日本まんなか共和国文化首都「越前2007」遷都式での知事発言要旨

最終更新日 2010年2月4日ページID 000344

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 このページは、平成19年5月13日(日)越前市いまだて芸術館で開催された、日本まんなか共和国文化首都「越前2007」遷都式での4県知事トークの発言要旨をまとめたものです。


◇トーク
   西川一誠(福井県知事)

   澤田史朗(滋賀県副知事)

   野呂昭彦(三重県知事)  

   古田 肇(岐阜県知事)  

トークテーマ「まんなか共和国 いにしえの偉人たち」 


 【西川知事】
 西川でございます。
 今ほど越前万歳を御披露いただきましたが、この場は越前万歳同様、真面目なトークをいたしまして、できるだけ話が分かりやすいようにするつもりでございますので、拝聴をお願いいたします。
 さきほどの式典におきまして、奈良市長にまんなか共和国の国旗が引き継がれました。
 平成19年度の文化首都は、この福井県越前市に遷都されたわけであります。
 越前市では、これから1年間、さまざまな文化事業が展開されるわけであります。
 まんなか共和国4県の皆様には、この越前の国府が置かれた地であります、歴史と伝統の越前市をぜひ知っていただくと同時に、当地を訪れていただきたいと思います。

 さて、今日の4県知事のトークでありますが、テーマが「まんなか共和国 いにしえの偉人たち」ということでありまして、今年、我が福井からお出ましになられました継体大王即位1500周年ということで、この継体大王についてご紹介いたします。
 継体大王が天皇に擁立されるに至りましたいろいろな政治基盤は、この日本まんなか共和国の4県の地理的範囲とよく似ているわけでありまして、今日それぞれ皆さんお話いただくのも現代的につながっているのかなと、そんな感じもいたします。
 まず、私から継体大王についてお話をいたします。 

 まずスクリーンをご覧ください。190513対談写真1
 スクリーンに映っている像は、福井市の足羽山にあります継体大王像であります。
 明治17年に一度作られたものが福井大震災で壊れまして、昭和27年に再建されたものであります。我々は継体大王をこの像のイメージで捉えておりますが、味真野にも別の若々しい、現代的な大王像がございます。
 日本書紀によりますと、後の継体大王となります男大迹王(おほどのおう)は、お父さまは近江の国の方でありますし、お母さまは越前の坂井市のお生まれである振媛(ふりひめ)様であります。
 幼い頃にお父さまが亡くなられましたので、振媛(ふりひめ)様の郷里である越前に帰られて50年あまり福井の地で育たれ、58歳の時に、25代の武烈(ぶれつ)天皇が崩御されまして、お世継ぎがないということで、いろいろな政治的な相談の結果、男大迹王(おほどのおう)が26代の天皇につかれるという日本書紀の歴史でございます。

 今年2月に、大阪府枚方市で樟葉宮(くずはのみや)1500周年のフォーラムが開かれまして、福井県の民間の皆様もご参加をいただいたところであります。
 継体大王は、この樟葉宮で即位されました。
 地元の商店街では、福井県が健康長寿県であること、また継体大王も58歳で即位されてから更に25年間世を治められた、80歳まで御長寿であったということで、商店街が「健康長寿」をテーマとした商店街づくりをしておられる、こんな動きも出ているところでございます。
 さて、この継体大王は50年間、福井でお過ごしになられましたので、さまざまな伝説、あるいは歴史に関わるような伝説を残しておられますので、いくつか御紹介いたします。

 その第一は治水、防災ですね。河川改修などの伝説であります。
 もともと越前の地は大きな沼地であったということが言われております。継体大王が三国に河口を開かれまして、沼地を一大穀倉地帯、田園地帯に変えられた、そして船の往来のための水路もつくり、舟運や灌漑の便を図られたという治水あるいは農業の伝説が昔から残っております。

 一方で、御当地越前市でもそうでありますが、伝統産業が現在でも盛んであります。
 現在の福井を代表する伝統工芸品、越前和紙、これは越前市でございます。越前漆器、これは鯖江市でございます。継体大王の時代からこれらは始まったと伝えられています。

 越前漆器につきましては、越前市のお隣でございます鯖江市の河和田地区で受け継がれておりまして、今年の4月15日にはこの河和田地区において、継体大王の記念事業オープニングイベントとして、地元の「継体の会」の皆様によりまして、早朝から古式にのっとった弓引きの儀や子供たちへの五穀豊穣の下賜式などが、雅楽の流れる中で執り行われております。 

190513対談写真2  そして、ここ越前市にも継体大王ゆかりのいろいろな伝説や場所が残っております。スクリーンに映っておりますのは、この会場のすぐ近くの花筐(かきょう)公園とその公園の中にある県の指定天然記念物の薄墨桜(うすずみさくら)であります。
 大王はこの近くで暮らされ、都に出立される際に形見としてこの薄墨桜を植えられたとの深いかかわりのお話が残っております。

 こうした本県と継体大王とのゆかりを活かして、我々としてはこれを「発信」し、「交流」し、「継承」するという3つの柱のもとで記念事業を実施したいと思っております。
 これから、この秋9月9日には、「継体大王1500周年物語」と銘打ちまして、継体大王にゆかりの県外の自治体を招いた意見交換会、継体大王の生涯を表現した県民手づくりの創作舞踊などをご披露したいと思います。
 また、10月13日から11月25日にかけて、県立歴史博物館において、古代のテクノロジー、技術をテーマとした特別展示も行う予定であります。
 そして11月に入りまして、11月25日には、生誕地であります滋賀県高島市と即位の地、大阪府枚方市と共同で、明治大学、明治大学には継体大王のいろいろな研究者の方がいらっしゃるわけではありますが、その明治大学においてシンポジウムを開催することにしております。
 さらに、継体大王と密接にかかわっている地域がみなさんで連携をして、これをPRしながら、広域的な観光も進めてまいりたいと、このように思います。

 ご来場の皆様にも、ぜひこの機会に記念行事に参加をしていただくとともに、越前市をはじめ、県内の継体大王ゆかりの地をお訪ねいただき、今後、今一度継体大王について考え、また日本の歴史についてもいろいろと勉強していただければ幸いでございます。

 この後、各県の知事からトークをしていただきまして、それぞれ継体大王とのつながり、あるいはそれぞれの3県の地域の歴史や文化などについてお話しをいただくことになります。 全体としての日本まんなか共和国、日本の中心的な地域でございますので、連携をするようなこれからの縁になればありがたいと思います。

 冒頭簡単ではありますが、私からまずトークをさせていただきました。 ありがとうございました。

 ご参加いただいた各県知事からは、各県ゆかりのいにしえの偉人について、そして継体大王即位1500年を記念し、継体大王と各県とのつながりについてもお話ししていただいきました。


【滋賀県 澤田副知事】
 継体大王の生まれ故郷は滋賀県高島市であり、水尾(みお)神社、もたれ石、三重生(みおう)神社、うしの祭り、彦主人王御陵など継体大王ゆかりの史跡、祭などが数多く存在します。
 高島市では今年、即位1500年の記念事業「今、甦る古代高島」が展開されています。
 大津京は西暦667年、天智天皇が遷都し、造営した都で、天智天皇は、律令法典「近江令(おうみりょう)」、戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」、時計「漏刻」など日本最初のものを数多くつくられたほか、公地公民の実施、新しい税制の制定など、天皇を中心とする律令中央政権国家の基礎をつくられました。
 また、小倉百人一首の第一番目の歌「秋の田の 仮庵(かりほ)の伊庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣出(ころもで)は 露に濡れつつ」は天智天皇の歌であり、その由緒により、天智天皇を祭神とする近江神社では毎年1月に全国かるた大会が開かれております。

【三重県 野呂知事】
 三重県と継体大王とのつながりとしては、継体大王の娘、荳角皇女(ささげのひめみこ)が伊勢神宮を天皇に代わって仕えた斎王でいらっしゃったということがあります。
 斎王は京から5泊6日をかけ、「斎王群行」と呼ばれる最盛期には500人を超えるほどの大規模な行列で伊勢に向かわれました。斎王のおられた場所は斎宮と呼ばれ、現在は国の史跡であり、三重県でも斎宮歴史博物館を整備しております。また、恒例の斎王まつりでは群行も再現されています。
 斎王の仕えた伊勢神宮の社殿は20年に一度、新しく建て替えられることになっており、式年遷宮という最大の祭典となっております。これにより伊勢神宮は「常若」の状態で生き続けており、この常に新しい視点をもつことの意味を次の世代に引き継ぎたいと考えております。

【岐阜県 古田知事】
 円空は、寛永9年、1632年に美濃国の生まれで、1ヵ所に定住せず、生涯、仏像を彫りながら全国に旅を続けられました。全国各地に円空仏が残されており、生涯で12万体の作品を作ったといわれております。円空仏の特徴は、素木で彫られた仏像であること、異形の仏像が多いということ、そして口元に微笑を浮かべていることが挙げられます。岐阜県では、平成11年度に「円空大賞」を創設し、土着的で独創的な業績をあげている芸術家を表彰しております。これを通じて県民がふるさと岐阜に誇りを持ってもらいたいと考えております。
 また、本巣市には日本三大桜の一つで継体大王ゆかりの樹齢約1500年の淡墨桜(うすずみざくら)があります。この淡墨桜は、継体大王が王位継承をめぐる迫害を受け、20年近く根尾谷に隠れ住んだ継体大王が村を離れる際に別れを惜しんでお手植えになられたといわれています。
 また、継体大王の祖母は美濃の豪族の娘であったともいわれております。



 

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