【西川知事】
福井県知事の西川でございます。
今日は、福井県から越前市長をはじめ皆さんとともに東紀州地域に参りました。福井県は日本まんなか共和国の一番北の方に位置しまして、御当地へ参るのに330kmほど走ってきたのではないかと思います。5時間くらいかかりました。まんなか共和国は広いと改めて感じました。
福井県に関わります街道は、北陸道、若狭街道、岐阜県との関係で美濃街道、滋賀県との関係で北国街道があります。これらの街道を順に紹介していきたいと思います。
まず「北陸道」を紹介します。
福井県を通る北陸道は、奈良時代から、都から越前を経て越後へ至る重要な街道として繁栄し、源平の合戦、南北朝、戦国時代、そして江戸時代とずっとメインの道路でした。
古来より、紫式部や源義経などさまざまな歴史上の人物も数多く往来しておられます。今年、紫式部ゆかりの越前市では、源氏物語が書かれてから千年を記念するイベントがございます。10月から始まる「たけふ菊人形」は、源氏物語がテーマになります。全国で菊人形が残っているのは、この越前市と福島県二本松市との二市でありまして、東西の大菊人形でございますので、是非御覧いただければありがたいと思います。
奈良時代には、愛発関(あらちのせき)、鈴鹿関(すずかのせき)、不破関(ふわのせき)、この三つの関が、三関(さんげん)と呼ばれる重要な関所でございました。江戸時代には、御当地伊賀出身の松尾芭蕉が、奥の細道の道中で、奥州から北陸道に入り、越前を経て大垣まで旅をしておられます。福井で詠んだ歌を紹介します。「月清し遊行のもてる砂の上」「国々の八景更に気比の海」八景というのは滋賀県の近江八景だと思います。さまざまな関係がここであったということであります。
次に「北国街道」でありますが、これは戦国時代に柴田勝家によって整備された街道です。
毎年春に、福井市で、柴田勝家そしてお市の方を主役としました越前時代行列が盛大に開催されます。これは戦国時代のお話でありまして、福井を治めておられました柴田勝家、それから織田信長の妹になりますお市の方の子は、三姉妹でありますが、その後波乱の人生を歩みます。
江戸時代は福井藩あるいは加賀藩の参勤交代の道として北国街道が利用されました。この道を通って岐阜県を経て江戸へ向かったといわれています。
ここで福井の観光地を紹介します。東尋坊、丸岡城―日本一古い天守です。それから冬は越前水仙、それから越前がになどがあります。これらが福井のうまいもの、見どころと思っていただければありがたいと思います。
次は「美濃街道」です。これは現在の福井市から奥越大野を通って岐阜県へ抜ける街道であります。中世は軍事的に重要な街道として活用されました。
福井には幕末に活躍した橘曙覧という有名な歌人がおります。今、大統領選挙を行っておりますが、クリントン大統領が天皇皇后両陛下の訪米歓迎スピーチでその歌を引用されたことで有名であります。橘曙覧は33歳のときにこの美濃街道を通って、飛騨高山に住む三重県ゆかりの本居宣長のお弟子でありました田中大秀という学者を訪ね、それから歌をつくるようになりました。クリントンさんが引用された橘曙覧の歌は「たのしみは朝おきいでてきのうまでなかりし花の咲けるみるとき」という歌であります。
現在この地域では、福井から岐阜県の飛騨高山を経て松本につながる中部縦貫自動車道を整備中であります。先ほど岐阜県副知事から紹介いただきましたが、福井県も早く達成できるように今頑張っております。
なお、この街道の周辺には、全国の8割を超える恐竜化石を発掘している地域がございます。勝山市というところですが、世界三大恐竜博物館のひとつが福井にございまして、昨年度は40万人近い方々に御来場いただいております。また、この街道の近くには、白山信仰との関連で、現在世界遺産を目指しております、平泉寺という中世の巨大宗教都市史跡がありまして、苔むしたすばらしい景観の寺院であります。
次に「若狭街道」を紹介します。若狭街道は、小浜から熊川宿を経て、滋賀県の朽木を通り、京都へ至る「鯖街道」と呼ばれる道であります。この街道が通ります若狭地方は三重県と同じおいしい食べ物があり、朝廷へ献上する国、つまり「御食国(みけつくに)」と呼ばれておりました。三重県と同じ役割を担っていたと考えます。現在でも浜焼き鯖、しめ鯖、なれ鯖、鯖のへしこなどいくつも郷土料理が残っております。この3月までNHK「ちりとてちん」が放映されていたと思いますが、そこでよく焼き鯖が出ていました。
へしこというのは、今年、岩波書店が発行しております広辞苑の第6版に「へしこ」という言葉が出ておりまして、こういう言葉が辞書に載るようになりました。そして、小浜は例のオバマ氏や、ちりとてちんのお箸などでも有名になりましたが、ちょうど今から600年前、日本で初めて南蛮船で象が上陸した地域であります。そこから先ほどの道を経由して京都に象が献上されたのであります。
ここで、街道沿いの宿場町、熊川宿を紹介します。熊川宿は、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。また、小浜の西組地区も今回重要伝統的建造物群保存地区に選定されることになりました。三重県の亀山市の関宿とほぼ同じ大きさでありまして、古い町並みが残り、家の人も質素に生活しておられます。このような町の中心市街地がこういう地域に選定されているのであります。
最後に先ほど橘曙覧の話を申し上げましたが、この方は、明治時代の正岡子規が、万葉以来の最大の歌人であるというふうに賞賛した福井が生んだ歌詠みの達人であります。1861年、幕末でありますが、1ヶ月に及ぶ伊勢参宮の旅で三重県、岐阜県、滋賀県を訪れています。伊勢神宮で詠んだ歌を紹介します。「おはします かたじけなさを何事も しりてはいとど涙こぼるる」という歌であります。
福井県には歴史、文化、自然、食などすばらしいものがございます。
是非福井にもお越しいただければありがたいと思います。
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