日空の宣伝販売部長をされていたが、昨年福井に戻り、地元の人たちと人脈を築きながら、このような新しい企画を次々に打ち出している。一乗谷朝倉氏遺跡の観光客と一緒に地元の人たちが福井の蕎麦などおいしいものを食べながら、お互いに語り合っている。単に観光客を呼び込んで金儲けをするというのではなく、皆で仲良くなろう、つながりを持とうというもの。新しい動きだと思う。こういう動きが世の中に少しずつ広まっている。
 皆さんは、JUJUの「明日がくるなら」、絢香の「みんな空の下」、GReeeeNの「遥か」をご存知だと思う。こういう歌を見ると、最近の20歳前後の若い人たちが思っている気持ちが出ている。
 一つはこういうこと。僕たちの若い頃の歌は大体決まっていて、誰かに会えない、遠くにいて会いたいけれど会えない、田舎に帰りたい、そういう感じの歌が主だった。しかし、今の歌は全然違う。いつでも会えるし、友達だっている、けれどもいろいろ問題があって。歌の心はこういうことだと思う。つまり、いつも会っている異性の人とのつながりについて、確かに信じられずに疑問に思いながらも、つながりを深めたい、明日もまた会えるのだろうけど、もっとつながりを深めたい不安。そういうタイプの歌が多いように思う。
 家族に関する歌も多い。お父さん、お母さん、そういうつながりの歌も多い。周りの人たちのことを思ったり、男だったら女、女だったら男、恋人、そういうつながりをはっきり確かめたい、深めたいという歌が多い。私たちの時代は、そういう余裕も無かったし、つながりようがなかった。早く会いたい、お盆になったら帰りたいという歌が多かった。
 例えば、私たちの頃はなかなか国鉄の切符が取れなかった。皆さんはJRに乗ると座席に座ると思うが、私たちの頃は通路に座ることが多かった。それぐらい不便であったし、料金も高かったし、列車の数も少なかったし、遠かったというのが実際のところ。
 今は、いつでも身近に恋人がいるのだが、何となくあの人は私を好きなのか、好きだと思うけど、どうなんだろうと、そういうつながりを強めたい、確認したいという、そういう世の中になっている。これは、家族関係もそうだし、個人もそうだし、それから災害が起きたときの応援とか地域とのつながりを強くしようする大きな流れがある。それは、決して東京や大阪で考えるのではなくて、みんなで考えていくこと。皆さんも、学園祭とか、あるいは福井市内の祭りとか、いろんなことに参加すると思う。そういうボランティア、あるいは困った人を助けるなど、若い人たちが地域のことを考えていく、そういう動きが出てくるとうれしいし、現に出ていると思う。
 一方で、今月初めに大阪でパチンコ店に油をまいて放火した事件や、昨年は東京の秋葉原で無差別殺傷事件もあった。俺は一人ぼっちだ、もうやぶれかぶれだ、そういう人たちが突然身の回りの人々に何を起こすか分からない心配がある。これはどうしてか。全くばらばらで、個人個人である「個化社会」、そういう社会になりつつあるから。
 他方で、助け合おう、つながっていこうという気持ちもある。普通世の中で頑張っている人たちは、何とかしてこういう世の中をつくっていかなければならないと思っている。その中で大事な言葉を申し上げたい。
 「希望」という言葉。先ほど3つの歌を紹介したが、よく似た言葉がある。「明日が来る」、「一人じゃない」、「何も怖くない」、「あなたの優しさ」、そういう言葉がある。「遠い場所から見守っている」、「憧れ」、「誇り」、そういう言葉もある。希望は多くの言葉に関わってくるのではないかと思う。
 今、福井県は東京大学と共同で「希望学」の研究を進めている。最近「希望学」に関する本が出版されているので、ご覧いただきたい。「希望学」は、いろいろな希望に関わる、あらゆる分野の学問。先の親子関係もそうだし、恋愛や環境の問題も希望に関係していると思う。その中でいくつか申し上げたい。
 希望とはどういう意味か。英語で書くと次のとおり。
 Hope is a wish for something to come true by action.
 具体的な「何か(something)」を「行動(action)」によって「実現(come true)」しようとする「願望(wish)」。
 大事なことは、何もしないのでは希望がかなえられないということ。アクションを起こそうということ。先の隣人祭りとか、2億円を寄附してくれたとか、沢山の人たちが7千万円を寄附してくれたとか。これはお金による行動であって、ボランティアとはやや違う。皆さんもこれから就職活動をしたり、大学でいろいろなことをすると思うが、何かをしようというアクションがないと駄目、黙って座っているだけでは願いが実現しないということを「希望学」では言っている。
 これは新しい学問分野なので、皆さんが学んでいるような明瞭な部分はないが、段々はっきりしてくると思っている。今、福井県と釜石市の両方でフィールドワークを行っている。
 釜石市というのは福井県と正反対のところ。鉄鋼の町であったが工場が無くなり、失業率が高く、みんなが東京に出てしまった。一方、福井県は恵まれている。学力・体力が日本一、共働き世帯の割合が高く収入も多い、豊かである。このように、豊かなところと厳しいところの2つの場所をフィールドとしている。
 「希望学」の学者の方と話をすると次のようなことを言う。すぐに結果を求めるのではなく、あまり急がずゆっくりやろうと言うのが一つのポイント。もう一つは、希望というのはそれぞれ個々人のものであって、国や県がこうだというものではない。それから絶えず過去のことを考えて、未来はどうだろうかということなので、過去のことを勉強しなければならない。皆さんが今勉強していることは、全て過去のことだ。過去の人たちが考えて編み出した理論とか技術の整理である。これが工学とか、文科系の学問である。過去を遡って未来を考える。希望というのはすぐに効率的にはいかないから、無駄とか、ゆとりとか、失敗とか、そういうものを気にしないで進めていこうということだ。
 だから、皆さんが行動を起こす時に、まずちゃんとした願いを持っていなくてはならないし、やろうという不屈の意思もいるし、そして行動が続かないといけない。このようなことを念頭に置いて、勉強や友達付き合いを考えてほしいと思う。
 昨年、南部陽一郎先生がノーベル物理学賞を受賞された。4月末に南部先生が日本に戻ってこられ、大阪大学でお会いした。その際、福井の子供たちに向けてメッセージをいただきたいとお願いしたところ、2枚の色紙にしたためて、私の元に送っていただいた。
 色紙には次のようなことが書かれている。1枚は「個性をもって生きよう」、もう1枚は「Boys and Girls Be Ambitious!」。これを日本語で訳するとどうなるか。君はどう訳す?210715講演写真2

〔学生の答〕 「少年、少女よ、大志を抱け」

 正しい。けれど、もう少し考えてみよう。先ほど、無駄とかゆとりを持たなければいけないと話をした。
 ちょうど、この色紙をいただいた少し後に、内村鑑三の「後世への最大遺物」という本を読んだ。明治27年に発刊された講演録であり、20ページほどの岩波文庫の薄い本なので、30分ほどで読める。内村鑑三という人は、世の中をどうやって正しく渡っていくかということに関心を向けた、いわば宗教家、実践家であって、この本の中で「我々は互いに希望を遂げようではないか、死ぬまでにこの世を少しでも良くして死のうではないか」と言っている。また、彼は「希望」を英語では”Hope”ではなく“Ambition” と書いている。ということは、有名なクラーク博士の言葉“Boys be ambitious.”「大志を抱け」は必ずしもピッタリした訳ではなかったのでないかということになる。つまり「希望をもって行動せよ」というのがクラーク博士の本当の訳かと思う。明治調のために「大志」とか「野心」になったのかと私は思っている。
 皆さんに言いたいのは、大志も大事だけれど、希望を持って周りをよくしようとか、少しでもそれらしく行動してほしいというのが今日の講話の眼目である。

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